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#09

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 オレインコは、まさに都と言い表すにふさわしい場所だった。


 広大な都市の周辺には、幅が四、五リートはある空堀が掘り巡らされ、ちょっとした丘にも思える土塁が築かれていた。


 さらにその外には、都市そのものの数倍はあろうかという天幕の集落が広がっている。


 その賑わいはホンロンも目にしたことのないほどのもので、行き交う人々でまともに前へ進めないほどだった。


 そこかしこに広げられた即席の市では、聞き知れぬ異国の言語が飛び交い、やはり見たこともない刻印が施された大きな金色の貨幣がやりとりされている。


 オレインコの堀を渡るには正面の大橋を渡る必要があった。


 ホンロンが近づくと、その橋の袂に屯していた灰色の仕着せ姿の男たちが、にやにや笑いを隠そうともせず近寄ってきた。


「通行手形はあるか?」


 ホンロンは黙ってかぶりを振った。


「なら通すわけにはいかんな」


 髭面の恰幅のいい男が、底意地の悪い笑みを浮かべた。


 その背後では、何人もの男たちが、なんの確認も受けずに橋を渡って行くのが見えた。


「あれはいいのか?」


 ホンロンが指摘すると、髭面はちらと背後を見てから仲間たちと顔を見合わせ、大袈裟に肩をすくめて見せた。


「手形はどこに行けば手に入る?」


 ホンロンの問いに、男は肩越しに拇指で都市を囲む土塁を指した。


「中心街の役場へ行きな。五黄銭ゴルダで手に入る」


「ではそこを通してくれ。手形をもらってから、見せに戻ってくる」


「莫迦言うな」


 髭面が、臭い息を吐きながらにいっと歯を見せた。


「手形を持っていない人間を通すわけがないだろうが」


「そうか」


 ホンロンはうなずき、身につけた旅用の外衣の隠しから小さな包みを取り出した。


「ところで今日はずいぶん暑いようだ。あんたがたも、長いことここにいて喉が渇いてるんじゃないかと思うが」


 髭面の眉が上がり、仲間を振り返る。


「話がわかるやつじゃないか?」


 そうして包みを受け取ると、急に渋い顔になった。


「足りねえな。全然だ」


「そうか?」


 包みの中には三十枚近い銀ゴルダが入っていた。五人ほどいる男たちが普通に働いて、ひと月分にはなる金額のはずだった。


「ではいくら必要だ?」


 男たちは顔を見合わせた。


「おまえの持ち金全部だよ」


 ホンロンは内心舌打ちした。


 気前よく金を振る舞えば、この手の輩はあしらえると思い込んでいた。その逆もあることに思い至って、うんざり顔でかぶりを振る。


 男たちは、完全にその気になっていた。


 ホンロンの様子を見て、髭面の後ろにいた男のひとりが、声もたてずに短い棍棒を振るって襲いかかってくる。


 ホンロンは渋面のまま半歩退いた。目の前ぎりぎりを、黒光りする歪な棒が上から下に通り過ぎていく。


 たたらを踏んだ棍棒の男の背中を軽く押しやって地面に這いつくばらせてから、ホンロンはため息をつきながら髭面に向き直った。


「全部は困る。あんたたちの言う通りなら、手形を手に入れる必要がありそうだし、滞在費や帰りの路銀も残しておかなければ」


「野郎!」


 拳を固めた髭面が飛びかかってくる。


 あくびが出そうな動きだった。ホンロンは、突き込まれた拳を首をひねっただけでかわし、同時に身体を回しながら相手の鳩尾に右肘を突き出した。


 突っ込んだ勢いでもろに肘を喰らい、髭面の男は嘔吐きながら地面にうずくまる。


「おやこれは失礼。それで、あんたたちはどうする?」


 目を剥いた残りの三人は、ホンロンを囲むように移動しながら、手に手に取り出した得物を握っていた。


「うーん、面倒ごとは避けたいんだがなあ」


 短く刈り込んだ髪の毛をぼりぼりとやりながら、ホンロンは周囲の男たちを見回した。


「なにを騒いでおるか!」


 鋭くそう声を発しながら、やはり仕着せ姿の男が、数人を引き連れてこちらに向かってくる。


「どうした、おまえたち、なにかあったか?」


「あ、アルルボ隊長、こ、こいつが……」


 青い顔をした髭面が、冷や汗を垂らしながら身体を起こす。


「こいつ?」


 アルルボと呼ばれた男が、足を止めてホンロンに向き合った。


「なにがあった? 正直に答えてくれ。場合によっては屯所に同行願うことになる」


「この橋を渡って街に入りたいのですが、そこの方々が手形を持たない者は通すわけにはいかないと」


 悪びれることなく答えるホンロンに、アルルボの目が鋭く細められ、倒れている髭面に向けられた。


「まだそんなことをやっているのか。今度やったら懲罰ものだと言い渡したはずだが?」


 男たち全員が、身を寄せ合うようにして縮み上がるのがわかった。


「すまないことをした。街への出入りは自由だ。こいつらは、こうやって旅人を騙して金銭を巻き上げているのだ」


 ホンロンは安堵の表情を浮かべた。


「そうでしたか。それならよかった」


 そうしてアルルボに向かって一礼し、その場を離れようとする。


「しかしながら」


 立ち止まり、振り返るホンロンに、アルルボは笑みを浮かべながらも油断のない視線を送ってきた。


「それは、あくまで疑わしきところのない一般人に限っての話でな。こいつらはこのようなごろつきだが、ただの旅人にあしらわれるような腕でもない」


 気がつくと、アルルボの部下たちがこちらを取り囲んでいる。


 ホンロンは小さく首を傾げて見せた。


武繰ぶくりを少々嗜みました。護身のためです」


 なるほどというように、アルルボはうなずいて見せる。


「いずれにせよ、事情を尋ねねばならない。そこの屯所までご一緒願えるか?」


 アルルボが顎をしゃくるようにして、橋を渡る手前の方向へ促す。袂に建っている砂色の建物が、おそらく屯所なのだろう。


 どうしたものか。


 ホンロンは自問した。


 この人数なら、押し通ることも不可能ではないかも知れない。


 だが、目の前の連中が、このあたりにいる警邏全員とはとても考えられない。


 およそ、得策とは思えなかった。


「それで、オレインコにはどのような用向きで?」


 無言で歩き始めるホンロンの背後から、アルルボの声が聞こえた。


「頼まれごとです。預かり物を返してきて欲しいと」


 ホンロンは慎重に言葉を選んで返した。


「預かり物? ほう、それはいったいどういう」


「答えねばならないものでしょうか」


 アルルボは肩をすくめた。


「ではそれを含めて、これからいろいろ尋ねることになるだろう」


 ホンロンも小さく首をすくめ、前に向き直った。


 このアルルボという警邏は、他の連中に比べると腕も、雰囲気も格が違う。


 おそらく、末端の一兵卒の類ではないだろう。


 と、すれば、もしかしたらウオル・タイガンに繋がるつてを持っているかも知れない。


 とはいえ、そのままタイガンの名を出しても、鼻で笑われるか、かえって怪しまれるのが落ちだろう。


 ここは、間接的にでも伝があるかどうかを確かめる必要があった。


 例の短剣を見せるのはそれからだろう。


 ホンロンは、外衣の下で懐にしまってある短剣に触れた。


 拵えの精巧さから見ても、これは家伝の宝剣かなにかに違いない。


 しかるべき人間に見せれば、おそらくタイガンか、近い人間に話が通るだろう。


 だが、そうでない場合、ただ取り上げられるだけではなく、口封じを図られる可能性もある。


 尋問を受けるのは、ここでは渡りに船かも知れなかった。



 屯所の入り口は開け放たれていた。先行していたアルルボの部下のひとりが、その奥にある扉を開くのが見えた。


 ふたたびアルルボを振り返ると、どうぞと言わんばかりに首を傾げる。


 ホンロンは入り口から続く広間を通って、その部屋に入った。


「ようこそ」


 一リート四方の小部屋には、奥にひとつ机が置かれていた。


 その机の向こうに肘をつく格好で座っている人影がこちらに目を向け、にこやかにそう口を開く。


 褐色の外衣から、簡素だが礼装に類する服の襟や袖口がのぞいていた。身分の高い人間が、非公式の外出の際に身につけるものと見える。


「これはウオル・ランダン閣下。このような場所に足をお運びとは――」


 背後でアルルボの声が聞こえた。明らかに警戒の色を含んでいる。


 ランダンと呼ばれた男が、右手を差しあげてそれ以上の言葉を制した。


「なに、時間は取らせない。だが、重要な要件なのだ」


 ホンロンには、ランダンの周囲が薄黒く澱んでいるように見えた。


 そこから感じられるのは、底知れぬ悪意とたちの悪い執念深さ。


 導師たちの中にも似たような空気を纏っている人間はいたが、目の前の人物のそれとは比べようがなかった。


 例えるなら針。それも、たっぷりと毒の塗り込められた毒針。


 それを想起させる。


 薄い肉に覆われた顔を歪め、笑みを浮かべながらランダンは続けた。


「いやなに。ツェンカ・トルウォルが戻ったと聞いたのでな」


「ツェンカ・トルウォル……でありますか?」


 アルルボが、虚を突かれたかのように頓狂な声を上げる。


「いかにも。あれさえ戻れば、ここしばらくの懸案の片がつく。そこでいても立ってもいられず、こうしてここまでやってきたという次第だ」


 ホンロンは、彼らが口にする名前がなにを指すのか知らなかった。


 だが、察しはついた。


 おそらく、ツェンカ・トルウォルとは例の短剣の名前だろう。


 どうやってかは知らないが、おそらく、あの男はホンロンがそれを持っていることを知っている。


 目の前でアルルボと言葉を交わしながらも、ランダンの意識は、部屋に入った時からまっすぐホンロンに向けられたままだった。

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