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#10

     8


 アルルボは、ホンロンを押し除けるようにして前に出た。


「お待ちください、閣下。ここにかのウオル家の聖宝があるなどという話は存じませんが」


「それはそうだろう。それについては、ウオル家秘伝に属することだから」


 ホンロンは、アルルボの意識が自分に向けられるのを感じた。


 どうやら彼も察したらしい。


 だが、アルルボの警戒心は、相変わらずランダンに向けられたままだった。


「それで、ツェンカ・トルウォル捜索の目処はおつきなのでありましょうか?」


 ランダンの片眉が上がった。


「無論だよ、アルルボ・カイサン。だがことは秘密裏に進められなければならない。わかるだろう?」


 ランダンは、薄い唇を捲り上げ、笑みを浮かべて見せた。だが、その内奥には、苛立ちが渦を巻いているのがわかる。


「正直に言えば、ここで発見されたことに、わたしは驚き戸惑っているのだよ。きみが誰に忠誠を誓っているか、よく知っているからね」


 アルルボは深々と頭を下げる。全身から強い嫌悪の感情を発散しながら。


「わたしは正しきことに忠実であるだけです」


「結構なことだ。ではそこで、黙ってわたしの正しきやりようを眺めているがいい」


「ですがここは――」


 そう言いかけて、アルルボは背後から二の腕を掴まれていることに気づいた。


 いつの間にそこにいたのか、天井に頭がつかえそうな巨漢が、アルルボを見下ろすように睨みつけていた。


「邪魔が入らないように、しっかり見張っていろ、ブヘス。ここの人間は、ほぼ全員がタイガン派と言っていい。ヌラゼロたちはどうした?」


 ランダンの問いに、ブヘスという名の巨漢はホンロンにちらと目をやった。


「おっつけやってくるでしょう。その男にのされたせいで、しばらく動けなかったようです」


 ランダンは額に手を当て、やれやれとばかりにかぶりを振った。


「のろまめ。まったく、ものの役にも立たないな。まあ、その男を足止めできただけでもよしとしてやるか」


 言い終わるや、ランダンは今度こそまっすぐにホンロンに視線を定めた。


「さあて。おまえがツェンカ・トルウォルを持っていることは間違いがない。あれは本来ウオル家の聖宝。返してもらおう」


 本能が、この男に渡してはならないと告げていた。


「わたしは一介の旅行者です。その聖宝がどのようなものかも……あ、いたた!」


 ブヘスはアルルボを投げ捨てるようにして手を離し、かわりにホンロンの肩に指を食い込ませた。


 怪力に骨が歪む。


「お、おやめください、肩が……」


 ホンロンは大袈裟に痛がってみせた。同時に、苦痛に鈍感になっている自分に気づき、心の中でため息をつく。


「いかにとぼけようと、調べはついている」


 ブヘスはホンロンを無理やり引き寄せ、外衣に反対の手をかけて力任せに引き剥がした。


 肩から下げた振り分け荷物があらわになる。ブヘスはそれを奪い取って机の上に置くと、さらにホンロンの身体をまさぐり始めた。


「他に持っているものはないようです。おそらくその中に」


 ブヘスの言葉にひとつ頷いてから、ランダンはちょうど部屋の戸口に姿を見せた人影に向かって顎をしゃくった。


「遅い。なにをしていた、ヌラゼロ」


「閣下」


 息を切らせながら、髭面のヌラゼロが頭を下げる。


「ヌラゼロ、おまえ――」


 苦しげに息をつきながら、アルルボが身を起こそうとする。ブヘスはホンロンを掴んだまま、苛立たしげに警邏隊長を踏みつけた。


 声も立てず、アルルボはふたたび床に倒れ伏す。


 その様子を不機嫌顔で眺めながら、ランダンはヌラゼロに視線を戻した。


「まあよい。その荷物を改めろ」


「これで、ございますか?」


 ヌラゼロは、おそるおそるといった体で前に出ると、ホンロンの荷物に手をかけた。


「それとわかる短剣が入っているはずだ。探せ」


「へ、へい」


 こわばった顔でヌラゼロが荷物を解き始める。


 ランダンは警戒しているようだったが、あえて荷物にはなんの仕掛けも施していなかった。物盗り程度なら取り返す自信はあったし、こういう状況では、普通を装うのが最も重要だと考えたからだ。


「こ、これでしょうか」


 ヌラゼロが上目遣いにランダンを見る。


 その手が開いた籠の中に突っ込まれ、布に巻かれた細長いものを取り出そうとしていた。


「お待ちください、それは主人から託されたもので――」


 ホンロンは動揺を装って声を上げた。間髪を容れず、ブヘスの拳が鳩尾に食い込む。


 そこまでは想定内だった。ホンロンは、苦悶のうめきを漏らして膝をつきながら、短剣がランダンに手渡される様子を確かめようと目を向けた。


 突然、目の前が真っ白になった。


 短剣のあたりから、目をくらませる閃光が放たれたのだった。


「わっ!」


 ヌラゼロの驚き慌てる声が聞こえた。それに反して、してやったりの感覚が伝わってくる。


「くそっ、か? それを放すな、ヌラゼロ!」


 ランダンの声に、ヌラゼロが裏返った声で返す。


「もちろんです、閣下!」


 だが、すでにヌラゼロは開け放たれた外口へ向かっていた。


 ホンロンはそれを追いかけようと身を翻したが、ふたたび肩を掴まれ、引きずり戻された。


「どこへ行く」


 頭上からブヘスの声が聞こえた。


 ホンロンはうんざり顔を隠さなかった。この場の誰も目が見えていないことを知っていたからである。


 目を上に向け、ほんのわずか考えてから、ホンロンは小さく肩をすくめた。


「まあ、なんとかなるか」


 ブヘスは相応の手足れだったが、目が見えない状況では実力の半分も出せないようだった。実際、肩を掴む手からは、戸惑いの感情がはっきりと伝わってくる。


 小さく右足を踏み込み、身体を旋回させながら、ホンロンは屈んだ状態から急激に身を起こした。


 腕越しに突き上げられる格好になって、平衡を崩したブヘスの腹に、ホンロンはそのままの勢いで肘を打ち込んだ。


 魔道の技でもなんでもない、単なる体術の応用だった。


 だが、ブヘスは巨大な両手持ちの戦槌で殴られたかのように天井に向かって身を躍らせ、そして地響きをたてて床に転がっていた。


 巨漢が完全に失神したことを確かめ、ホンロンはヌラゼロを追って部屋を飛び出そうとする。その時だった。


「くっ、くそっ!」


 ブヘス以上の存在感を持った気配がふたつ、行く手にあらわれていた。


 ぼんやりと見え始めた視界の向こうには、皮衣に身を包んだ短躯の男と、痩身ではあったが、ブヘスなみの身長の女が立っていた。


 女の右腕は、ヌラゼロの左腕を掴んで捻り上げている。


「それを持ってどこへ行くつもりだい、ヌラゼロ?」


 そう言いながら、女の目はホンロンに向けられていた。


「おまえは?」


 女の問いに、ホンロンは戸惑ったようにおどおどと答える。


「そ、その、目の前が光って、それで恐ろしくなって――」


「へえ、ブヘスを一撃でのすような人間が、札の目眩しでびびったってかい?」


 見られたか、と思った時には遅かった。


 半リート以上向こうにいたはずの小男の顔が、息のかかりそうな距離にあった。


 次の瞬間、手加減のない一撃が、ホンロンの腹部を襲った。


 時間が引き延ばされたような感覚の中、腰の剣の柄頭を突き出した格好で、こちらを見やる男の姿があった。


 背中から戸口の脇の壁に叩きつけられ、ホンロンは低くうめき声を漏らしながら床の上に座り込んだ。


 すぐには動けなかった。おそらく常人がいまの技を受けていたら、そのまま絶命していたに違いない。


 してみれば、なんだかんだで、ブヘスは手加減をしていたことがわかる。膂力なら、目の前のふたり以上だったはずだ。


 ぎりぎりで受け流しが間に合った。あばらが軋むが、折れてはいない。


 が、それだけだった。相手に捕捉されず、立ち上がることは不可能だろう。そのくらい、いまの一撃は威力があった。


 ホンロンを見下ろした男が、驚きの声を上げた。


「すごいな。いまのでまだ動けるのか」


「やはりな。睨んだ通り、只者ではないようだ」


 すぐ横からランダンの声が聞こえた。意外にも、声には面白がっているような響きがあった。


「だとすれば、やはりあの小娘がツェンカ・トルウォルを託したのはこの小僧なのだろう。どうやらいいものを手に入れたようだ。連れて行け」


 言葉と同時に、ホンロンは脇の下に腕を突っ込まれ、身体が持ち上げられるのを感じた。

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