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第4話 鞭とレベルアップ

月曜の朝。


弘一は両目にくっきりとクマをつけて出社した。


昨晩の雪菜の“告白”が頭を離れず、ほとんど眠れなかったうえ、システムの「羞恥ゲージ」通知が何度も表示され、不眠に拍車をかけた。


「おはよう、近藤さん」


同僚の佐藤が彼の肩をポンと叩く。


「なんか、トラックに轢かれたみたいな顔してるぞ」


「まあ、あながち間違ってない……」


弘一は力なく答えた。


そのとき、オフィスの空気が一気に冷え込んだ。


コツ、コツと高いヒールの音が近づいてくる。


廊下の端に現れたのは、九条琉璃。


今日も変わらず黒のスーツ姿、髪はきっちりまとめられ、唇は一文字に結ばれ、眼光は鋭いナイフのようだ。


社員たちの動きが止まる。


「お、おはようございます、部長!」


九条琉璃は軽く会釈しながら皆を見渡し、最後に弘一の前で立ち止まる。


「近藤」


「は、はいっ!」


弘一は反射的に背筋を伸ばす。


「先週のクライアントに出した資料、データが間違ってた」


そう言うと彼女は書類の束を机に叩きつけた。


「あなたのミスのせいで、先方が再交渉を求めてきた」


「そ、そんなはずは……ちゃんと確認したんです!」


弘一が言い返すと、「確認?」と九条が鼻で笑う。


「つまりお前の確認の結果、こんな低レベルのミスが起きたってこと?」


彼女は書類を開き、赤くマークされた部分を指差す。


弘一がのぞきこむと、絶句した。


――確かに、ひどい間違いだった。


「その……」


「言い訳は聞かない」


琉璃はぴしゃりと言い放った。


「今日の終業までに全資料を修正、50部印刷して――」


そこで一拍おき、唇の端をわずかに上げた。


「地面に這いつくばって、各部署の担当者に配ってちょうだい」


静まり返るオフィス。


弘一の顔が一気に赤くなる。


「は、這って……ですか?」


「何か異議でも?」


琉璃の目が冗談ではないと物語っていた。


――チン!


《大型羞恥イベントを検出》


《ポイント予測:80〜120ポイント》


弘一の呼吸が止まった。


(そんなに高いのか!?)


唾をゴクリと飲み込み、ふと気づく。これは“稼げる”チャンスかもしれない。


「い、異議ありません! 誠意をもって償います!」


瑠璃は眉をひそめた。どうやら、この即答は意外だったようだ。


「じゃあお願いするわ」


彼女は踵を返して去っていく。


ヒールの音が、まるで心を打つ鞭の音のように響いた。


――


午前中、弘一は必死にデータを修正していた。


昼休み、佐藤がこっそり近づいてくる。


「なあ、社内を這いつくばって配る気か?正気じゃないな」


弘一は苦笑いを浮かべる。


「上の命令だ、やらかしたんだし、逆らえるわけないだろ」


「いや、それにしてもさ……」


「大丈夫」


弘一は声を潜める。


「実は計画があるんだ」


――


午後4時。弘一は50部の資料を抱えて廊下に立つ。


深く息を吸い、ゆっくりと膝をついた。


「行くぞ……」


まずは営業部。


膝を使って“歩き”ながらエリアに入ると、社員たちは一斉に目を見開いた。


「ええーっ、なにしてんの?」


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません!」


弘一は声を張り上げ、資料を頭上に掲げる。


「修正済みの資料です! ご確認ください!」


営業部部長が唖然としながら資料を受け取った。


「近藤君、そこまでやらなくても……」


「いえ、当然のことです!」


弘一は次の部署へ這い進む。


背後にはざわめきが残る。


「……イカれてる」


「九条部長の逆鱗に触れたんだって」


「うわっ……お気の毒に……」


――ピロリン! ピロリン! ピロリン!


《羞恥ポイント+25(社内公開処刑)》


《羞恥ポイント+30(同僚の視線)》


《羞恥ポイント+15(部長の同情)》


《羞恥ゲージ:150》


弘一は心の中でガッツポーズを取るが、表情はより悲壮になっていた。


財務部前まで這ってきたとき、背後から聞き慣れた冷笑が聞こえた。


顔を上げると――琉璃が腕を組み、ドア枠にもたれて彼を見下ろしていた。


「部長!」


「遅いじゃない」


彼女は冷たく言った。


「このペースじゃ明日になっても終わらないわよ」


弘一は内心焦る。


(もしかして、やりすぎたか……?)


琉璃は急に身を屈め、彼のネクタイを掴んで引き寄せる。


「来なさい」


――


弘一は会議室に引っ張り込まれた。


琉璃は背後で鍵をかけ、彼を壁に押しつける。


「楽しそうね?」


彼女は細めた目で言った。

弘一の心臓が跳ねる。


「な、何のことですか……?」


「最初に膝をついた瞬間、笑ってたわよね」


彼女の指が弘一のネクタイをなぞる。


「気づいてないとでも思った?」


冷や汗が背筋を伝う。


(バレてた!?)


琉璃が顔を近づける。紅い唇が耳元に触れるかの距離。


「でも――」


声に、ふっと艶めいた響きが混ざった。


「そこまで演技が好きなら、もっと本気でやってみせなさい」


――シュッ!


彼女が突然、弘一のベルトを引き抜いた。


「はい!?」


「続けて」


九条はベルトを机に放り投げる。


「口で資料を咥えて、這って配りなさい」


弘一の思考は停止する。


(な、なにこれ!?)


――ピロリン!


《最高レベルの羞恥イベントを検出》


《ポイント予測:200以上》


弘一は喉を鳴らす。


(やるしかない……!)


彼はゆっくりと膝をつき、資料の端を歯で咥える。


琉璃が目を見開いた。


まさか本当にやるとは思わなかったらしい。


「……面白いわね」


彼女はスマホを取り出し、録画を開始する。


「さあ、どうぞ」


――


弘一が這って自席に戻ったときには、もう体力の限界だった。


だが、システムの通知が彼に活力を与える。


《羞恥ポイント+150(最高レベルの羞恥)》


《特別実績解除:部長の注目》


《羞恥ゲージ:300》


(やった……!)


彼は急いで交換画面を開く。


《透視能力(1時間/200ポイント)》


迷わず選択をタップ。


その瞬間、世界の様子が一変した――


壁が透けて見え、同僚たちの骨格や筋肉まで明瞭に。


弘一は慌てて視線を逸らす。が、何気なく視界の端に――


オフィスに入ってきた琉璃が映った瞬間、弘一が凍りついた。


高級なオーダースーツの下に――


柴犬のイラストが入った下着。


「ぷっ!」


弘一は口を押さえた。


(人使いが荒い氷の女部長に……こんな趣味があったなんて!?)


琉璃が何かを悟ったように、刺すような視線を投げてきた。


弘一は大急ぎで顔を伏せて書類作業を装うが、心臓はバクバクだ。


(ヤバい秘密、見ちまった……)


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