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第21話 彼女の真実

銀座のパークハイアット。


その最上階スイートルームには、緊張感が漂っていた。


藤原健一は、高価な葉巻を水晶製の灰皿にねじ込むと、目の前の男に静かに問いかけた。


「……面白い。九条家の企業機密と引き換えに、儂の政界への影響力を欲するか?」


わずかに視線を逸らすも、弘一は眼差しで切り返す。


「いいえ。その引き換えに欲しいのは、彼女たちの自由です」


一瞬の静寂ののち、藤原が豪快に笑い出した。


「ハッ、まるでドラマの主人公が言うセリフじゃな! 百年の歴史ある九条家が、こんな写真ごときで揺らぐとでも?」


弘一は答えず、黙ってスマホを差し出した。


そこには映像が再生されていた――九条家の当主が、自らの口で妻の殺害を認める決定的な音声。


藤原の笑みが、まるで氷のように固まる。


「……どこで手に入れた?」


「それは重要ではありません」

弘一は無造作にUSBメモリをテーブルに置く。


「中には、あの男の二十年間の不正記録がすべて入っています。宝石協会を丸ごと掌握するのに十分な内容ですよ」


藤原の指が無言でテーブルを叩く。やがて低く問いかけた。


「……条件を聞こう」


「一つ、九条琉璃の政略結婚の話を白紙に戻すこと」


「二つ、雪菜に北海道のリンゴ園を返還すること」


「三つ目は……」

弘一は深く息を吸い込んだ。


「その後の後始末のため、一週間だけ猶予をいただきたい」


藤原の目が細まり、その奥に洞察の色が灯る。


「……若造、何をするつもりだ?」


弘一は黙って横に視線を送る。その先で、雪菜が静かに彼の手を握っていた。

彼女の瞳には、揺るぎない信頼が宿っていた。


三日後。


東京地検特捜部が九条グループに家宅捜索を実施。


家主は殺人容疑で現行犯逮捕――そのニュースは、瞬く間に日本中を駆け巡った。


テレビでは、臨時会見の場に新社長として現れた九条琉璃の姿があった。


漆黒のスーツに身を包み、鋭い視線と沈着な声で語る。


「九条グループは、全面的に捜査に協力し、被害者遺族のための補償基金を設立いたします」


客席の片隅では、キャップを深く被った弘一が、無言で彼女を見つめていた。


そのスマホが、ひときわ小さく震える。


──「今夜8時、いつもの場所で」


銀座の会員制バー「Luna」、その奥のVIPルーム。


琉璃は一束の書類を弘一の前へ滑らせる。


「航空券、パスポート、スイスの口座情報。ヨーロッパで一生困らないだけの資金も含めてあるわ」


弘一はその書類に目もくれなかった。


「……部長は、俺を日本から追い出したいんですか?」


「違うわよ」

琉璃は冷笑を浮かべた。


「これは口止め料。誤解しないで」


彼女のハイヒールが、わざとらしく弘一の足をかすめる。


「雪菜は明日、イギリスへ留学するわ。もし本気で彼女を思っているのなら――」


だがその言葉を遮るように、弘一は彼女の足首をつかんだ。


「……妹さんは、ご存じなんですか? 部長が、俺のことを……好きだってこと」


グラスが床に落ち、砕ける音がルームの静寂を裂く。



「……な、なにを言ってるの!」


「じゃあどうして、俺が雪菜に近づくたびに“恥辱値”が急上昇してるんですか?」


弘一はスマホの画面を琉璃に見せる。


そこには彼女の感情の波が、克明に記録されていた。


琉璃の顔から、見る見るうちに血の気が引いていく。


「……あなた、最初から……」


「覚えてますか? 俺たちが初めて会った日」


「七年前の新人研修会で、部長に『コーヒーもまともに淹れられないの?』って叱られた時――あの瞬間、俺はもう恋に落ちてたんです」


琉璃の睫毛が微かに揺れる。


「……じゃあ、雪菜は?」


「彼女とは“契約恋人”でした。二人を守るための偽りの関係です」


弘一はもう一度スマホを操作し、録音を流した。


「お姉ちゃんが幸せになれるなら、私は……身を引く」


雪菜の声が、静かに、けれども確かに響いた。


琉璃はその場に座り込み、握った拳に爪を食い込ませる。


「……ほんと、バカね。二人とも」


彼女の瞳から零れた雫は、静かに重ねた二人の手を濡らした。

翌朝、成田空港。


雪菜がスーツケースを引きずりながら、全速力で駆けてきた。


「弘一兄ちゃん!お姉ちゃんから、全部聞いたよ!」


封筒を差し出しながら、彼女は笑顔で続ける。


「これ、果樹園の地契! あとね……」


つま先立ちになり、耳元にそっと囁く。


「お姉ちゃん、大学の頃からずっと弘一兄ちゃんのこと好きだったんだって」


弘一が遠くを見やると、ベンツの横に寄りかかる琉璃が、サングラスの奥からほのかに微笑んでいた。


彼は雪菜の頭を優しく撫でる。


「ロンドンに着いたら、無事を知らせてくれよ」


「うん!」


そう言って雪菜は、彼の頬にそっとキスをした。


「未来のお義兄ちゃんへの、さよならのプレゼント!」


──ピロリリリン!


《最終ミッション達成》


《実績解除:真実の愛forever》


飛行機が雲を突き抜けてゆく。


その下、弘一は九条琉璃に歩み寄り、手に持った地契を軽く揺らして見せた。


「部長、北海道の果樹園に……投資しませんか?」


冷たい仮面を取り払うように、琉璃はサングラスを静かに外し、ぬくもりを含んだ微笑みを浮かべた。


「……いい加減、琉璃と呼びなさい」


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