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第六話 富が導く、新たな安息の地

 降り注ぐ柔らかな陽光が、村の広場にこれまでにない活気をもたらしている。

 秋月悠真の露天は、今日もひときわ賑わっていた。水色の冷却ポーション、緑色の解毒ポーション、そして琥珀色の高効率回復薬液。そのどれもが飛ぶように売れ、悠真の足元には、銅貨、銀貨、そして眩いばかりの金貨が、山と積まれていく。


「悠真さんのポーションがなきゃ、あのダンジョンは無理っすよ! 本当に感謝です!」

「ありがとうございます! これさえあれば、どれだけ深層まで潜れるか……次も必ずお願いしますね!」


 戦闘職たちの心からの感謝と尊敬の言葉が、ひっきりなしに悠真の耳に届く。かつて向けられた嘲笑や侮蔑の視線は、もはやどこにもない。彼らは皆、悠真が作り出す奇跡のポーションに、己の命と、この世界の未来を託しているのだ。

 だが、悠真の胸には、金銭的な欲求はほとんどなかった。

 現実世界では、常に生活のために金に追われ、精神をすり減らしてきた。だが、この《IDEA ARCS ONLINE》の世界では、その心配はもういらない。莫大な金はすでに稼いだ。有り余るほどの富が、今や彼の両手にある。

(この金で……この世界で、何ができるだろう?)

 ログアウトできないという「絶望」から始まったこの世界で、彼は生産職として生きることを覚悟した。

 戦闘に身を投じる気はない。英雄になるという幼い夢は、不遇なスタートで打ち砕かれた。だが、誰かの役に立ち、心から感謝されることは、想像以上に心地よかった。彼の存在が、確かにこの世界を動かしている。その実感が、何よりも彼を満たしていた。


「さてと……今日の分は、これで終わりかな」


 全てのポーションを売り切ると、悠真は空になったカゴを抱え、静かに広場を後にした。足元の金貨の山をNPCの銀行に預け終えると、彼の足は自然と村の門へと向かっていた。


◇ ◇ ◇


 村から少し離れた郊外に、一軒の古びた不動産屋があった。

 簡素な木造の建物だが、壁には様々な物件の絵図が色あせて貼り出されている。広大な森に囲まれた古城、湖畔にひっそりと佇む小さなコテージ、そして、ひときわ目を引く、街から少し離れた場所に建つ大きな一軒家と、その周囲に広がる広大な土地。


「いらっしゃいませ。お客様、何かお探しで?」


 店番のNPCは、穏やかな顔で悠真を出迎えた。その目には、彼が並の客ではないことを見抜くような、どこか鋭い光が宿っている。

 悠真は、迷うことなく郊外の大きな家を指差した。


「この家について、詳しく聞かせてもらえませんか」

「ほう、お目が高い。こちらは、村から少し離れますが、広大な敷地と清らかな水源に恵まれた物件でしてね。喧騒を離れてゆったりと暮らしたい方には最適でしょう。お値段は金貨三百枚となりますが……」


 金貨三百枚。一ヶ月前、まだ彼がただの薬草採集人だった頃ならば、夢物語としか思えなかった途方もない額だ。だが、今の悠真にとっては、何ら問題のない、むしろ手頃にさえ感じる金額だった。

 悠真は、提示された価格に微塵の迷いもなく頷いた。


「それでお願いします」


 NPCは驚いたように目を見開いたが、すぐににこやかな営業スマイルに戻った。まるで、悠真の即決がよほど珍しかったかのようだった。

 契約は滞りなく進み、悠真は真新しい鍵を受け取った。ずしりと重いその鍵が、彼の手に確かな現実味を宿らせる。


「これで……俺の家ができた」


 広場での喧騒とは無縁の、静かで手付かずの自然に囲まれた土地。周囲には鬱蒼とした森がどこまでも広がり、遠くからは小川のせせらぎが優しく聞こえる。家は二階建てで、煉瓦造りのしっかりとした造り。庭には手入れされた畑があり、奥には小さな物置小屋まである。完璧な場所だ。


「……ここを、俺の新たな拠点にしよう」


 悠真の胸に、新たな決意が芽生えた。

 この広大な敷地と家を、単なる住居として使うだけではあまりにもったいない。

 人目を気にせず、自由にポーションを生産できる秘密の生産拠点にする。

 そうすれば、これまで以上に効率的に薬草を採集し、誰にも邪魔されることなく調合に没頭できるはずだ。

 家の裏手に回ると、清らかな水がこんこんと湧き出る古い井戸があった。冷たい水に触れると、都会の喧騒で疲弊した心が洗われるようだ。

 周囲を見渡せば、広大な森が、まるで彼に無限の可能性を示しているかのようだった。

(まだ、誰も知らない薬草が、きっとこの森のどこかにあるはずだ……)

 ログアウトできないという「絶望」から始まったこの世界で、秋月悠真は今、確かな「希望」を掴み始めていた。

 誰にも真似できない唯一無二の技術と、有り余るほどの富によって手に入れた自由な時間、そして秘密の拠点。

 彼の「成り上がり」は、まだ始まったばかりだ。

 夕日が森の木々にゆっくりと沈み、新しく手に入れた家々から、温かな明かりがぽつりぽつりと漏れ始める。

 悠真は、自分の新しい家を振り返った。

 その顔には、満ち足りたような、それでいて、どこか冒険の始まりを予感させるような、複雑な笑みが浮かんでいた。

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