「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハっ!」
関ヶ原に響き渡って木霊する高笑い。
それを背にして、本多忠勝は主君である徳川家康の元へと急いでいた。
当初、焦りを周囲に見せまいと早足に歩いていたが、高笑いが近づいてくる速度が思っていたより早いと知ってからは形振り構わずに走っていた。
だが、本多忠勝は今年で52歳。初老と呼べる年齢。
全力疾走はすぐに出来なくなり、今では早足と変わらないか、早足以下の速さ。
若い頃は一度も感じた事が無かった鎧の重みが今すぐ腰を下ろせと誘惑して囁き、己の身体の一部にまで昇華させた筈の愛槍『蜻蛉切』が邪魔でただただ煩わしかった。
しかし、本多忠勝は走る事を止めない。
気を抜いたら上がりそうになる顎を引き、ようやく辿り着いた『三つ葉葵』の家紋が描かれた天幕へ涼しい顔で入ってゆく。
「殿!」
「おお、忠勝!」
天幕の主人である徳川家康は喜びを露わに床几から勢いよく立ち上がった。
その様子から小早川秀秋が西軍を裏切り、自分に味方する約束を破ったのがよっぽど予想外だったのが解る。
だが、その一方で徳川家康は小早川秀秋をまだ侮っていた。
所詮は匹夫の勇。今はまだ勢いに乗って攻めてはいるが、その勢いはすぐに失われると。
その自信の根底を成すのが本多忠勝の存在だった。
過去に敵から『家康に過ぎたるもの』とまで称された猛将が愚図の小早川秀秋ごときに負ける筈が無いと信じて疑っていなかった。
万が一に備えて、本多忠勝という大駒を本陣の直衛に置き、今の今まで参戦させずに温存させていたが、切り札を切る時が来たと徳川家康は決断する。
「今すぐ、お逃げ下さい!」
「なっ!?」
「この戦、我らの負けに御座います! この上はお命を繋ぐ事こそが至上!」
しかし、徳川家康が口を開くよりも早く本多忠勝が口を開いた。
それも臣下でありながら跪かずに立ったまま。徳川家康の思惑とは真逆を言い放った。
徳川家康は自信の源にまさかの全否定を食らって絶句するが、どうしても納得が出来ない。
もし、これが小早川秀秋以外なら違ったかも知れないが、小早川秀秋に自分が負けるという事実を認める事が出来なかった。
なにしろ、徳川家康の人生は忍従の日々だった。
幼少期は今川義元に、青年期になってからは織田信長に、織田信長の死後は豊臣秀吉に、圧倒的な力の前に戦国大名としての野心を押さえ付けられ続けて、ようやく自分の出番が回ってきたと思ったら、小早川秀秋という馬鹿にしていた相手に行く手を阻まれる現実など有ってはならなかった。
「馬鹿な! 馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!
有り得ん! 有り得んだろ! この儂があの愚図に負けると言うのか!
儂はもう五十だぞ! もうこれ以上は待てん! 我が大望はここで潰えてしまうのか!」
「拙者は小早川殿を噂でしか知りませぬが…。
先ほど遠目に見た限り、あれは立派な益荒男に御座います。
大将自ら陣頭に立ち、敵陣を烈火の如く斬り込んで崩す。
あれこそ、正に風林火山の火。一言坂での戦いを…。あの鬼美濃を思い出しましたぞ」
だが、本多忠勝は首を左右にゆっくりと振った。
鬼美濃とは戦国時代の荒波に乗れず滅亡した甲斐武田家に仕えた『馬場信春』の異名。
25年も前に故人となっているが、死して尚その武名は天下に未だ轟いており、本多忠勝を超える武名を持つ猛将中の猛将である。
しかも、徳川家康にとって、甲斐武田家は幾度も煮え湯を飲まされた相手。
甲斐武田家と領地の大部分を接していたからこそ、徳川家康は飛躍を望めず、甲斐武田家が滅んだ頃には天下の趨勢は決まっていた。
「お、お前ほどの男がそうまで…。あ、あの愚図が? ほ、本当に?」
それ故、徳川家康は本多忠勝の小早川秀秋評に驚愕を通り越して、呆然となった。
目をこれ以上なく見開き、甲斐武田家に味わされた恐怖を思い出して、身体をブルリと震わした次の瞬間。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハっ!」
「ふぉっ!?」
関ヶ原に何度も響き渡って木霊している高笑いがすぐ近くから聞こえてきた。
小早川秀秋の本陣突入を察知して、たまらず徳川家康は腰を抜かしての尻餅をつき、その拍子に尻がブリブリブリッと鳴り、眉を寄せながら鼻を摘みたくなるほどの悪臭が周囲に漂う。
「くっくっくっ…。相変わらず、殿は尻が弛う御座いますな?」
「や、やかましい!」
「さあ、早くお逃げ下さい。もうそこまで迫っています」
「解った…。だが、忠勝。決して、死ぬ事は許さぬぞ?」
「ふっ…。まだまだ若い者に負けはしませぬ。
殿の方こそ、三方ヶ原で見せた逃げっぷりは健在でしょうな?」
「減らず口を…。では、あの時のように浜松で会おうぞ!」
「御意!」
しかし、怪我の功名とは正にこの事か。
本多忠勝の茶目っ気も手伝い、徳川家康は冷静さに取り戻して、そこからの決断は早かった。
戦況を考えて、確実に逃げられる時間を作るとなったら、これが今生の別れとなる事はお互いに半ば確信していた。
だが、二人は強い眼差しと共に再会の約束を交わすと、徳川家康は後ろを振り向く事なく天幕後方から逃げ出し、本多忠勝も徳川家康の姿が消えると天幕の正面を見据えて、これから訪れる若武者を迎える為に後ろを振り向く事は無かった。
「フハハハハっ! 狸狩りに来てみれば、狸以上の大物がいたぞ!
その鹿角脇立の兜に、肩にかけた大数珠! 戦国最強と名高い本多忠勝殿とお見受けする!
我が名は小早川秀秋! 名槍『蜻蛉切』の斬れ味を是非とも馳走を願う! 返答はいかに!」
間もなくして、天幕正面が槍で切り裂かれて、小早川秀秋が芦毛の馬と共に姿を現す。
本多忠勝は次から次へと奥底から湧き出てくる歓喜にたまらず笑みを口元に描き、愛槍『蜻蛉切』を構える。
なにせ、小早川秀秋が言う狸とは徳川家康を指す陰口である。
即ち、西軍の誰もが徳川家康の首を一番手柄として認識している中、小早川秀秋だけは本多忠勝の首の方が徳川家康の首より価値が有ると言い放っているのだから嬉しくない筈が無かった。
豊臣秀吉が大名同士の武力紛争を禁止する『惣無事令』が発令されて、十五年。
仮初めとは言えども、天下は泰平の世になったが、誇りにしていた武は役立たずとなり、政治は人並み程度の本多忠勝は居場所が無いと感じていた。
徳川家康はそんな本多忠勝を疎んじたりせず、過去の功労者として俸禄の加増など逆に何かと気遣ってくれていたが、本多忠勝は気遣われば気遣われるほどに心苦しさが増していた。
だからこそ、徳川家康が家臣達を前に豊臣家との対決を口にはっきりと出した時、本多忠勝は奮い立った。
嘗て経験した事が無い歴史に残る大戦が始まると。今一度、天下に『本多忠勝、ここに有り』と知らしめて、主君の為に奉公が出来ると。
ところがところがである。
徳川家康は本拠地の江戸城を発して以来、本多忠勝を本陣の直衛に置くと、出番を『お前が傍に居るからこそ、儂は安心が出来るのだ』と与えてはくれなかった。
だが、こうも考えていた。
先ほど口に出した通り、まだまだ若い者に負けるつもりも無ければ、日々の鍛錬も怠っていないが、戦いそのものを知らない子供が世間で溢れている泰平の世は長かった。果たして、自分と同じように鍛錬を続けていた者は存在するのかと周囲を見渡して、期待をあまり抱いていなかった。
「いかにも拙者が本多忠勝で御座る!
我が槍を中納言たる殿上人に馳走できるとは末代までの誉れ! いざ、尋常に勝負、勝負!」
しかし、居た。本多忠勝は天の配材に感謝する。
特にこちらが騎乗していないのを見るや、同条件で競おうとわざわざ下馬する小早川秀秋に好感を持ち、人が言う悪評などあてにならないと苦笑が漏れそうになるのを堪えた。
また、同時に自分は負けるだろうという天命も確信した。
そうでなかったら、約三万という兵力の徳川家本陣を割り、小早川秀秋はここまで辿り着けておらず、天が味方しているとしか思えない奇跡を感じていた。
だが、本多忠勝はここ十数年で一番の清々しい気分だった。
武士として、これほどの大戦で果てる誉れは他に有りはしない。今までの自分がそうしてきたように今度は自分が目の前の若者の糧になるだけと名乗りを挙げた。
「フハハハハハハハハハっ!」
「ぬおりゃああああああっ!」
そして、高笑いと雄叫びが重なり合い、やがては勝者と敗者を生んで関ヶ原の戦いは大勢を決した。