目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第8話 温泉旅行

月曜の朝、弘一は腰をさすりながら出社した。


昨夜の「ボーナス授与式」は、格闘技の試合よりも消耗が激しかった。


(あの女……絶対に悪魔だ……)


デスクに腰を下ろすや否や、部署のグループチャットに通知が飛び込んできた。


「今週金曜から日曜まで、社内研修旅行で箱根温泉に向かいます。参加は必須——九条琉璃」


オフィスの空気が一変した。


「箱根!? 本気かよ!」


「部長の別荘があるって噂のあの場所?」


同僚の武藤がニヤニヤしながら弘一の机に身を乗り出す。


「おい近藤、部長となんかあったんじゃねえの~?」


「な、なにもないっ!」


思わず声が裏返る。


——ピロリン!


「恥辱ポイント+10(動揺)」


「恥辱ゲージ:75」


(このままじゃまずい……もっと稼がねば……)


おもむろにシステム画面を開き、「女装」カテゴリの実績に目を走らせた。


——前回の学園祭でのパンツかぶりパフォーマンスは大成功だった。今回もワンチャン……?


そのとき——


「弘一兄ちゃん!」


LINEにメッセージが届く。


送り主は妹の雪菜。添付されていたのは、温泉旅館のチラシだった。


「うちのサークルの温泉旅行も今週末なんだ~!しかも、同じ旅館!奇遇でしょ?」


スマホが手から滑り落ちかけた。


(なんだこの因縁は……!?)

──金曜の夕方。

箱根の温泉街に明かりが灯りはじめた頃、弘一はスーツケースを引いて「琉璃閣」へとたどり着いた。


——九条家所有と噂される高級旅館だ。


「一般社員は西棟、管理職の皆様は東棟でございます」


フロント係が丁寧にカードキーを差し出す。


「なお、弘一様は九条様のご指示によりVIP室へご案内いたします」


「VIP……?」


「はい、女湯のすぐ隣でございます」


ぞわり、と弘一の背筋が粟立つ。


(……絶対に罠だ……)


荷物を置いて間もなく——


「やっほー、おじさん~♪」


浴衣姿の女子大生が三人、にこやかに部屋の戸を開けて現れた。


雪菜のサークル仲間らしい。


「来てるって雪菜から聞いたよ~」


金髪の女子がルーレット式のゲーム機をひらひらさせながら笑う。


「一緒に遊ばない?」


「な、何をする気だ……?」


「ルールはカンタン♪」


彼女たちは部屋に雪崩れ込み——


「負けた人は、女装して混浴温泉を一周!」


(また女装かよ……)


しかし、弘一はふと気づいた。


(いや、これは……羞恥ポイント稼ぎのまたとない機会!)


「よ、よし、やってやる!」

と弘一は勇ましげに座り直した。


「ただし、条件をつけさせてもらう」


「へぇ〜、おじさんノッてきたじゃん!」


「俺が負けたら……雪菜が持ってきた服を着る!」


女子たちは歓声を上げ、すぐに雪菜へ連絡を入れた。


三連敗した頃、雪菜が息を切らしながら大きな紙袋を持って現れた。


「……急いで選んだから、サイズ合わなかったら……」


弘一が袋を覗いた瞬間、目をむいた。


超ミニのメイド服、ガーターストッキング、猫耳カチューシャ。


「こ、こんなもん……」


「雪菜、センス最高!」


女子たちが盛り上がり、彼を更衣室へ押し込む。


——数分後。


「……変じゃないか?」


弘一が恐る恐る姿を現すと、場の空気が一瞬止まった。


雪菜は顔を真っ赤にし、ぷいっと顔をそむける。

「ちょ、超似合ってる……」


金髪の女子が親指を立てる。


「さあ、混浴にしゅっぱーつ!」


「ちょ、ちょっと待て!本気で行くのか!?」


「もちろん、賭けは絶対なの♪」


女子たちに半ば引きずられ、弘一は混浴温泉の入り口へ。


湯気の向こうに人影が見える。


(終わった……社会的に俺は終わった、終了だ……)


そのとき——


「何してるの?」


背後から冷ややかな声が響いた。


場が凍りついた。


廊下の奥に立っていたのは、浴衣姿の琉璃だった。


濡れた長い髪が、彼女がつい先ほどまで温泉に浸かっていたことを物語っている。


彼女の視線が弘一の姿をとらえると、眉がぴくりと動いた。


「ぶ、部長……!」


逃げようとするも、女子たちに道を塞がれる。


琉璃はゆっくりと近づいてくる。


ヒールの音が木の廊下に、コツ、コツ、と響いた。


「ずいぶん楽しそうね」


彼女は弘一のレースチョーカーをくいっと引き、囁くように言った。


「そんな趣味があったの?」


「ち、違いますっ! これはその……罰ゲームで……!」


琉璃はふと顔を弘一の耳元に寄せ、囁く。


「——今夜10時、私の部屋に来なさい」


その瞬間、弘一の膝が崩れ落ちた。


女子たちは一斉に爆笑。


「おじさん、照れてる~!」


「部長、サイコー!」


——ピロリン!ピロリン!ピロリン!


「恥辱ポイント+150(極限女装)」


「特別実績:ダブル羞恥解放」


「恥辱ゲージ:225」


泣きそうな顔で、去っていく琉璃の背中を見送る弘一。


ふと雪菜が、どこか複雑な眼差しを向けていることに気づく。


(これは……完全にやらかした……?)


その夜。


混浴騒動は旅館の支配人の仲裁によって収束した。


が——弘一の女装姿は、学生グループ内で秒速拡散されていった。


そして、夜10時が訪れた。


琉璃の部屋の前に立つ弘一は拳を握り、ノックすべきか迷っていた。


(彼女は……何を望んでる?)


そのとき、静かにドアが開いた。


白檀の香がふわりと漂う。


琉璃はシルクのナイトガウンを纏い、髪を下ろしてそこに立っていた。


日中の冷徹さとは一転、艶やかで柔らかな光をまとうその姿に、弘一はごくりと喉を鳴らす。


「入りなさい」


彼が足を一歩踏み出した、その瞬間——スマホが震えた。


雪菜からのLINE。


「弘一兄ちゃん、部屋の前にいるの。どうしても、話したいことがあるの……」


弘一は思わず息を呑んだ。


背中を伝う汗が、嫌な予感の正体を告げていた。


(な、なんなんだよ……どっち選んでも死ぬやつじゃねえか!?)


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?