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第7話 受難日

日曜の朝、弘一は原宿駅前に立ち尽くし、腕時計を何度も見下ろしていた。


(十時ちょうど……また遅刻かよ)


そのとき、LINEの通知音が鳴る。送り主は雪菜だった。


「お兄ちゃん、ごめん!(;´д`)ゞ 急な用事が入っちゃって、午後2時に変更できる?」


弘一は安堵の息を漏らす。これなら、夜のクラブの予定にも間に合う。

「OK」とだけ返し、近くのカフェに足を向けた。


店の扉を開けた瞬間、思わず足が止まる。

窓際の席に、九条琉璃がいた。コーヒーをゆっくりとかき混ぜながら、どこか物憂げな面持ちで座っている。


今日の彼女は珍しくカジュアルな装いだった。ベージュのタートルニットに、ダークグレーのペンシルパンツ。髪は緩く肩に垂れ、いつもの冷ややかな鋭さは影を潜め、柔らかな美しさを纏っていた。


(な、なんでここに……!?)


こっそり店を出ようと踵を返した瞬間、九条がゆっくりと顔を上げた。迷いのない視線が、弘一をまっすぐに捉える。


「弘一さん。」


その声は決して大きくはなかったが、静かな店内では妙に耳に残った。


「か、課長……奇遇ですね……」

「……つけてきたのかしら?」

「ち、違います! ただ、人を待ってまして!」


彼のセットされた髪型と小洒落たジャケットに、九条の視線がわずかに動く。

「デート?」


「い、いえっ! 近くに住んでる妹と、成人式の振袖を選びに……」

口にした途端、自分でも嘘くさいと後悔した。


「『人形町』のクラブ、どんな場所か知ってる?」

「えっ、高級な……社交場じゃ……?」

「地下格闘賭博よ。父が株主なの。」


「……は?」

「今夜、サンドバッグが一人足りないの。」


「さ、サンドバッグ……?」


「10分耐えれば、出演料は50万円。」


「え、ええっ……」


「断ってもいいわ。でも──」


そう言って、彼女はバッグから一枚の写真を取り出した。

それは、例の“女装事件”の決定的証拠だった。


血の気が一気に引いていく。


「い、行きます!!」


<羞恥ポイント+100(脅迫による強制)>

<羞恥ゲージ:215>


写真をバッグに戻した九条は、微笑みながらささやくように言った。


「今日の髪型、似合ってるわよ。」


耳元にかかった吐息が妙に艶っぽくて、弘一の顔は見る見る赤く染まっていった。


──午後2時、振袖店。


「お兄ちゃん!これ、どう?」


雪菜がくるりと一回転する。

桜の刺繍が施された淡いピローピンクの振袖が、白い肌を一層引き立てていた。


「……すごく、似合ってるよ。」


「ちゃんと見てないでしょー!」


雪菜が頬を膨らませて詰め寄る。


「さっきから時計ばっかり見て、何か急用?」


「え、いや……ちょっと仕事の、付き合い……?」


「え~? それってもしかして、デート?」


「ぜっっったい違う!!」


「じゃあ、私もついてく!」


「む、無理無理無理!!」


「……最近、お兄ちゃん、私のこと避けてるよね。」


雪菜の声がかすかに震えていた。


「前はさ、毎週みたいに一緒に買い物してくれたのに……」


弘一は言葉を失った。

思えば最近、彼はポイント稼ぎに夢中で、妹との時間をないがしろにしていた。


「ごめん、悪かった。」

彼はそっと彼女の頭を撫でた。


「じゃあさ、今度ディズニーに連れてく。ちゃんと埋め合わせするから。」

「ほんと? 約束だよ! ゆびきり!」


──夜7時50分。

「人形町」の地下クラブ前。


弘一は震える手で拳を握りしめていた。


「こ、ここが……格闘会場……?」


背後から九条が現れる。


「怖い?」


「い、いえ……ルールは?」


「ひとつだけよ──死なないこと。」


錆びついた扉が開くと、爆音のような歓声が飛び込んできた。

リングの中では、筋骨隆々の男たちが容赦なく拳を打ち合っていた。


「こ、これは……殺し合いじゃないか……」


控室で、九条が一枚の紙を差し出す。

「免責同意書よ。サインして。」


目を落とすと、“死亡・後遺症について一切責任を負いません”の文字が並んでいた。


「か、課長……」


「今、逃げたらこの写真、社内回覧板に貼るわよ?」


<羞恥ポイント+50(恐怖+脅迫)>

<羞恥ゲージ:265>


(システム……頼む……!)


<交換完了:「超耐打」スキル(60分)使用開始>

<羞恥値:65>


「今夜の特別マッチ! 九条女王が持ち込んだのは──なんと、サラリーマン!」


スポットライトが弘一を照らす。歓声とざわめきが爆発する中、リングの向こうに現れたのは、100kg超はあるスキンヘッドの巨漢。


「小僧……後悔させてやる。」


ゴングが鳴った刹那、弘一の顔面に拳が炸裂した。


(痛ああああっっ!!!)


骨こそ折れなかったものの、容赦ない痛みが全身を襲う。

繰り返される打撃に必死で逃げ惑う弘一。だが観客の声は容赦ない。


「ザコすぎる!」

「立てよ!チキン!」

「佐藤、食っちまえ!」


<羞恥ポイント+30(公開羞辱)>

<羞恥ポイント+20(無力感)>


九条の冷ややかな視線が、リングの隅から突き刺さる。


(く、くそっ……!)


やがて佐藤が彼の襟を掴み上げた。


「終わりだ!」


巨大な拳が太陽穴を狙って振り下ろされる──その瞬間、弘一の中でスキルが発動した。


(集中! 防御力最大化!)


ガンッ!!


鋼のように固まった頭部が、相手の拳を真っ向から受け止めた。

逆に砕けたのは──佐藤の拳だった!


「ぐああああああっ!!」


雄叫びを上げながら巨漢がひざまずく。


弘一は反射的にタックル、そして頭突き!


ドスンッ──


観客が息を呑む中、まさかのノックダウン。


「10……9……8……」


──1!


「勝者、会社員!!」


「やった……!」

弘一はリングに崩れ落ち、自分の拳を見つめた。


(オレ……勝ったのか……?)


そこへ、九条がリングサイドに歩み寄ってきた。

彼女は目を細め、微笑む。


「おもしろいじゃない、あなた。──今夜、私の部屋にいらっしゃい。」


(な、なにこの展開……!?)

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