「おはようございます。フィー皇子様、カレン皇女様」
すぐに裾を持ち、丁寧に挨拶した。
いつ来たのだろう。まるで風のように、気配もなく現れたお2人の姿に、私は小さく息をのんだ。
「おはようございます、スティング様」
「おはようございます、スティング様」
その声は穏やかで礼儀正しいものだったが、目だけは鋭く光っていた。瞳の奥に冷たい怒りを宿したまま、微笑をたたえているのが恐ろしかった。
2人とも、明らかに怒っている。空気が一気に緊迫した。
「こ、これはお2人揃ってどうされました?」
殿下は急な登場に目を見開き、わざとらしい愛想笑いを浮かべている。声が裏返っていた。
「この国の王子は、私達に挨拶もなし? ああ、いらないわ。言われてする程度、という本音なのでしょう? ありがとう、知れて良かったわ」
殿下が慌てて口を開こうとした瞬間、その動きを遮るようにカレンがにっこりと微笑んだ。
だが、その笑みはあまりにも鋭く、剣のような冷気が周囲を刺す。
空気が凍った。
殿下の顔色がみるみるうちに青ざめ、俯いて視線をさまよわせる。助けを求めるように周囲を見回した。
だが、この場で彼を助けられる者などいない。帝国の皇族の前に立てる人間など、そうはいないのだ。
王妃派の生徒達を遠巻きに見つけたのか、助けを呼びたい気持ちがあからさまに表情に出ていたが、手招きすらできずにいる。
なんだか、虚しくなった。
私は今まで、どんな時でも殿下をかばい、助けてきた。それが私の役目であり、誇りだった。
けれど、今この瞬間、私は殿下の視線の外にいた。
私を信じず、他者に助けを求めている姿に、胸の奥が冷たくなる。
私の想いは、何一つ届いていなかったのね。
「もう一度聞くわ、これは一体何事? お分かりのようにこの場は、多数の生徒が行き交う正門。そこで、男3人が女1人に詰め寄るとは、どういう事ですか? それも、相手は公爵令嬢。答えの内容によっては、許されない事よ!」
カレンの声音は、氷のように冷たかった。けれど、その静けさの裏には、爆発寸前の激しい怒りが隠されているのがわかる。まるで、薄氷の下を流れる激流のように。
殿下が視線を逸らしたことに、カレンの怒りはさらに膨れ上がった。彼女は音もなく私の隣に立ち、その存在感だけで空間を圧倒していた。
その立ち姿はまさしく皇女。
誰もが頭を垂れるべき存在。まばゆい朝日に照らされた彼女の銀髪が風に揺れ、その威厳は疑いようのない帝国の血筋そのも
そのものだった。
「こ、この者が嘘をついていたので、問い詰めていたのです、皇女様」
殿下の声はかすれ、震えていた。目の奥には恐怖が浮かんでいる。こんな殿下の姿を見るのは初めてだった。
情けない、と思う反面、不思議と、
この姿を見てみたかった、
という卑しい感情が芽生える自分に少し狼狽える。
「この者、ですって? 公爵令嬢であり、ご自分の婚約者をそのように呼ぶのですか? 私はそこも問い詰めたいわ。いつもそう呼んでいるの? それとも、後ろにご友人がいるから、あえて呼ぶの? 配慮のない呼び方をするようにこの国では教えられているの? それも、ここでは誰が聞いているかわからない現状で・・・ああ、ごめんなさい。そのような事も考えられない程度の方でしたね。また、あなたの事を知れたわ」
その言葉はまるで刃だった。笑みをたたえながらも、彼女の瞳には凍てつくような怒気が宿っている。
威圧とは、これほどまでに人を黙らせるのかと痛感した。
「は・・・いえ、スティング嬢、です」
小さく、かすれた声。
久しぶりに「嬢」と呼ばれ、胸の奥が少しだけ疼く。
こんな、誰かに言われないと言えない間柄になってしまったのね。
「はあぁ。挨拶と一緒でこちらから言われなきゃ出来ないの? フィー、メモしといてね。この国の王族の教育を見直すべきだわ」
「勿論だ。特にその王子のな」
容赦のない言葉に、殿下の顔がぐしゃりと歪んだ。フィーの視線に耐えきれず、目を伏せる。
「ま、待ってください!」
「それで、スティング様がどのような嘘をついたのかしら?」
カレンは殿下の言葉を完全に無視し、低く冷たい声音で睨みつけた。
その目には、一切の情けも、妥協もない。皇女としての誇りと怒りに満ちた、静かな炎が宿っていた。