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第11話「秘密の影」

 「初めてだから優しくしてね」

そうしおりは言うと

「わかった 痛かったら言ってね」

そうして一ノ瀬は指先で肌に触れそして胸に手が伸び

「しおり? 痛くない?」

「大丈夫だよ」

そしてふわふわと体が火照りだし 指先は胸から輪郭に

「や♡ あん♡」

「しおり かわいいね!」

「一ノ瀬君 好き!」

「うん! 僕もだよしおり」

そして一夜をともに過ごしベットで体が絡み合う


静かな夜が、ゆっくりと明けていく。

 目を覚ましたしおりは、柔らかな陽の光が差し込む部屋の天井を見つめていた。


 すぐそばにある温もりに気づき、ゆっくりと横を向く。

 一ノ瀬はまだ眠っていた。穏やかな寝顔。いつもの余裕のある表情とは少し違っていて、守りたくなるような、どこか寂しげな横顔だった。


「……こうやって一緒にいるの、夢みたい」


 しおりは囁くように呟き、自分の腕に伝う鼓動を静かに感じ取った。


 ふと、一ノ瀬が瞼を開けた。


「……おはよう、しおり」


「うん、おはよう」


 その何気ない挨拶に、心が温かくなる。


「なんか、落ち着く」


「そう? 俺も。……しおりの匂い、好きだよ」


 軽口のように言うその言葉が、嬉しくて恥ずかしくて。

 しおりは、枕に顔をうずめた。


 その後、二人はゆっくりとベッドから降りて朝食を作り、並んで食べた。

 他愛もない会話――しおりが料理が苦手なこと、一ノ瀬が意外と几帳面であること。

 小さな笑いや言葉のやり取りが、ゆっくりと二人の距離を馴染ませていった。


 食後、リビングでお茶を飲んでいると、一ノ瀬の表情がふっと曇った。


「……しおり。話したいことがあるんだ」


 声のトーンが変わったのを、しおりはすぐに感じ取った。


「うん、なに?」


 一ノ瀬は少しの間、視線を落とし、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「実は……中学の時、俺、誰にも言えないことがあった」


 その言葉に、しおりは静かに頷いた。


「いじめ……ってほどじゃないけど。周りから浮いてたんだ。家のこととか、勉強とか、全部気にしすぎて」


 彼の声は少し震えていた。


「ある日、突然クラスの子に『気持ち悪い』って言われて……。なんで俺が、って思ったよ。でも、俺、反論できなかった」


 しおりは胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。

 自分と重なって見えたから。


「……わたしも、似てる」


 ぽつりと漏らしたしおりの声に、一ノ瀬が顔を上げた。


「わたし、小学校のとき……男子にからかわれて、ずっと“暗い”って言われてた。友達のフリして笑ってくる子もいた。でも本当は、わたしのこと見下してた」


 思い出すたびに、喉が詰まるような痛み。

 でも今、言葉にできるのは、彼がそばにいてくれるから。


 一ノ瀬は、そっと手を差し伸べてきた。


「その時からかな……誰かを本気で好きになるのが、怖かった。裏切られるのが怖かったんだ」


 しおりは、その手を両手で包んだ。


「わたしは、あなたを裏切らないよ。絶対に」


 その言葉が、彼の胸に深く染みていく。

 まるで長い夜を越えて、やっと朝日を見つけたような安心感だった。


 一ノ瀬はしおりを引き寄せ、そっと抱きしめた。


「……しおりのこと、本当に好きだよ。好きすぎて、こわいくらい」


 その囁きに、しおりは頷き、彼の首に腕を回した。


「わたしも……あなたの全部、受け止めたい」


 二人の唇が静かに重なった。

 それは慰めや安らぎではなく、確かな愛を求め合うキスだった。


 熱を帯びたキスの最中、しおりはそっと一ノ瀬の背に手を滑らせる。

 その指先に触れる肌の温度が、心をもっと熱くしていく。



「……ねぇ、今日、どこか行かない?」


 その言葉に、一ノ瀬は微笑んで言った。


「いいよ。俺、しおりとだったらどこでも行きたい」


午後の街は、夏の終わりを告げる風がどこか寂しく吹いていた。

 蝉の鳴き声も少し遠くなって、空は少しずつ秋色に染まりはじめている。


 駅のホームで、しおりは一ノ瀬の隣に並んで立っていた。

 電車が来るまでの数分間が、妙に長く感じられる。


「高校卒業したら、どうするの?」


 不意にしおりが口を開くと、一ノ瀬は一瞬だけ黙り込んだ。


「……大学には行くつもり。でも、正直に言うと……自信ないんだ。何かを本気で目指すってことが、まだよくわかってない」


「そうなんだ……」


 しおりは答えに詰まった。自分も同じだったから。

 ただなんとなく、周囲の流れに身を任せて、安心できる道だけを歩こうとしていた。


「でも、今は……」


 一ノ瀬がゆっくりと視線を落とし、しおりの指をそっと握った。


「今は、君と一緒にいる未来を考える方が、ずっと大事に思えるんだ」


 しおりの胸が、じんわりと熱くなった。

 心の奥深くで、ずっと冷えていた場所が、少しずつ溶けていくようだった。


 電車の扉が開く。

 二人は並んで座ったが、どちらからともなく黙っていた。


 その沈黙の中で、しおりは一ノ瀬の肩に頭を預けた。

 彼の香りと温もりが、静かに心に沁み込んでいく。


 ふと、外の風景が目に入った。

 何の変哲もない住宅街。でも、それがどこか懐かしくて――ふと、昔の記憶が蘇ってくる。


「……私、ね。ずっと、自分のこと好きになれなかったの」


 しおりはぽつりと呟いた。


「鏡を見るたびに、“こんな自分が誰かに好かれるわけない”って思ってた。でもね、あなたが笑ってくれるたびに……少しずつ、自分を嫌いじゃなくなった」


 一ノ瀬は、しおりの髪をそっと撫でた。


「俺もだよ。……君に出会って、変わった。怖かった恋が、初めて“愛おしい”って思えるようになった」


 電車の中は、まるで二人の時間だけが静かに流れているようだった。

 鼓動のリズムが重なって、過去の痛みが優しく包まれていく。


 しおりは小さく笑った。


「不思議だね。痛い記憶も、誰かと重ねると、あたたかくなるんだね」


「うん。過去って、変えられないけど……思い出し方は変えられる。君となら、どんな影も越えていける気がするよ」


 二人はそっと見つめ合い、ゆっくりと唇を重ねた。

 それは言葉以上に強く、優しく、お互いを癒すキスだった。


 その夜。

 しおりは自分の部屋で、鏡の前に立った。


 ぼんやりとした表情の自分が、そこにいる。

 でも――どこか、少しだけ変わっている気がした。


 瞳が、ほんの少しだけ強くなっていた。


 今日の体のぬくもりが残っていた。


 そして、胸の奥には確かな“誰かと生きる”という願いが、しっかりと根を下ろしていた。





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