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第11話 借金取り

成人式の夜。


雪菜を送り届けた弘一は、部屋に上がってお茶をする甘い誘いを、迷いながらも断った。


――これ以上、関係をこじらせるわけにはいかない。


そんな言い訳を心に繰り返しながら、彼はその場を離れる。


マンションの前に佇み、彼はふと見上げた。


最上階、琉璃の部屋――部屋に柔らかな琥珀色の明かりが灯っており、女性のシルエットがガラス越しにゆっくりと動いていた。


そのとき、ポケットのスマートフォンが不意に震えた。


表示された名前に、胸がざわつく。


《爺ちゃん》


「どうしたの、じいちゃん?」


「弘一!またあの連中が! 今度はブルドーザーまで持ってきやがった!」


切迫した祖父の声に、全身の血が一気に冷えた。


「なにっ?! 今すぐ――」


続くのは、ガラスが砕ける音。


荒々しい男の怒鳴り声。


祖母の悲鳴。


そして――通話は一方的に、途切れた。


「おじいちゃん!? ……おじいちゃんッ!!」


返ってきたのは、無慈悲な話中音。


弘一はスマホを握りしめた手に力を込め、機械がきしむ音を感じた。


――くそっ!

エレベーターに駆け込み、彼は何度も閉ボタンを叩きつけるように押した。


わずかな上昇時間、彼の頭は激しく回転していた。


ついに来た――開発業者が、本気を出してきた。


祖父母のリンゴ園は、あの地域で唯一、まだ買収されていない土地。


何度か脅されていた。


「売らないなら、どうなるか分かってるよな」と――エレベーターが開くなり、彼は扉を突き破るように駆け出し、琉璃の部屋へ飛び込んだ。


「部長! 休暇をください、今すぐ北海道へ行かないと!」


琉璃は窓辺でワインを手にしていた。


今日の彼女は、シルクのルームウェアをまとい、肩にかかる髪は緩やかに波打ち、いつもの鋭さよりもどこか柔らかい空気をまとっていた。


「理由は?」


息を切らしながらスマホを突き出す。


「祖父母が絡まれてるんです! 強制撤去に来た開発業者が強引に――ブルドーザーまで!」


彼女は通話履歴を一瞥し、眉をひそめた。


「その土地、価値はあるの?」


「開発業者にはただの計画の一部。


でも、祖父母には……一生のすべてなんです!」


声が震え、目の奥が熱を帯びる。


「お願いします、どうしても行かせてください!」


「落ち着きなさい」


琉璃はワイングラスをテーブルに置き、静かに立ち上がった。


「今あなただけが突っ込んで行って、何ができる? ブルドーザーに体当たりでもするの?」


そのまま机に向かうと、手早く小切手に文字を走らせた。


「三百万円。

これでとりあえず、奴らを退かせることはできる」


「そ、そんな大金……受け取れません!」


「勿論、タダというわけにはいかないわ」


琉璃は冷たく言い、小切手を彼の胸元に突きつけた。


「その土地の権利を10%、私に譲って」


「え……それって……」


「投資よ」


指先が、彼の襟元をなぞる。


「あなたの経歴は知ってる。

農大卒、果樹園管理の実績あり。

開発業者に吸い上げられるくらいなら、高級ブランド果樹園として育てていくべきじゃない?」


弘一の脳裏に、リンゴ園で働く祖父母の姿が浮かぶ。


腰を曲げながらも、笑顔を浮かべていたあの姿――


(果樹園を、守れるなら……)


彼は深く、頭を下げた。


「ありがとうございます。

必ず返します……!」


琉璃は鼻で笑った。


「航空券はもう取ってあるわ。

二時間後、羽田発よ」


彼女は寝室を指差す。


「着替えて。

送っていくから」


ベッドにはカジュアルな服と旅行用バッグ。


中には下着、洗面道具、すべて揃っていた。


――まさか、来るのを読まれていた……?


支度を済ませてリビングに戻ると、琉璃はすでにコートを羽織り、玄関に立っていた。


そのスマホには、さっき届いたLineが点灯していた。


「琉璃姉ちゃん、私、お兄ちゃんと付き合うことになったよ!(^▽^)」


送り主:雪菜


弘一の息が止まる。


琉璃は表情一つ変えず、画面をスリープにすると、黙って背を向けた。


「行くわよ。遅れるわ」


――


タクシーの中でも、弘一の思考はさきほどの一文を反芻していた。


(……言っちゃったのか、雪菜)


(ていうか、ふたりって知り合いだったのかよ)


横目で、隣に座る琉璃を盗み見た。


彼女は車窓の外をじっと見つめている。


ネオンの光が頬を照らし、氷のような冷たさを纏っていた。


「部長……雪菜さんとは、どういう関係で?」


「私のいとこよ」


――脳がフリーズした。


「な、なんだって!?」


「驚くことかしら?」


彼女は冷笑を浮かべた。


「あなた、私の家系を調べてたんじゃなかった?」


「い、いや、その……」


「雪菜の母親は、私の父の妹。

両親は長年海外勤務だから、幼い頃は私が育てたの」


(……まさか、雪菜が言ってた“すごいお姉ちゃん”って……)


「ってことは……僕と雪菜のことも?」


「知ってたわよ」


彼女の目が、鋭く光る。


「あなたが初めて、彼女の入浴を覗いた日から」


「ち、違うんです! 誤解です! あのとき湯気がすごくて、何も見えてないんです!」


――ピロリン!


羞恥ポイント+50(黒歴史)


羞恥ゲージ:125


突然、琉璃が弘一の顎をぐっと掴んだ。


「よく聞きなさい。

北海道の件が終わったら、ケリをつける」


爪が肌に食い込み、声が低くなる。


「雪菜ときっぱり別れるか、それとも――」


唇が彼の耳元に近づき、熱い吐息が耳たぶをなぞった。


「私と主従契約を結ぶのよ」


弘一の瞳孔が、限界まで開く。


(な……なんだその悪魔のような選択肢!?)


――


3時間後、札幌空港。


吐く息が白く凍る。


風は容赦なく頬を打つ。


スマホが震えた。琉璃からのメッセージ。


「車は手配済み。


3番出口で運転手が待ってる」


「覚えておいて。

持ち時間は72時間だけよ」


ポケットの中、小切手をぎゅっと握る。


目の前には、雪に覆われた山々が広がっていた。


(……じいちゃん、ばあちゃん。絶対、守る)


スキル発動:「超耐久」(72時間/150ポイント)


羞恥ゲージ:0


能力発動の熱が、全身を駆け巡る。


弘一は3番出口へ、力強く歩を進めた。


(たとえ相手がブルドーザーでも、ヤクザでも……もう、俺は絶対に退かない!)


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