「初めてだから優しくしてね」
そうしおりは言うと
「わかった 痛かったら言ってね」
そうして一ノ瀬は指先で肌に触れそして胸に手が伸び
「しおり? 痛くない?」
「大丈夫だよ」
そしてふわふわと体が火照りだし 指先は胸から輪郭に
「や♡ あん♡」
「しおり かわいいね!」
「一ノ瀬君 好き!」
「うん! 僕もだよしおり」
そして一夜をともに過ごしベットで体が絡み合う
静かな夜が、ゆっくりと明けていく。
目を覚ましたしおりは、柔らかな陽の光が差し込む部屋の天井を見つめていた。
すぐそばにある温もりに気づき、ゆっくりと横を向く。
一ノ瀬はまだ眠っていた。穏やかな寝顔。いつもの余裕のある表情とは少し違っていて、守りたくなるような、どこか寂しげな横顔だった。
「……こうやって一緒にいるの、夢みたい」
しおりは囁くように呟き、自分の腕に伝う鼓動を静かに感じ取った。
ふと、一ノ瀬が瞼を開けた。
「……おはよう、しおり」
「うん、おはよう」
その何気ない挨拶に、心が温かくなる。
「なんか、落ち着く」
「そう? 俺も。……しおりの匂い、好きだよ」
軽口のように言うその言葉が、嬉しくて恥ずかしくて。
しおりは、枕に顔をうずめた。
その後、二人はゆっくりとベッドから降りて朝食を作り、並んで食べた。
他愛もない会話――しおりが料理が苦手なこと、一ノ瀬が意外と几帳面であること。
小さな笑いや言葉のやり取りが、ゆっくりと二人の距離を馴染ませていった。
食後、リビングでお茶を飲んでいると、一ノ瀬の表情がふっと曇った。
「……しおり。話したいことがあるんだ」
声のトーンが変わったのを、しおりはすぐに感じ取った。
「うん、なに?」
一ノ瀬は少しの間、視線を落とし、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「実は……中学の時、俺、誰にも言えないことがあった」
その言葉に、しおりは静かに頷いた。
「いじめ……ってほどじゃないけど。周りから浮いてたんだ。家のこととか、勉強とか、全部気にしすぎて」
彼の声は少し震えていた。
「ある日、突然クラスの子に『気持ち悪い』って言われて……。なんで俺が、って思ったよ。でも、俺、反論できなかった」
しおりは胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
自分と重なって見えたから。
「……わたしも、似てる」
ぽつりと漏らしたしおりの声に、一ノ瀬が顔を上げた。
「わたし、小学校のとき……男子にからかわれて、ずっと“暗い”って言われてた。友達のフリして笑ってくる子もいた。でも本当は、わたしのこと見下してた」
思い出すたびに、喉が詰まるような痛み。
でも今、言葉にできるのは、彼がそばにいてくれるから。
一ノ瀬は、そっと手を差し伸べてきた。
「その時からかな……誰かを本気で好きになるのが、怖かった。裏切られるのが怖かったんだ」
しおりは、その手を両手で包んだ。
「わたしは、あなたを裏切らないよ。絶対に」
その言葉が、彼の胸に深く染みていく。
まるで長い夜を越えて、やっと朝日を見つけたような安心感だった。
一ノ瀬はしおりを引き寄せ、そっと抱きしめた。
「……しおりのこと、本当に好きだよ。好きすぎて、こわいくらい」
その囁きに、しおりは頷き、彼の首に腕を回した。
「わたしも……あなたの全部、受け止めたい」
二人の唇が静かに重なった。
それは慰めや安らぎではなく、確かな愛を求め合うキスだった。
熱を帯びたキスの最中、しおりはそっと一ノ瀬の背に手を滑らせる。
その指先に触れる肌の温度が、心をもっと熱くしていく。
「……ねぇ、今日、どこか行かない?」
その言葉に、一ノ瀬は微笑んで言った。
「いいよ。俺、しおりとだったらどこでも行きたい」
午後の街は、夏の終わりを告げる風がどこか寂しく吹いていた。
蝉の鳴き声も少し遠くなって、空は少しずつ秋色に染まりはじめている。
駅のホームで、しおりは一ノ瀬の隣に並んで立っていた。
電車が来るまでの数分間が、妙に長く感じられる。
「高校卒業したら、どうするの?」
不意にしおりが口を開くと、一ノ瀬は一瞬だけ黙り込んだ。
「……大学には行くつもり。でも、正直に言うと……自信ないんだ。何かを本気で目指すってことが、まだよくわかってない」
「そうなんだ……」
しおりは答えに詰まった。自分も同じだったから。
ただなんとなく、周囲の流れに身を任せて、安心できる道だけを歩こうとしていた。
「でも、今は……」
一ノ瀬がゆっくりと視線を落とし、しおりの指をそっと握った。
「今は、君と一緒にいる未来を考える方が、ずっと大事に思えるんだ」
しおりの胸が、じんわりと熱くなった。
心の奥深くで、ずっと冷えていた場所が、少しずつ溶けていくようだった。
電車の扉が開く。
二人は並んで座ったが、どちらからともなく黙っていた。
その沈黙の中で、しおりは一ノ瀬の肩に頭を預けた。
彼の香りと温もりが、静かに心に沁み込んでいく。
ふと、外の風景が目に入った。
何の変哲もない住宅街。でも、それがどこか懐かしくて――ふと、昔の記憶が蘇ってくる。
「……私、ね。ずっと、自分のこと好きになれなかったの」
しおりはぽつりと呟いた。
「鏡を見るたびに、“こんな自分が誰かに好かれるわけない”って思ってた。でもね、あなたが笑ってくれるたびに……少しずつ、自分を嫌いじゃなくなった」
一ノ瀬は、しおりの髪をそっと撫でた。
「俺もだよ。……君に出会って、変わった。怖かった恋が、初めて“愛おしい”って思えるようになった」
電車の中は、まるで二人の時間だけが静かに流れているようだった。
鼓動のリズムが重なって、過去の痛みが優しく包まれていく。
しおりは小さく笑った。
「不思議だね。痛い記憶も、誰かと重ねると、あたたかくなるんだね」
「うん。過去って、変えられないけど……思い出し方は変えられる。君となら、どんな影も越えていける気がするよ」
二人はそっと見つめ合い、ゆっくりと唇を重ねた。
それは言葉以上に強く、優しく、お互いを癒すキスだった。
その夜。
しおりは自分の部屋で、鏡の前に立った。
ぼんやりとした表情の自分が、そこにいる。
でも――どこか、少しだけ変わっている気がした。
瞳が、ほんの少しだけ強くなっていた。
今日の体のぬくもりが残っていた。
そして、胸の奥には確かな“誰かと生きる”という願いが、しっかりと根を下ろしていた。