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第16話 地下格闘

午前一時。

新宿・ゴールデン街の裏路地にて。

弘一はゴミ箱の脇に腰を下ろし、スマホ画面を無言で見つめていた。


残高表示には、2500万円。


そして琉璃から受け取った300万円を足しても、目標の3000万円には届かない。


――あと200万。果樹園の借金は返したが、再建の資金がまだ足りない。


そんな時、スマホが震えた。見知らぬ番号から、一通のメッセージ。


「金欠? 地下格闘場で“耐打ち役”を募集中。一試合50万。――連絡先:黒崎」

添付された住所は、池袋にある廃ビル。


弘一は眉をひそめた。あの競馬場での女装騒動以降、怪しげなオファーは絶えなかった。


だが今回の文言には、妙な現実味があった。


(……50万? 俺の月給を軽く超えてるじゃないか)


逡巡のあと、弘一はメッセージに返信していた。


***


池袋の廃ビルは、壁一面に落書きが広がっていた。入口前には、タトゥーだらけの大男が二人、無言で睨みを利かせて立っている。


「新人か?」

一人が弘一の痩せた体を見下ろしながら、不敵に笑う。


「まずは免責契約にサインな」


差し出された書類には、たった一文のような条項が書かれていた。


――死亡しても、一切責任を負いません。


「ルールは?」


「5分間、気絶しなけりゃ勝ちだ。ただし、3分も持った奴はいねえ」


金歯をギラつかせて笑う男の顔に、弘一は無言でサインした。


(……システム、“超耐久”の上位スキルを交換!)


「交換:超耐久+痛覚鈍化(3時間/200ポイント)」


「――羞恥ポイントが足りません」


(クソッ、あと150ポイント……)


目を上げると、廊下の壁に貼られた告知が目に飛び込んできた。


【罰ゲーム募集】


犬の首輪を着用し、四つん這いで入場すれば、報酬が倍額になります。


(……やるしかない)


***


数分後。


弘一はトゲ付きの革製首輪をつけ、観客の爆笑とフラッシュの中、四つん這いでケージに這い出た。


「うわっ、マジで来たよ犬っころ!」


「撮れ撮れ! バズり確定!」


羞恥が全身を焼いた。


――ピロリン! ピロリン!


《羞恥ポイント+100(極端な羞恥)》


《羞恥ゲージ:150》


(これで足りる!)


すぐさまスキルを交換し、肉体に異変が走る。


筋肉が凝縮し、神経が鈍る。これならいける。


「ラウンド1!」


「餓虎 vs クズ犬!」


二メートルはあろうかという筋肉の塊がケージに現れる。


客席は大歓声に包まれた。


「ちっこいの、後悔しながら沈めてやるよ」


ゴングとともに、巨漢の拳が迫る――!


ドガッ!


鉄柵に叩きつけられた弘一。しかし、痛くない。


(……成功だ)


ふらりと立ち上がり、唇の端をつり上げた。


「……それだけか?」


観客がどよめき、巨漢が激怒する。


嵐のようなラッシュが襲うが、弘一の体はゴムのように打撃を吸収した。


(余裕がある……相手の隙も見えてくる)


「2分30秒!」


「まだ立っているぞ、新人!」


観客の声が驚きへと変わっていく。


5分が経過した瞬間、弘一はまだ立っていた。巨漢は肩で息をしている。


「勝者――クズ犬!」


弘一は首輪を外し、100万円の小切手を受け取った。


観客が顔に浮かべているのは、もはや嘲笑ではなかった。


黒崎が歩み寄る。


「明日、“デスマッチ・車輪戦”がある。10ラウンド耐えりゃ、500万だ。どうだ?」


弘一は血を模した塗料をぬぐい、低く答えた。


「乗った」


***


朝焼けが東の空を染めるころ、弘一は再びスマホを確認した。


《羞恥ポイント+150(パフォーマンス)》


《現在の羞恥値:300》


(あと一日、もう一稼ぎすれば果樹園は救える)


その時、スマホが鳴る。画面には“雪菜”の文字。


「お兄ちゃん、どこにいるの!? 一晩中、連絡取れなかったんだよ……!」


未接着信が十数件。胸が締めつけられた。


「ごめん、会社で残業してて――」


「うそつき!」


「琉璃お姉ちゃんが、帰ってないって言ってた! 本当に、大丈夫なの!?」


弘一は一瞬、答えに詰まり、それでも優しく言った。


「ほんとに、大丈夫だよ。明日、会って話そう。な?」


通話を切ると、すぐに琉璃からのメッセージが届く。


「命がけで稼ぐなら、棺桶も忘れずに」


添付されていたのは、首輪をつけて四つん這いになっている自分の写真。


弘一は思わず苦笑した。


(この女……どこまで見てんだか)


***


その翌晩。


鉄ケージの中、弘一は再び立っていた。


今度は5人との車輪戦。


しかも、使用武器は「鉄器材OK」。


3人目が鉄パイプを手に取った瞬間――


《スキル:痛覚鈍化 終了》


(……切れた!?)


鋼の一撃が背中を襲い、痛みが脳を貫いた。視界が霞み、膝が崩れる。


「お兄ちゃん!!!」


群衆の喧騒を切り裂くような、泣き叫ぶ少女の声。


弘一は意識を手繰り寄せるように顔を上げた。鉄柵の外に、涙を流しながら必死で門を揺らす雪菜の姿があった。


(なぜここに……?)


視界が白んでいく中で、彼が最後に見たのは、琉璃が護衛を率いて会場に突入してくる姿だった――


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