羽田空港の到着ロビー。
人の波をかき分けながら、弘一はキャリーバッグを引いていた。
長い出張の疲れもまだ抜けぬまま、ポケットのスマホが震える。
──LINE、未読10件。
「弘一兄ちゃん!おかえり~!(ノ◕ヮ◕)ノ*:・゚✧」
「明日ね、学校でディベート大会があるんだ。応援に来てくれる?」
「それにね、宇佐美先輩も出るの!(´ω`)」
最後のメッセージには、写真が添えられていた。
制服姿の雪菜と、モデルのように整った顔立ちの青年が、親しげに並んでいる。
男の指先が、雪菜の制服の襟元を優しく直していた。
弘一の眉が、ぴくりと跳ねた。
(宇佐美……? あの劇でロミオを演じた大学生か……)
写真を拡大する。名札の文字が視界に飛び込んできた。
──「法学部四年 宇佐美 翔」
血の気が一気に引いていく。
(こいつ……やっぱりアイツか!!)
──ピロリン。
【羞恥ポイント+20(嫉妬)】
【羞恥ゲージ:90】
深呼吸。
苛立ちを抑え、弘一は冷静にメッセージを打った。
「何時?応援に行く」
返信は一瞬だった。
「午後2時!法学部の講堂だよ!宇佐美先輩も、弘一兄ちゃんに会いたいって♪」
(ほぅ……なるほど、そう来るか)
宣戦布告だな──そう心の中で呟きながら、弘一はシステム画面を開いた。
「能力交換:知恵の加護(3時間/100pt)」
──ピピピン!
【羞恥ポイントが不足しています】
(クソ、あと10ポイント足りねぇ……)
視線をめぐらせた先、ロビーのステージでアイドルグループの握手会が開催されているのが目に入った。
(……やるしかねぇ!)
──5分後。
応援グッズを装着し、弘一は人混みの中で叫んでいた。
「女王様!この足で踏みつけてくださいッッ!!」
そそくさに警備員に引き離された弘一は、周囲の視線と集中砲火のようなシャッター音を浴びる。
──ピロリン!
【羞恥ポイント+30(公衆の面前での変態発言)】
【羞恥ゲージ:120】
(これで、準備は整った)
──翌日午後。
東京大学法学部・講堂。
弘一はスーツに身を包み、堂々と現れた。
遠くから駆け寄ってくる雪菜の笑顔が、無防備すぎて眩しかった。
「弘一兄ちゃん、来てくれてありがとうっ!」
深い藍色の制服、ポニーテール、凛とした瞳。
昨日までの妹とは、どこか違って見えた。
「はじめまして、弘一さんですね?」
その声が割り込んだ。
振り返ると、そこには宇佐美翔。
長身、整った顔立ち、堂々たる佇まい──そして不敵な笑み。
「雪菜さんから、よくお話伺ってます。“まるで父親のような存在”だって」
(……父親だと……?)
怒りがこみ上げるも、弘一は微笑んだ。
「いやいや、妹みたいなもんですよ」
「素敵な関係ですね」
そう言って、宇佐美は自然に雪菜の肩を抱く。
「うちの両親も、彼女には早く嫁いできてほしいって言ってるんです──」
「せ、先輩っ!」
顔を真っ赤にした雪菜が割り込む。
「も、もう時間です!準備しないとっ!」
去り際、雪菜は振り返って手を振った。
「弘一兄ちゃん、応援しててねっ!」
(ああ、見せてやるさ。お前の“ロミオ”の鼻を折る瞬間をな──)
弘一は再びシステムを起動。
「能力交換:知恵の加護(3時間/100pt)」
【羞恥ゲージ:20】
先人の言葉や文献が流れ込み、目の前のポスターが目に留まる。
──『AIに法的人格は認められるか?』
(ふん、タイムリーだな。つい先週、九条課長とこの件を論じたばかりだ)
──そして、開幕。
宇佐美は否定側の主張者として、完璧な話術で場を支配する。
対する肯定側──雪菜は、質問に言葉を詰まらせ、苦戦していた。
観客席では、教授たちが眉をひそめる。
質問タイム。
弘一が立ち上がった。
「EUが提唱する電子人格を巡る第17条の規定について、否定側の見解を伺いたい」
会場がざわつき、翔の目が泳いだ。
「ええと……17条については……」
「高度AIの刑事責任能力を否定しています」
立ち上がるのとほぼ同時に、弘一は滑らかに主張を紡いだ。
「つまり、否定側の“AIであれば法的人格は一切認めるべきではない”という主張と、明確に矛盾しているのです」
教授陣が顔を見合わせる。
「さらに、2018年東京地裁判決は、AIそのものではなく、開発者責任を問うものです」
「一つまででお願いします!」
司会者が慌てて止める。
──結果、雪菜のチームは逆転勝利を収めた。
「弘一さん、もしかして……弁護士か何かですか?」
「いえ。ただの会社員ですよ。たまたま、少し読んだだけです」
翔は笑みを浮かべたが、その引きつった口元は悔しさを隠しきれずにいた。
「……でも、若い才能に大人は静かに道を譲るべきです」
──ピロリン!
【羞恥ポイント+50(侮辱)】
【羞恥ゲージ:70】
「やめてください、先輩!」
雪菜が飛び込んでくる。
「弘一兄ちゃんを侮辱する人がいる部活なんて、私、もういたくない!」
気まずくなった翔は、そそくさと去っていく。
「……ごめんね、弘一兄ちゃん」
雪菜のかすかに震えた声が耳元で囁かれる。
無言で彼女の頬に手を添え、優しく撫でる。
「……助けてくれて、ありがとう」
雪菜は目元に涙を浮かべながらも微笑み、
そっと背伸びして、弘一の頬にそっと唇を寄せた。
「……ご褒美をあげるね♪」
──ピロリン!
【羞恥ポイント+30(公衆の場でのキス)】
【羞恥ゲージ:100】
頬の熱が、引かない。
(……やばい。これ、本気かもしれない)
その時、スマホが震えた。
「楽しかった? 今夜の約束、忘れてないわよね」
琉璃からのメッセージ。
弘一の笑みが、凍りついた。
(……いよいよ、波乱の幕が上がる)