夕陽に染まる九条グループ本社ビルのガラス壁面は、どこまでも冷たく、威圧的に輝いていた。
弘一は《隠身》スキルを発動し、人目を避けて社員用エレベーターに滑り込む。
指が迷わず最上階のボタンを押した。
(雪菜が……なぜここに?)
扉が開いた瞬間、視界に飛び込んできた光景に、弘一が凍りつく。
雪菜が、会議室の椅子にきつく縛りつけられていた。
口には無造作にテープが貼られ、抵抗する術もない。
九条家の当主は杖をつきながら近づき、無表情でその顎を持ち上げる。
「最後にもう一度聞こう。あの男が、琉璃の弱みを握っているのか?」
雪菜は首を強く横に振った。
その反抗に、当主の平手が無慈悲に頬を打つ。
――ブチッ、と何かが切れた音が、弘一の胸の内に響く。
握った拳には爪が食い込み、血の匂いが漂った。
(……システム、今すぐ《戦闘本能》を交換しろ)
《交換完了:格闘マスター(30分/200ポイント)》
《羞恥ゲージ:20》
四肢に力が満ちた瞬間、弘一は傍にあった花瓶を手に取り、監視カメラ目がけて振りかぶった。
ガシャアァンッ!
「何者だ?!」
警備員たちが慌てて銃を構える。
だが、すでに弘一は《隠身》のまま当主の背後に回り込んでいた。
鋭く放った手刀が首筋を打ち、老人の身体が崩れ落ちる。
「旦那様っ!」
騒然とする警備員たちが次々に引き金を引くが、弾丸は残像を貫き、壁に飾られた油絵を穴だらけにするだけだった。
瞬間移動のように、弘一は雪菜の前に現れた。
手早くテープを剥がし、顔を覗き込む。
「大丈夫か?」
「弘一兄ちゃん?!」
涙で滲む瞳が大きく見開かれる。
「なんでここに……」
「質問は後だ。しっかりつかまれ!」
弘一は雪菜を背負い、怒号と銃声が飛び交う廊下を駆け出す。
だが、その先に立ちはだかる影――九条琉璃だった。
「部長、退いてください!」
緊迫する空気の中、琉璃は無言でセキュリティカードを取り出し、ドアロックにかざす。
カチリと音を立てて通路が開く。
「早く行きなさい」
一瞬だけ目を見合わせる。
弘一は頷き、迷わず駆け抜けた。
背後で琉璃の声が響く。
「使えない連中ね……年寄りと子ども一人、抑えられないとは」
――
安全ハウスの静寂の中。
弘一は雪菜の手首に残る縛り痕を、丁寧に包帯で隠していく。
「どうして捕まったんだ?」
雪菜は震える指でスマホを操作し、アルバムを開いた。
そこには、彼女の姉――九条琉璃と弘一が並んで写る、数々の親密な写真があった。
「お祖父様が気づいちゃったの……お姉ちゃんが、弘一兄ちゃんのこと……好きだって」
「それで私を人質にして、政略結婚を迫ろうとしたの」
弘一の思考が止まる。
(……あの時、九条琉璃が俺たちを通したのは……まさか)
その瞬間、スマホに新着メッセージが届く。
――藤原健一。
「考えはまとまったか? 九条家のスキャンダルなら、まだ山ほどあるぞ」
添付されたファイルには、九条家当主の賄賂の記録がはっきりと映し出されていた。
雪菜はそっと弘一の手を取り、その震えを静かに包み込んだ。
「弘一兄ちゃんがどんな決断をしても……」
涙に潤んだ瞳で、まっすぐに彼を見つめる。
「私は、ついていくよ」
遠くでサイレンの音が鳴っていた。
警告のように、それとも夜明けの予兆か。
弘一は微笑んだ。
「……いいや、今回は俺の番だ。君たちを、守るのは」
スマホの画面に、指が静かに触れる。
送信ボタンを押す前に、一言だけ呟いた。
「……全部、終わらせてやるよ」
《条件変更:九条姉妹の無事な離脱を保証してほしい》
――【最終決戦編・つづく】