基地から帰宅し、二日目の夜が訪れた。
まだこの家に寝具は巨大なベッドが一つきりであるから、壁の方を向いて昼斗は寝転がっている。隣には、灯莉が眠るスペースを確保してあるが、まだ仕事が終わっていないようで、彼女はリビングでタブレット端末の操作をしている。
夕食は宅配注文のピザで、昼斗は久しぶりに口にするチーズの味を美味だと感じてから、入浴し、今に至る。一人きりで暮らしていると、すぐに眠気が訪れるというのに、こうして二人になると、何故なのか寝付けない。それでも無理に瞼を閉じた。
翌朝は、灯莉に揺り起こされて、朝食を振る舞われた。
このようにして、監視の意図があるとはいえ、二人の生活は始まった。
「もっと聞かせて」
灯莉は食事をしながら、昼斗に様々な話をするように求める。食事時にはあまり相応しいとは考えられないHoopの話題もあれば、戦闘の話題もあるが、求められれば昼斗は応じている。ただ、光莉の話をお互いが持ち出す事は、今のところ、無かった。
「……俺は本当に、偶発的にパイロットになっただけだからな。それよりは、きちんと育成を受けている専任のパイロットの話を聞く方が有益なんじゃないか?」
戸惑いと苦笑、そこに本音を交えて、昼斗が答える。それから箸で、ワカメのサラダを口に運ぶ。
「昼斗の話が聞きたいんだよ」
対する灯莉の表情は、穏やかで、いつも笑みを湛えている。
このようにして、食事をし、会話をし、同じベッドで眠る日々が三日も経つ頃には、昼斗も、同じ寝台であってもいつもと同じように睡魔に飲まれるように変わった。元々、場所がどこであっても、昼斗は眠れるたちである。
だが、もう何年も夢見は最悪だ。本来それを、〝夢〟と名付けるべきなのかも、見解が分かれるかもしれない。夢あるいはフラッシュバック、尤も昼斗にとっては名称がどちらであっても変わらないが、過去の出来事を再体験するこの症状に、昼斗は苦しめられている。毎夜、Hoopのせいで喪った大切な存在や、自分が犯した過失の記憶を再体験しては、飛び起きて、周囲を見渡している。そしてそれが、〝今〟ではないと理解し、絶望しつつも胸を撫でおろしている。
今も飛び起きた。呼吸が上がっている。瞬きをすれば、昼斗の眦には涙が滲んだ。
シーツをぎゅっと掴んでから、昼斗は隣で眠る灯莉を見る。
「……」
穏やかな寝顔を一瞥していたら、少しずつ、呼吸が落ち着いてきた。昨日も、一昨日もそうだった。隣に人がいると、現実感がすぐに戻ってくる気がして、一人きりの時よりも胸の動悸が収まるのが早い。
そのまま灯莉を起こさないように注意しながら、昼斗は改めて横になった。
「……ん」
この朝も目を覚ました昼斗は、ぼんやりとしたままで自分の体に回っている二本の腕を見た。
「……」
そこには自分とは異なる体温があって、同時に柔らかさを意識した。まだぼんやりとしている視線だけを動かすと、そこには目を伏せている灯莉の顔がある。整っている伏せられた双眸には、薄茶色の睫毛が並んでいる。
「っ」
漸く昼斗は状況を認識した。灯莉に抱きしめられている。灯莉は昼斗を両腕で閉じ込めるようにして、すやすやと眠っている。昼斗の体を、灯莉は幼子にするように抱きしめている。それを自覚した途端、思わず昼斗は赤面した。
灯莉は寝ぼけているのだろうか。気恥ずかしいから離してほしい。そう感じていたが、起こすのも可哀想に思える。いつも灯莉は昼斗よりも早く起床し、食事の用意をしてくれたから、このように朝寝顔を見るのは初めての事だ。疲れているのだろうか。
視線を揺らしてベッドサイドの時計を見た昼斗は、既に時刻が八時を過ぎているのを確認する。このままでは遅刻してしまうかもしれない。
「あ、灯莉……」
昼斗は意を決して、声をかけた。すると灯莉の両腕に、さらに力がこもった。
「朝だぞ、起きろ」
「……ん、うん」
「灯莉、起きろ」
「……煩いなぁ」
ぼそりと灯莉が言った。閉じられた目は開かない。灯莉は昼斗を抱きしめなおすと、体の位置を変えて、さらにじっくりと眠る体勢に入った。昼斗はその腕の中で硬直している。こういう状況になると、時計の秒針の音が、いやに耳につく。一人困惑しながら照れつつ、昼斗は動けないままで、灯莉の腕の中にいた。思いのほか灯莉の力が強くて、腕から抜け出せそうにもない。
「灯莉……」
「……? ん、ああ……なに? 朝?」
それから少しして、やっと灯莉が目を開けた。両眼を細くして、灯莉は暫くの間、ぼんやりと腕の中にいる昼斗を見ていた。必死で昼斗は、首を縦に動かす。
「早く起きないと、遅刻する」
「今日は私の記憶だと、土曜日だけど」
「あ……」
「お休みだし、まだ眠いの。もう少し眠りましょう」
「えっ」
灯莉が再び目を閉じた。両腕はそのままだ。唇を半分ほど開けた状態で、昼斗は気恥ずかしさから朱くなっている頬の熱に耐える。
そのままそれから一時間ほどの間、昼斗は何も言えずに灯莉の抱き枕になっていたのだった。
――そんな灯莉の手が悪かったと、昼斗は内心で言い訳していた。
時折肌を擽るように、灯莉の指先は動いたし、寝息が肌に触れ、時には耳を掠めた。
寝ている灯莉に自覚はないのだろうが、朝という時間帯、灯莉の腕の中でギュッと目を閉じた昼斗は、体が熱くなった。
ここ何年も、性欲が減退気味だったのもあり、何故こんな時に限って元気に生理現象が起きるのかと悲しくなったが、それだけ人の温もりに触れる機会が無くて、昼斗の体自体が飢えていたのかもしれない。
灯莉の指先がさらに動いた瞬間、思わず昼斗は声を上げた。
「灯莉。起きろ……」
「……」
「灯莉……お、おい……ッ」
「ん? あ、ごめんね、義兄さん。おはよう」
するとその時、やっと灯莉が目を開けた。いつもと同じ微笑を湛えている。それを見て気が抜けた昼斗は、顔を背けて息を吐いてから、一度目を伏せた後、口を開いた。
「シャワーを浴びてくる。離してくれ」
「珍しいのね。いつも夜しか浴びないのに」
「……きゅ、休日だから」
実際には、もう出さないと収まりがつかないと思っていたのだが、己を〝義兄〟と呼ぶ灯莉に、そんな事は悟られたくなかった。
「そうなんだ。平日は、睡眠時間の確保が優先という事でいい?」
「あ、ああ。離してくれ」
「今日は今季一番の冷え込みらしいから、もう少しこうしていたいんだけど」
「……」
「それに元々は私、あんまり朝は早い方じゃないの」
明るい灯莉の声と、昂っている自分の体の狭間で、昼斗は泣きたくなったがそれは堪えた。
「……入ってくる、離してくれ」
「分かったわ」
昼斗なりに強く述べた時、あっさりと灯莉が腕から解放してくれた。その瞬間には、昼斗はベッドをはい出て、一目散に浴室へと向かった。脱衣場で服を脱ぎ捨ててから、勢いよく中へと入る。そしてシャワーを出し、冷静になるべく、頭から温水をかぶった。
シャワーを出て髪を乾かし、灯莉が用意してくれていた服に着替えた昼斗は、ダイニングの食卓についた。対面する席には灯莉が据わっていて、白いマグカップに入った珈琲を飲んでいる。
並んでいる皿には、レタスのサラダ、キノコとベーコンのオムレツ、そしてチーズトーストがある。なんとなく気まずくておろおろと視線を彷徨わせつつ、そこにあった檸檬入りの水のグラスに、昼斗が手を伸ばす。
その後食べたオムレツは美味だった。