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第17話 修羅場

鼻をつく消毒液の匂いの中で、弘一は静かに目を開けた。



白い天井、吊るされた点滴パック。視界の端で人影が揺れた。


「目が覚めた?」


右側から聞こえたのは、あのよく通る声。


琉璃が白衣姿で、無造作にまとめた長い髪を揺らしながら、カルテを手に立っていた。


ここがどこか、ようやく弘一は理解した。——高級診療所のVIP病室。静けさと重苦しさが同居する空間だった。


「部長、俺……」


「肋骨三本にヒビ。脾臓は軽く出血。あと三十分搬送が遅れてたら、今ごろあんたは冷たくなってたわ」


冷えた声音が、体温よりも痛みを呼ぶ。


弘一は身を起こそうとしたが、胸の奥から激痛が突き上げ、思わず息を呑んだ。


「雪菜は……?」


「着替えに帰ったわ。一晩中、そばにいたのよ」


カルテを閉じた琉璃のハイヒールが、点滴のチューブを優しく、しかし意味深に踏みつけた。


「じゃあ、説明してもらおうか。どうして妹が、あんな場所にいたのかしら?」


 弘一は言葉を失い、唇を噛んだ。


 だが、次の瞬間——


 琉璃が身体を屈め、紅い唇が彼の耳元に近づく。


「あなた、あの子の香水がついているわね」


 背筋が凍る。


 彼女の爪が、ゆっくりと鎖骨をなぞる。


「北海道にいたあの日の夜。リンゴ園の倉庫で——いったい何を?」


 ——ピロリン!


《恥辱ポイント+100(秘密露見)》


《恥辱ゲージ:400》


「……雨宿り、してただけで……」


「嘘ね」


 スマートフォンが掲げられる。


画面に映るのは、雪菜が弘一にキスする瞬間の一枚。


「診療所の監視カメラには、もっと生々しい映像が残ってるけど? ……見せてあげようか?」


声の色は甘いが、棘がある。


弘一は目を閉じた。


(終わった……)


その時——


ガチャッ!


「弘一兄ちゃん!」


雪菜が保温容器を抱えて飛び込んできた。


琉璃の姿に気づくと、その表情が一瞬で強張る。


「琉璃お姉ちゃん……? どうしてここに……」


「社員の見舞いよ——それよりあなた、夜通し家を空けて、父親に黙っていないでしょうね?」


雪菜の頬から血の気が引いた。


弘一は慌てて口を挟む。


「雪菜、俺は大丈夫だから、今日はもう……」


「イヤ!」


 彼女は泣きそうな顔で、弘一の腕にぎゅっとしがみついた。


「看病は私がするの!」


琉璃の目がすうっと細くなる。空気が、凍りついた。


「ふふっ、面白いじゃない」


琉璃は静かに微笑んだ。


「弘一、どうやらあなた——答えを出したのね」


彼女は踵を返し、ヒールの音を鳴らしてドアへと歩き出す。


「部長、違うんです! 誤解です!」


必死に叫ぶ弘一に、琉璃は背中越しにひらひらと手を振った。


「3日後、辞表を持ってオフィスに来て」


扉が閉まった瞬間、雪菜が涙をこぼした。


「ごめんなさい、私のせいで……!」


弘一は痛みに耐えながら、彼女の背をさすった。


「いや……違う。そうじゃない」


「実は……」


 涙をぬぐいながら、雪菜はカバンから一束の書類を取り出した。


 弘一が目を通すと、それは——北海道農業振興基金の助成契約書。


そこには、ちょうど五百万円の金額が記されていた。


「わ、私……おじいちゃんの知り合いを頼って、どうにか資金を……」


「これで、リンゴ園、助かるよ!」


弘一の胸に熱いものが込み上げた。


(この子……ずっと影で俺を支えてくれてたんだ……)


衝動的に、雪菜を抱きしめる。


「ありがとう……本当に……」


彼女の体が小さく震えたかと思うと、顔を上げた。


「お兄ちゃん、琉璃お姉ちゃんとは……どんな関係?」


弘一の動きが止まる。


(どうする……主従関係? 恥辱システムと答えるか?)


悩んだ末、彼は苦笑してつぶやいた。


「ちょっと……複雑な関係でね」


 雪菜は黙って頷いた後、ふっと耳元へ顔を寄せて囁いた。

「じゃあ……私とは?」


ふっとかかった甘い息に、弘一の胸には電撃のような衝動が走った。


——ピロリン!


《恥辱ポイント+50(恋のもつれ)》


《恥辱ゲージ:450》


(このタイミングでポイント加算って……!)


返答に困っていると、病室の扉が再び開いた。


「面会時間は終了です」


看護師の声に、雪菜はしぶしぶ立ち上がる。


ドアの前でふと振り返り、そっと口を動かした。


「……明日は成人式なの。来てくれる?」


弘一は頷いた。


雪菜は満面の笑みを浮かべ、「だいすき」と口パクし、静かに扉を閉じた。


静まり返った病室。弘一はベッドに仰向けのまま、天井を見つめた。


次の瞬間、スマホが震えた。


【明日の成人式、私も出席するわ】


【覚悟しておいて】


琉璃から届いた一行の文字が、鋭利な刃となって胃の奥に突き刺さる。


地下格闘で喰らった一撃より、よほどこたえた。


《スキル交換:高速回復(200点)》


《羞恥ゲージ:250》


癒しの力がじんわりと身体を包み、痛みは引いていく。


けれど弘一の口元には、乾いた笑みしか浮かばなかった。


(治ったところで何になる。必要なのは、修羅場を乗り切れる“運”だ……)



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