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第2話


* * * * * * * * * * *


黒いローブに身を包むアイリスは、庶民向けの商店が立ち並ぶ通りにある『ギルド・ルナ』と書かれた月の形の看板を掲げた建物の前で立ち止まる。


「ここね」


扉を開けると、すぐに受付台があり、その隣にドアがある。受付台には、線が細く顔の印象も薄い中肉中背のブラウンの髪色の青年が立っていてアイリスに声をかけた。


「いらっしゃいませ。何か御入り用ですか? それともご依頼ですか?」


「依頼をお願いしたいの。お金はいくらでも払うわ」


アイリスはローブの内側から、金貨がパンパンに詰まった袋を覗かせる。


「では、そちらの扉から中にお入りください」


青年は笑みを浮かべて扉を指差した。言われた通り扉を開けると、中はそれほど広くなく、壁際に机や本棚が置かれ、部屋の中央にはローテーブルを挟んで2人用ソファーが向かい合わせに置かれている。奥のソファーに座っていた白いシャツに深緑色のパンツを履いた庶民のような格好の男が立ち上がり、手前のソファーに掌を向けた。


「こちらの席へどうぞ」


アイリスはソファーに浅く腰掛け、向かいに座った男を怪訝な顔で見た。


「俺はギルドマスターのヒース・グスマン男爵です。ご依頼をお聞きしましょう」


「事情があって、少しの間だけ婚約者になってくれる人を探しているの」


「少しの間だけ、ですか。その事情をお聞きしても?」


「その前に、見つけてくれる保証はあるの?」


「もちろん。我がギルドに叶えられない願いはありません。婚約者になってほしい人の条件はありますか?」


「ええ。20代前半の貴族で、演技ができて、口が固くて、バカじゃなくて、自己中心でもなくて、顔もそれなりに良くて、お金にがめつくない人がいいわ」


「条件多くないですか?」


「見つけられないのかしら? ならいいわ。他のギルドを当たるだけよ」


「うちのギルドができないことは、他のギルドでもできないですよ」


「自信家ね」


「事実なんで」


「見つけてくれるならいくらでも払うわ」


「うーむ、条件に当てはまる貴族男性……」


ヒースは腕組をして目を閉じ、首をかしげる。アイリスが訝しげに見ていると、ヒースがぱっと目を開き、頷いた。


「うん、俺しかいない」


「えっ?」


「男爵だし、23歳だし、演技もそこそこできるし、仕事上口は固いし、バカではないし、自己中ではないと自負しているし、金ならいくらでもあるからがめつくない。それに、顔も悪くないどころか、イケメンすぎるギルドマスターだと評判になっている。どうです? 条件は全てクリアしてると思うんですが」


「そう、かもしれないけど、鼻につくわね」


「些細なことですよ。それに、ちょうど俺も結婚相手を探していたんです。こちらにも事情がありまして」


「結婚相手って、私が探しているのは一時的な婚約者の振りをしてくれる人よ」


「それは俺も同じです。結婚相手といってもお互い利害が一致した仮初めの関係でいいんです。私の方こそ貴女のような女性を探していたんですよ。これはまさしく運命ですね」


「何よそれ。なんだか胡散臭いわね」


「まあまあ。さて、婚約相手も決まったところで、事情を話してもらえませんか?」


「まだあなたで良いって言ってないんだけど」


「他の人を探すなら結構お時間頂きますよ。あの条件を全て満たす人を探すのは簡単ではないですから」


「どのくらいかかりそうなの?」


「最低でも3ヶ月ですかね」


「ダメよ、そんなには待てないわ」


「では、俺でいいですね」


「……分かったわ。どうせ一時的なことだからこ際細かいことは気にしないであげる」


「それはどうも。貴女の事情をお伺いしても?」


「ええ。私はアイリス・ダルトワ公爵令嬢。第2王子と婚約中よ。でも、あのバカで、自己中な性格にはもう堪えられない。なのに、来月結婚披露パーティーが開かれることになって、このままいけばあのバカの妃にならないといけないの。バカとはいえ、王族だから殿下が望むなら受け入れないといけないのよ。けど、運良く妹のリリーと浮気してくれたの。貴族女性の間では最近水面下でその噂が広まってるわ。あなたなら知ってるでしょ」


「もちろん。証拠集めは容易いですよ」


「いえ、噂が広まっているなら証拠はいいわ。それよりも、我が家の使用人がリリーから直接、腹の立つ情報を得たのよ」


「ほう。その情報とは?」


身を乗り出すヒースに、アイリスは怒りを圧し殺して答えた。


「結婚披露パーティーで、私が浮気をしていることをでっち上げ、大勢の前で断罪して婚約破棄をするっていうのよ。しかも、婚約者の浮気で傷ついた殿下を慰めてくれたっていう理由でリリーを愛するようになったってことにして、リリーとの結婚を発表するらしいわ。殿下もリリーも、本当に救いようのないバカよね。おかげで私は妃にならずにすむのだけど」


アイリスは扇子を取り出して火照った頬に風を送った。


「なら、他の婚約者が必要な理由はないのでは?」


アイリスはパチンと扇子を閉じて、ヒースに突きつけた。


「理由はあるわよ。妃にならなくてすむとはいえ、やってもいない汚名を着せられるなんてイヤ。腹立たしいにも程があるわ。だから、私が先に殿下の浮気を暴露して、私から婚約破棄をするの。でも男の、それも王族の浮気なんて大したことないって思われるだろうし、その上、妹に寝取られた哀れな女として見られると思ったら、はらわたが煮えくりかえってどうにかなりそうよ」


扇子を持つ手をわなわな震わせて唇を噛みしめるアイリスの気迫に、ヒースは苦笑を浮かべた。


「それはごもっとも。先手を打ちたくなりますね」



「でしょう。だから、私に前から思いを寄せていた男性が現れ、愛の告白をするの。それを受け入れて、新しい婚約者と一緒に颯爽と会場を後にするのよ」


アイリスは、ふんと得意気に鼻を鳴らした。ヒースはパチパチと拍手し、感嘆の声を漏らした。


「おお。良いシナリオだ。策士ですね」


「婚約者が必要なのはその時だけなんだけど、すぐに別れたなんて噂が立っても困るから、しばらく婚約者の役を続けてもらって、頃合いをみて役をおりてくれたらいいわ」


「事情は分かりました。では契約書を作成しますね」


ヒースは窓際の机に移動し、羊皮紙の上にサラサラと羽ペンを動かしていく。


「あなたの事情は何なの?」


アイリスが問いかけると、ヒースは手を止めずに答えた。


「将来のためですよ。結婚相手でもいないと、仕事の付き合いで社交パーティーに行けば未婚の女性たちや年頃の娘を持つ婦人方にしつこく婚約話を持ち出されるし、行為を迫られることも度々あるので、特定の人がいないと何かと困るんですよ。かといって適当に見繕うわけにもいかず。割りきった関係になれる人を探していたんです」


「そう。顔が良いと大変ね」


「そうなんですよ。分かります?」


「嫌味だったんだけど。さっきも言ったけど、私が望んでいるのはほんの一時の間だけの婚約者よ。あなたは割りきった関係で表面上の妻になる人を探しているんじゃないの?」


「まあ、そうなんですけど、一時的でもいないよりはましですし、貴女の気が変わって俺との契約を続けたいと思うかもしれないじゃないですか」


「ギルドマスターがそんな希望的観測で契約していいのかしら?」


「まずは依頼人が優先なんでね。貴女の願いを叶えることが仕事ですから。それに、俺はアイリス嬢のことけっこうタイプですよ」


羽ペン置いて羊皮紙から顔を上げたヒースは、アイリスに向かってパチンとウインクをした。アイリスは顔をしかめてそっぽを向き、はあと溜め息をつく。


「お世辞がうまいわね。契約相手が本当にあなたでいいのか不安になるわ」


アイリスは契約書を渡され、目を通す。問題なければ署名と拇印をするよう言われ、記入した名前の横に赤いインクをつけた親指を押し当てた。


「これで契約成立ですね。俺のことはヒースとお呼びください。仮とはいえ婚約者になるんだから、ため口でもいいかな、アイリス嬢?」


「ご自由にどうぞ」


「じゃあ、ヨロシクな、アイリス」


「馴れ馴れしいわね」


顔をしかめるアイリスに、ヒースはふっと笑みを浮かべた。



* * * * * * * * * * *



アイリスは立ち上がったヒースに扇子を突きつけ、問いかけた。


「あなたの本当の事情は何なの? 王族への復讐?」


「そうだ。憎い王族から全てを奪い、母の恨みを晴らす。そのために本来の権利を取り戻す必要がある」


「本来の権利?」


「第三王子として王位継承権を取り戻す。そして、いずれ国王になる」


「それが目的? 国王の座まで奪うつもりなの?」


「ああ。全てと言っただろ」


「私は、今夜のためだけに偽の婚約者を探してただけなのよ。王族ってだけでもイヤなのに、国王になる野望をもってるなんて。あなたが国王になったところで、自分勝手で色欲と金に溺れた皇族の悪習が変わるとは思えないわ。あわよくば私を結婚相手にして王妃になんて思ってないでしょうね。王族になんて絶対嫁がないわよ。ウィリアム殿下のバカさ加減にも呆れてたけど、悪習まみれの王族に嫁ぎたくなかったから、リリーと殿下が浮気するよう影で意図を引いたのに」


「へえ。浮気されたんじゃなくて、浮気するよう仕向けたのか。やるな」


ヒースがニヤッと笑みを浮かべる。アイリスは、はっと扇子で口許押さえて眉を下げた。


「……つい口が滑ったわ」


「お互い策士だな。気が合いそうだ」


「やめてよ。あなたとは今日限りよ」


「いや、そうはいかない。契約書がある限りな」


ヒースはジャケットの内ポケットから、ヒースとアイリスの署名と拇印がしてある羊皮紙を取り出してみせた。


「一定期間は婚約者役を続ける条件ではあるけど、あなたの結婚相手になるなんてどこにも書いてなかったわよ」


「きちんと書いてあるぞ」


「どこよ!」


アイリスが契約書に顔を近づけて目を皿のようにして文字を追いかける。


「ここだよ」


ヒースが契約書の一番下の小さな文字を指差した。アイリスは契約書をひったくって目を近づける。


「アイリス・ダルトワは、ヒース・グスマンの計画が終わるまで、契約を続けること?! はあ? こんな小さな文字、詐欺よ!」


「いーや。最後まで読まない方が悪い。互いの署名と拇印までしてあるんだから、契約は有効だ」


「何よそれ。あなたの計画が終るまでってどういうこと?」


「王になって、この国を王族から奪うことだ」


「なら、あなたが王になった時点で契約は終了でしょ。私が王妃になる必要はなさそうね。それまで偽の結婚相手を演じないといけないのは納得いかないけど、悪魔より質の悪いギルドマスターを甘く見た私の落ち度ね」


「ひどい言い草だな。俺としては、君に王妃になってもらいたいんだけどなー。王妃がいた方が外国と交渉する時円滑なんだけどなー。宮殿を束ねる王妃の役目はけっこう大事なんだけどなー」


眉を下げて子犬のような表情で見てくるヒースから顔を背けたアイリスは、ふんと鼻を鳴らした。


「そんなの知らないわよ。契約書にはそこまで書いてないでしょ。王になった後に新しい王妃をみつければいいじゃない」


「まあ、いいだろ。それまでよろしく、仮の婚約者さん」


「ああ、もう、腹立たしい! 全然納得いかないわ!」


アイリスは契約書を地面にたたきつけ、頭を抱え込んだ。




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