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第13話 もう一人の腹心




「稲葉はどうした?」

「既に城へ入りました。天守から殿を見送るそうです」



 馬屋へと続く渡り廊下。

 鎧の金属部分がカチャカチャと擦れ合う音が鳴らし、鎧で重みを増した足がギイッギイッと木の軋む音を響かす。


 今回、稲葉のおっさんは岐阜城を守る為にお留守番。

 岡崎城戦に付き従うのは『平岡頼勝』であり、俺から見たら実家の近所にある町中華を営む平岡のおっさんである。



「くっくっ……。張り切っているな。

 城を任されたからと言って、敵は見当たらないのにな。……って、どうした?」



 これから向かう先の戦いは俺の初陣。

 夢の中と勘違いしていた関ヶ原での戦いとは違う。緊張から口数が自然と多くなっていた。

 だが、ふと鎧擦れの音と足音が俺一人分になって、すぐ後ろを付き従っていた気配も無くなり、思わず背後を振り返ると、平岡のおっさんは十歩くらい前の位置で顔を俯かせながら立ち止まっていた。



「殿は……。」

「うん?」

「何故、殿は私を遠ざけないのです?」

「……うん?」



 お互いに黙り合う事暫し。

 根負けした平岡のおっさんが俯いたまま問いかけてきたが、意味が解らない。



「殿はご承知の筈です!

 私が家康と通じ、殿の心を再三に渡って惑わしていたのを!」

「うん、それが?」

「そ、それがって……。」

「別に良いんじゃね?」

「よ、良くは有りません! な、内通していたのですよ!

 い、稲葉も、私も放逐どころか、首を落とされても文句を言えない事をしでかしたのに、何故に重用されるのです!」



 あまつさえ、問い返して肯定すると、逆ギレされた。訳が解らない。

 正直に言うと、関ヶ原の戦い後からずっと何かを言いたそうにしているのは気付いていたが、そう声を張り上げて訴えるほどかと考えてしまう。


 何故ならば、稲葉のおっさんは変わらずに接してきている。

 逆に小煩さが日に日に増してきており、それを理由に遠ざけたくても、それが俺の事を第一に考えての小煩さなのだから遠ざけられない。


 現代で勤めていた会社の直属の上司は、度重なる残業と出張の文句や愚痴をどんなに零しても笑って受け入れる度量を持っていた。

 それが会社を辞めない理由の一つになっていただけに、俺もいつか出世したらそうありたいと考えていたし、上に立つ者が下の苦言に耳を塞ぐようになったら駄目だと考えている。



「えっ!? 死にたいの?

 只でさえ、人手が足りてないって知ってるだろ?

 いやいや、駄目駄目。駄目だって、それは困るって……。」

「こ、困っているのは私です! な、内通ですよ! な、内通!」

「ん~~~…。もしかして、俸禄が足りてない? もし、そうなら遠慮なく言ってね?」

「そ、そうじゃ有りません! わ、私が言いたいのは忠義に背いた事です!」



 それに俺はブラックな職場にいたからこそ、対価の重要性も知っている。

 結局、営業の一線に立たされてからは忙しさで使う暇が圧倒的に無くて、貯金だけが増えてゆくばかりだったが、通帳の数字はやる気に繋がっていた。



 その為、平岡のおっさんの訴えを高度な賃上げスト交渉かと思いきや違った。江戸時代以前に重要視されていた忠義の問題だった。

 俺は歴史を扱った物語で登場する忠義に関するエピソードは美談に感じるが、国や会社に対する行き過ぎた忠義は悪徳と教えられて育った人間である。切腹を今すぐ命じてくれと言ってきそうな平岡のおっさんに引いてしまう。



「確かに、家康との内通は豊臣に対する裏切りだ。

 そして、それが自分の栄達を望んでやった事なら絶対に許される事ではない。

 だけど、お前達はそうじゃないだろ?

 もし、そのつもりが有ったのなら、俺の下からとっくに逃げ出している筈だ。

 いや、松尾山で俺の首を落としていたかな?

 でも、お前も、稲葉もまだ俺の下に居て、俺も生きているって事はさ。

 お前達が家康と内通していたのは、豊臣家よりも俺の事を考えてだったと解る。

 なら、お前と稲葉を殺したら、俺は忠義者を殺した暗君になるが、その方が良いのか?」


 しかし、俺は平岡のおっさんへと歩み寄る。

 真っ直ぐに見据え続けて、右へ左へ逃げ惑う平岡のおっさんの視線を俺に固定させると、一歩手前の最後の問いかけで爽やかに笑う。


 忠義を問わず、君側の誤を語る。

 歴史を扱った物語で登場する忠義に関するエピソードを多く知っているからこそ、この場を美談にして切り抜ける術を知っていた。



「と、殿…。ほ、本当にご立派になられて…。

 わ、私は殿に仕えられて果報者です! い、稲葉共々、生涯の忠誠を捧げます!」



 たちまち平岡のおっさんは涙をハラハラと零して男泣き。その場に平伏した。

 目論見通りに進んで満足するが、ふと重要な事を思い出して、目をハッと見開かす。



「それより、ここで油を売っていて良いのか? 俺はずっと待っているんだけど?」

「えっ!? な、何をでしょう?」



 どうして、小早川秀秋は関ヶ原の戦いで裏切ったのか。

 それは平岡のおっさん『平岡頼勝』が最も大きな要因になっていたからだ。


 平岡頼勝の奥さんは家康が率いる東軍に属した『黒田長政』と従兄妹の関係にあたる。

 その縁が元で懇意の仲となり、平岡頼勝は黒田長政から西軍の裏切りを勧められている。


 また、黒田長政の父『黒田孝高』は関ヶ原の戦いに先立って、西軍に対する後方撹乱を兼ねて、豊前国で挙兵。

 幾つかの勝利を重ねた後、小早川秀秋が所有する久留米城を攻めて、その後は南下して肥後国まで到達している。


 つまり、小早川秀秋の領地がヤバい。

 今から九州へ駆け付けても間に合わないが、この危機を最終的に無かった事にする術を目の前の平岡のおっさんは持っていた。



「お前、黒田長政の誘いを受けたんだろ? お前の奥さん、黒田長政の従兄妹だもんな。

 でも、良ぉ~~く考えてみろ?

 そこにあの秀吉様も恐れた黒田孝高殿の思惑が無かったと言えるか?

 もし、俺が黒田孝高殿だったならだ。今、日の本が東西に分かれている好機を絶対に逃さない。

 だったら、何処を狙う? 黒田長政が東軍に属しているのだから、東日本は有り得ない。

 そうなると、西日本。それも渦中から遠く離れた九州。俺が持っている筑前・筑後だとは考えられないか?」

「あっ!?」

「理解しなら今すぐ走れ! 

 岡崎城の決着が付いてからでは遅い! 黒田長政を説得しろ!」



 黒田長政と家康の関係を考えたら、その説得は困難だろう。

 豊臣家と縁の深い持つ奥さんと離婚した後、家康の養女を奥さんにしている。


 だが、可能性はゼロではない。

 一度でも裏切った人間は一度目より二度目に躊躇いが少ないのは古今東西で変わらない。


 しかも、黒田長政の場合、豊臣家を裏切った契機は豊臣秀吉の死。

 優秀すぎる故に豊臣家の凋落を予期して、宿り木を素早く変えたに過ぎない。


 今、俺というイレギュラーが生じた為、時流は豊臣家へと確実に流れている。

 このまま東軍に属していたら、こちらへ内応を誘った分、黒田長政は大戦犯となる。


 特に東軍の総大将である毛利輝元が許さない。

 毛利家が南宮山で静観を決め込んだのは、黒田長政の調略の成果だからだ。


 それを優秀過ぎる黒田長政が解っていない筈が無い。

 もし、自身の命と黒田家の存続を願っているとするなら、平岡のおっさんが訪ねてくるのを今か今かと待ち望んでいるに違いない。



「じょ、助言、有り難く! か、必ずや成し遂げてみせます!」

「おう、吉報を待っているぞ!」



 平岡のおっさんが血相を変えて、馬屋へと駆けてゆく。

 その背中を『宝くじも買わなかったら当たらないって言うもんな』と呟いて見送り、俺もまた馬屋へ向かって歩き出した。




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