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第13話 クレーター

 昼食時ランチタイムになり、訓練を終えると、灯莉が訓練フロアのドアの所に立っていて、環と何やら話していた。保と別れた昼斗がそちらを見ていると、不意に灯莉がこちらを見た。目が合うと、灯莉が穏やかに微笑する。なんだかその笑顔に惹きつけられてしまい、昼斗は頬が熱くなりかけた。


「さすがは義兄さんだね、すごい成績」


 歩み寄ってきた灯莉の言葉に、昼斗が軽く首を振る。


 その後は昼休憩となったので、二人で食堂へと向かった。この日食べたのは鯖の味噌煮定食だったが、どこにも悪戯の痕跡なんてなかった。


 窓の外の紅葉は、色づきを増している。本日は曇天だ。


「今日は霜が降りていたんだって」

「そうか」

「道理で寒かったはずだよね」


 灯莉はそう述べてから、ラザニアを食べていた。食後は二人で訓練室がある最上階のフロアへと戻った。そこには蛍の姿は無くて、午後は瀬是が相手となった。昼斗は瀬是とシミュレーターで、午後は銃撃訓練を行った。


 専門の教育を生まれながらに受けている瀬是の技巧は、率直に言って昼斗よりも上だ。初の第三世代機パイロットというのも納得の実力で、黒い髪に紫色の瞳をしている瀬是は、訓練の上では、昼斗に劣った事は一度もない。昼斗も勝とうと思っているわけではないが、かといって手を抜いているわけでもない。だというのに、瀬是には勝てたためしがない。


 この日も、やはり世代交代の時期なのだろうなと感じた。今、日本国の真のエースは、紛れもない瀬是だと、昼斗は思う。紫色の瞳というのは、コーディネートされた人間の中にたまに表出する色彩なのだが、澄んだ瀬是の瞳を見る度に、完成された容姿を見て、昼斗は、美しいなと考えている。


 その後軍規定の定時が訪れ、昼斗は灯莉と共に帰宅した。


「やっぱり瀬是は強い?」


 マフラーを解いていた昼斗は、リビングに入ってすぐに、灯莉の言葉で顔を上げた。その声に、思わず口元を綻ばせて、昼斗は大きく頷く。


「ああ、彼は強いな」

「そう。悔しい?」

「? どうして?」

「どうして、かぁ。まぁ、強いパイロットが沢山いた方が、この国にとっても、地球にとっても、メリットは大きいけどね」

「?」

「一番の座、奪われてしまうのは辛くはないのかなと思ってね」

「――望んでパイロットになったわけではないからな」


 昼斗が苦笑すると、灯莉が小さく頷いた。


「それは瀬是も同じだとは思うけどね。昼斗と違って、私や三月、環も瀬是も、自分意思でなく生まれる前から、進路は決定づけられていたわけだから」


 その言葉を聞いて、受精段階で考えるならば、自分の方がずっと自由だったのだろうなと昼斗は思った。だから手を止め、少しの間、灯莉を見ていた。すると歩み寄ってきた灯莉が、昼斗に抱きついた。


「仕事の話は終わりにしよう。今日もベッドに行きたい」

「!」

「いいよね?」


 この日から、灯莉による愛の言葉の他に、行為もまた二人の間に加わった。


 以後、灯莉は家にいる間中、昼斗の事をドロドロに甘やかした。昼斗は困惑しながらも、いつもその腕に収まっている。これまでよりも、二人の起床時間が少し遅くなったのは、それだけ寝る時間が遅いからだ。


「昼斗。ほら。あーん」


 朝食の席において。


 灯莉がフォークで刺した、厚焼き玉子を昼斗の口へと差し出す。頬に朱を差した昼斗は、迷うように瞳を揺らしてから、口を開いた。厚焼き玉子からは、出汁の味がするように変わっていた。


「美味しい?」


 灯莉の問いかけに、昼斗が頷く。すると気を良くしたように灯莉が笑う。最近、灯莉は昼斗の好きな味の再現に熱心だ。一度目よりも、二度目、三度目ともなると、確実に昼斗の好みの味に近づけてくる。それが昼斗には、擽ったくもある。


「夜は何が食べたい?」

「……また、お前が作ったパエリアが食べたい」

「そう」


 そんなやり取りをして朝食を終える。灯莉が食器洗い機に皿を入れていくのを見ながら、昼斗はリビングのソファに座っていた。そして新聞を眺める。このご時世になっても、紙の新聞は廃れてはいない。ただ、ニュースの鮮度は少し遅くなっている。


 スカンディナビア半島におけるHoopとの攻防についての記事を眺めていた昼斗は、灯莉が傍らに立ち、肩に触れられた時に我に返った。


「昼斗」

「……っ」


 顔を上げると、灯莉に指先で、唇をなぞられた。見上げた昼斗のその唇に、チュッと音を立てて灯莉が口づけを落とす。一度唇が離れたので、目を潤ませながら昼斗は灯莉を見た。するとより深いキスが降ってくる。


 ――ピピピピピピピピピ。


 電子音がしたのはその時だった。初めて聞く音に目を開けた昼斗の前で、片目だけを鋭くし、灯莉がポケットから小さな通信端末を取り出す。


「三月からだ。なんだろう。緊急通信なんて」


 そう言うと灯莉が、応答した。呼吸を落ち着けながら、昼斗はその姿を見守っていた。


 ここ数年の間、他者にこんな風に優しくされた事が無かったため、昼斗の胸中は強い混乱と歓喜で騒がしい。灯莉に優しくされる内に、最近では胸の動悸が鳴りやまなくなった。


「うん、そう……分かったよ。うん、すぐに。ああ」


 灯莉はそう返すと、通信を打ち切った。そこには、最近はあまり目にしなくなった冷ややかな無表情が浮かんでいた。何事だろうかと昼斗が視線を向けていると、顔を上げた灯莉が、苦笑を浮かべた。


「Hoopが出現したのを確認したって」

「そ、そうか……」

「今、瀬是が出撃したみたいだけど、私達にもすぐに来てほしいそうなんだ」

「行こう」

「うん、そうだね」


 こうして二人は、外へと出て車に乗り込んだ。




 ――月が、とても綺麗によく見える。

 クレーターの見え方には、地球上の各国において、様々な逸話がある。


 だがいつしか、〝クレーターは蠢くもの〟と、地表では言われるようになった。理由は簡単だ。月の表面に、Hoopが闊歩するように変わり、そこに大群が犇めいているからだ。


『すぐに出撃を』


 北関東基地の指令室に赴いてすぐ、三月司令からそう命令を受け、昼斗は人型戦略機に搭乗し、離陸した。既に先行して、戦闘予定の宇宙には、瀬是が繰る第三世代機――C-001が展開している。


 昼斗が到着した時点において、瀬是機は劣勢だった。宇宙でも変わらず動き飛ぶHoopが、C-001に群がろうとしていた。それを瀬是は、愛用している銃型の超電磁砲・生弓矢いくゆみやが撃つ。しかし左足首と右肩を食い破られている。コクピットがあるのは、首と頭部の付け根であるが――人型戦略機は、パイロットの身体感覚と機体の感覚が共有状態にあるため、瀬是もその部位に痛みを覚え負傷しているのは明らかだと、画面越しにも誰にもわかる状態だった。


 A-001が主に武器として用いているのは、刀型の武器だ。旧世代型で、今実験がなされている超電磁砲刀・カグツチは、今回は装備してこなかった。だが、それがいつも通りであり、本日も普段から用いている、天叢雲剣あまのむらくものつるぎを、昼斗は揮う。


「大丈夫か?」


 昼斗が通信すると、瀬是が息を飲んだ気配がした。


『はい』

「下がれ」


 そう呟いてから、昼斗は眼差しを怜悧に変える。黒い瞳で数多いるHoopを睨んでから、昼斗は剣を動かした。一撃で、その場にいたHoopの半数が消失したが、残りの半数が飛びつくように群がってくる。しかし昼斗は、怯まない。


 ――気づいた時には、戦闘が終わっていた。


 剣を振り、Hoopの体液を飛ばす。既に瀬是は帰還していたようで、その場にただ一人生存しているのは、昼斗のみとなっていた。


《本当に、お前は強いな》


 機体から声が響いてくる。人型戦略機にはAI言語プログラムが入っていると、昼斗は記憶しているから、今ではこの声がそれなのだろうと理解していた。


「嬉しくないな」


 苦笑を零した時、通信が入った。


『帰投して下さい』


 こうして、一つの戦闘が終わり、昼斗は基地へと帰還した。



 格納庫の床に降り立った時、環が走り寄ってきた。白い白衣が揺れている。ダークブロンドの髪をした青年は、同色の瞳を昼斗に向けた。


「大丈夫か!?」

「ああ。瀬是は?」

「今、緊急手術を受けて――……って、昼斗! お前はいったいどこが大丈夫なんだよ!?」


 焦ったように環が叫んだ。


 言われてみれば、昼斗は己の体が濡れていると気づいた。視線を下げれば、パイロットスーツのところどころが破けていて、血がタラタラと垂れている。左肩を見れば、肉が見えた。だが、痛みはない。


 感覚共有状態にあると、機体の負傷がそのまま身体の負傷となるのだという知識は、昼斗にもある。だから、Hoopにより傷つけられた箇所が、そのまま怪我となって、現在のような身体状態にあるのだが、無我夢中で戦っていると、意識をしないのが常だった。


「誰か、タンカーを!」


 床に血だまりが出来ていく前で、環が叫んだ。昼斗は微苦笑する。内心では、環は大げさだとすら思っていた。


 ――だが、それは昼斗の側の認識の誤りだった。


 そのまま昼斗は、搬送された基地内の医療施設にて、緊急手術をされ、入院する事になった。救援に向かった瀬是よりも、ずっと酷い怪我だった。医療技術も進歩しているから、嘗てよりは、怪我の治癒は早いのかもしれないが、肉の抉れた肩だけでなく、罅の入っていた左腕や肋骨も酷い有様で、処置後麻酔が切れても、暫くの間昼斗は目を覚まさなかった。それだけ、体に残存していたダメージが大きいのだという診断だった。






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