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第22話 東京タワーでの告白

成田空港での別れが、まるで夢のようにずっと胸に残っている。


夜風に吹かれながら、弘一は東京タワーの展望台に立っていた。


手には、二枚の入場券。


くしゃりと軽く握りしめたそれは、彼の心の迷いを映すようだった。


背後から聞こえてきたのは、記憶に染みついた高いヒールのリズム。


彼は振り返らず、静かにため息をひとつつく。


「部長、17分の遅刻ですよ」


風に乗って届いた声は、どこか冷ややかで、しかし懐かしさを孕んでいた。


「取締役会が長引いたの」


九条琉璃は、いつもの冷徹な黒ではなく、深い藍色のワンピースを纏っていた。

夜風に揺れる髪が、月明かりにふわりと踊る。


弘一はそっと視線を向けた。


戦う女の鎧を脱いだ彼女は、展望ガラスに映る自分の髪をそっと整えるような、そんな些細な仕草にも戸惑いを見せていた。


「それで?」

腕を組み、東京の夜景を見つめながら彼女は言う。


「どうして、わざわざこんなところで?」


「“口止め料”を、お渡しに来ました」


弘一はポケットから小さな箱を取り出し、静かにその蓋を開いた。


そこには、飾り気のないペアリングが一対、静かに並んでいた。


一瞬だったが、彼女は息をするのを忘れていた。


「正気じゃないわね」


彼女は背を向け、足早に歩き出そうとする。


「明日には、伊藤家と婚約の話が——」


「伊藤製薬は買収の撤退を発表しました」


その言葉とともに、弘一はそっと彼女の手首を掴む。


「藤原健一が、彼らの株を15%取得したんです」


「……何をしたの?」


振り返った琉璃の瞳には、怒りとも驚きともつかない光が宿っていた。


「ただ、藤原さんに面白いものをお見せしただけです」


弘一が差し出したスマホには、伊藤社長が記者会見で深々と頭を下げ、財務不正を認める姿が映し出されていた。


琉璃の目に驚愕の色が浮かぶ。


「全部……最初から仕組んでいたの?」


「部長が初めて僕に“恥辱値”をくれた日から、僕の人生は変わりました」


彼はそう言って、指輪を彼女の指先にそっと押し当てた。


夜風が彼女の髪の香りを運ぶ。


弘一はそっと身をかがめ、言葉を紡ごうとした。


「琉璃さん、僕は——」


「黙りなさい」


琉璃は、そっと人差し指を彼の唇にあてがった。


「そんな言葉は、式のときまで取っておきなさい」


夜空に瞬く光が彼女を優しく包み、透けるような耳朶は紅く染まり、まるで宝石のようだった。


──ピロリン!


「最終実績達成:真実のキス」


「システム通知:本プログラムは10秒後に自動アンインストールされます」


スマホの画面に表示されたカウントダウンを見つめながら、弘一はふっと笑みをこぼした。


(そうか……最大の“恥”って、自分がとっくに恋に落ちていたってことを認めることなんだな)


カウントが静かに終わりを迎えた瞬間、彼の唇が彼女に触れた。


長い想いと覚悟を込めた、たった一度の口づけだった。


東京の夜景は、光の波紋のごとく彼らの足元に広がり、始まりを告げた社畜の逆襲伝説を鮮やかに照らし出していた。


【最終章・真愛編・完】



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