腫れあがった右頬を押さえながら、弘一は東京国際ジュエリーショーの入口に立ち尽くしていた。
(……あの平手打ち、マジで殺す気だったんじゃ……)
成人式から三日が経った。
果樹園の権利証は凍結され、九条家はあからさまに「東京で生きられなくしてやる」と言いふらしている。
雪菜は本邸に軟禁され、弘一には二十通以上の不採用通知が突きつけられた。
そんなとき、スマホが震えた。
黒崎からのメッセージ。
「今回は特別にミャンマー産原石のオークションが開催される。場所は池袋の東武ホテル。今夜8時。現金を忘れるな」
リュックの中にある札束を確認する。
二百万円――あの格闘場、最後の試合でもらった血と汗の報酬だ。
(……賭けるしか、ないか)
会場の空気は異様だった。
まるで違法カジノ。
薄暗い照明の下、カットされていない翡翠の原石が並べられ、商人たちが懐中電灯で覗き込んでいる。
「ラスト一品。モシシャ鉱区の原石、スタート価格150万!」
灰色の石に目を凝らし、《透視》が発動される。
瞬間、石の皮が薄膜のように透けて見え、その奥には澄んだ碧緑の輝き――完璧な翡翠が見えた。
透明度は充分、ヒビもなし。三千万は下らないだろう。
「160万!」
弘一は迷いなく札を上げた。
「200万!」
金縁眼鏡の男が即座にかぶせてくる。
「210万……」
歯を食いしばりながら、弘一は声を絞り出す。
「250万」
鼻で笑った金縁が言い捨てた。
「貧乏人が賭石か?」
――ピロリン!
《恥辱ポイント+20(侮辱)》
《羞恥ゲージ:520》
拳が震える。
だが、次の瞬間――
「300万!」
ハッキリとした声が場内を震わせた。
少しの沈黙の後、会場にざわめきが走る。
明らかに見た目以上の額――狂気ともいえる賭けだった。
「狂ってるな……」
金縁は肩をすくめ、勝負を降りた。
落札のハンマー音が響く。
背中は汗でぐっしょりだ。
カードを切る手は震えていた。
原石を胸に抱き、切削ブースへと向かった。
――砂輪が火花を散らす。
その刹那、周りの目が殺到した。
「出た!緑が出たぞ!」
「まさか……高品質の陽緑翡翠!?」
「この透明度……五千万以上の価値だ!」
金縁眼鏡の顔から血の気が引いていく。
弘一は切り出された翡翠を両手で抱え、歓声の中、堂々と出口へ向かった。
だが、そこに立ちはだかったのは、屈強な男たち三人。
「うちの会長が話しをしたい、来てもらおう」
通されたのは、ホテル最上階の豪奢な個室だった。
静かに茶を淹れる老人の指には、翡翠の指輪。
名刺が差し出される。
《三菱ジュエリー 取締役会長 藤原健一》
(……九条家のライバル!?)
「五千万でその翡翠を買いたい。あと、うちの鑑石顧問にならないか?月給二百万でどうだ?」
弘一の喉がごくりと鳴った。
「……なぜ、俺を?」
「九条の連中に一泡吹かせる若造は面白ぇ。ワシは好きじゃのう」
藤原の目が細まり、にやりと笑う。
一瞬で理解した。これは――九条家を狙って仕掛ける商戦の担い手を求めている。
(……だが、今の俺に金は必要だ)
そのとき、スマホが光る。
雪菜からの位置情報。そして一言だけのメッセージ。
《助けて!》
「すみません、急用が入りました!」
椅子を蹴るように立ち上がり、藤原に頭を下げる。
「腹が決まったら、顔出しな」
藤原は深く茶を啜りながら、意味深な笑みを浮かべた。
タクシーの中。
地図アプリを何度も更新する。
雪菜の位置は動いていたが、やがて――
「……九条グループ本社ビル!?」
心臓が跳ね上がる。すぐに能力を起動する。
《能力交換:隠身(30分/300点)》
《羞恥ゲージ:220》
身体がゆっくりと透明になっていく感覚――
(どんな危険が待ち受けていようと……雪菜を、必ず助け出す!)
その瞳に、恐れはなかった。あるのは――
怒りと、誓い。