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第10話 告白と動揺

 午前三時。

近藤は畳の上で何度も寝返りを打っていた。


(雪菜……一体、何を話そうとしているんだ?)

(あの口紅の跡……あいつ、絶対に誤解してるよな……)


胸の奥がざわついて眠れない。


スマホを手に取り、LINEを開くと、未読が十数件――すべて雪菜からだった。


最新のメッセージには、こうあった。


「お兄ちゃん、明日の成人式が終わったら、二人で話せないかな?」


たった一行の文面に、感情は読み取れない。


けれど、彼女がそれを打ち込んだ時の顔が目に浮かぶ。


赤くなった目、震える指先、唇を噛みしめながら画面を睨んでいたに違いない。


「わかった」とだけ返事を送り、近藤は天井を仰ぎながら、長い息を吐いた。


スキル《精密観察》の効果で、暗がりの中でも視界ははっきりしていた。


窓の外、夜空から舞い降りる雪片のひとつひとつさえ、軌道を描くように見える。


(……部長のあの傷)


透視したときに映った、肩甲骨下の痕跡。


古い傷が、筋肉ごとねじ曲がるように存在していた。まるで何かに殴打されたような、深く、重いもの。

(あれは、単なる事故じゃない……)


そのとき、スマホが震えた。


「6:00 AM 地下室で。遅れるな。――九条瑠璃」


弘一は、そっと目を閉じた。


───


朝五時五十分。


木の廊下をきしませないよう、細心の注意で足を運ぶ。


旅館はまだ静寂の中にあり、彼の靴音だけが薄闇に響いていた。


地下室の鉄扉は少しだけ開いており、隙間から光が漏れている。


そっと押し開けたその瞬間、目の前の光景に息を呑んだ。


琉璃が、工作服に身を包んでいた。


腰には拳銃。高く束ねたポニーテールが揺れ、全身からは緊張感と殺気が滲んでいる。


「部長……!?」

彼女は振り返らず、無造作に黒い衣服を投げた。


「着替えて。三分」


手に取った衣服は、肌にぴたりと密着する奇妙な感触。


「……これ、なんですか?」


「繊維製の防弾スーツよ」


 ようやく顔を見せた彼女は、次に眼鏡ケースを投げてよこす。


「スマートグラス。録画とスキャンができる」


装着すると視界にデータが溢れ出す。


温度、湿度、壁の厚み。まるでSF映画のような情報空間が、現実に重なった。


「帳簿はクラブの地下二階。金庫の中よ。三重のセキュリティを突破する必要があるわ」


近藤はごくりと唾を飲む。


「俺……ただの会社員なんですけど……」


「今さらビビっても遅いわ」


その一歩に、近藤は思わず後退りしそうになる。


だが“観察”スキルは見逃さなかった。


彼女の睫毛に、乾ききらぬ雫が一粒残っていたことを――


「……聞きなさい」


低く、震える声が続く。


「帳簿には、父が政治家に贈った賄賂の記録がある。それを手に入れれば、私はこの家から自由になれる」


彼女の指先が、無意識に肩の古傷へと触れる。


「十年前、母が階段から落ちた――私は……父が突き落とすのを見たの」


弘一は息を呑んだ。

(……だからあの目だったのか)


 静かに尋ねる。


「俺に、何をさせたいんですか?」


 瑠璃の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。


「君の透視能力――金庫の暗証番号を見抜けるわよね?」


───


 午前九時、成人式会場の前。


 弘一はネクタイを何度も締め直しながら、鼓動を抑え込もうとしていた。


(……マジで盗ってきちまった……)


 二時間前。命がけの潜入劇。


琉璃とともに金庫に忍び込み、透視能力で帳簿を発見。


そのページを撮影し、全身を冷や汗でびしょ濡れにして戻ってきた。


「弘一兄ちゃんっ!」


その声に、振り返った瞬間――時が止まった。


雪菜。


純白の振袖に身を包み、真珠の飾りが結い上げた髪に揺れる。


唇は淡く染まり、瞳は星のように澄んでいた。朝の光がその輪郭を柔らかく縁取り、幻想的なまでの美しさを放っている。


「ど、どうかな……似合ってる?」


袖口を握るその手が、ほんの少し震えている。


「……きれいだよ」


正直、見とれていた。


雪菜はにっこりと微笑むと、勢いよく彼の手を取った。

「来て!」


人混みをすり抜け、たどり着いたのは神社の裏手――一本の古い桜の木。


冬だというのに、枝先にはいくつか花がほころんでいた。


「“誓いの桜”っていうの。ここで想いを伝えると、神様が祝福してくれるんだって」


弘一の胸が跳ねた。


(まさか……ここで?)


彼女は彼の前に立ち、両手をぎゅっと胸元で握りしめた。


「昨日の話……ちゃんと続き、言わせて」


その瞳はまっすぐに、揺らぐことなく彼を見据えていた。


「“罰ゲーム”は嘘。でも、話したことは……本当だったの」


 一枚の花びらが、雪菜の髪にそっと舞い落ちる。


「ずっと前から……お兄ちゃんのことが好きだったの」


弘一の思考が止まる。


――ピロリン!


《羞恥ポイント+200(告白)》


《特殊実績解放:初恋の重み》


《羞恥ゲージ:275》


雪菜がそっと背伸びし、彼の唇にキスを落とした。


柔らかく、温かく、淡いチェリーの香りがした。


弘一はそのまま、身動きできなかった。彼女の存在が、自分の世界をすべて覆っていた。


(俺……何やってんだ……)


(十二も年下だぞ……)


(だけど……)


気づけば、彼は雪菜の腰に腕をまわしていた。


「弘一兄ちゃん……」


彼女は胸に顔をうずめ、小さく呟いた。


「部長のこと……知ってるよ。」


全身が凍りついた。


「でも……いいの」


顔を上げた雪菜の瞳には、涙と微笑が共に宿っていた。


「ぜったい、お兄ちゃんを振り向かせてみせるからっ!」


言葉が出なかった。


そのとき、スマホが震えた。


《帳簿、検察に提出済み。父は逮捕された。今夜、部屋に来て。話がある。――九条瑠璃》


腕の中の雪菜と、画面に表示されたメッセージ。


どちらも現実。どちらも逃げられない。


(俺の人生……どこに向かってんだよ……)


《スキル交換:極冷モード(1時間/200点)》


《羞恥ゲージ:75》


脳内に冷水のような感覚が流れ込み、思考が澄みわたる。


弘一は、乾いた笑みを漏らした。


(――これが修羅場ってやつか。超能力がなけりゃ、やってられん)




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