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第12話「別れ」や「未来」


大学進学と一ノ瀬の引っ越し──卒業は喜びだけではない。

 しおりは、胸の奥で静かに芽生えた不安を抱えていた。


 駅前カフェの窓際で、しおりはココアのマグを静かに両手で包み込んでいる。

 午後の日差しがグラスに反射して、居心地のいいはずの空間が少しばかり冷たく感じた。


「……卒業まで、あと三週間か」


 一ノ瀬が言った。お茶をすすりながら、軽いトーンで。


 しおりは笑おうとして、うまくいかない。

 「そうだね」と短く答えると、視線はテーブルの木目に沈んだ。


 彼はスマホを取り出し、通学圏の大学の資料をちらりと見せた。


「俺、来月から一人暮らしすることになってね。大学近くに引っ越す。君のそばから離れるわけだけど、寂しくなる?」


 そう尋ねられた瞬間、しおりの胸が締めつけられた。

 距離が物理的にも心理的にも開いていく怖さ。


「……寂しいよ。でも、あなたの夢だから。応援してる」


 言葉には出したものの、声が震えてしまった。

 彼はにっこり微笑むが、その目には遠さと少しの寂しさが滲んでいた。


「ありがとう。でもさ……不安?」


 一ノ瀬は目を見開く。正直な表情だった。


「うん、不安だよ。遠くに行っても、私のこと忘れないかなって……」


 彼の眉がわずかに寄る。


「しおり、俺も不安だよ。でも……一緒に乗り越えたい」


 彼の言葉は真剣だった。だが、しおりにはその先が見えなかった。


 テーブルの上のマグがゆらりと揺れる。

 ふと、入口が開き、顔見知りの人影が視界に入った。


「……あ、芽衣っぽい?」


 しおりの心臓が高鳴る。親友の芽衣――。

 このタイミングでここに来るなんて。


 ドキリとしながらも、しおりは店を飛び出した。

 「もう帰るね」とだけ言い残し、カフェのドアを押し開ける。

 外の風はひんやりしていて、その体温を少し冷やした。


広場のベンチ。しおりは一人、空を見上げていた。

 涙がこらえきれずに、頬をつたう。


「しおり?」


 ふいに声がして振り返る。芽衣だった。


「芽衣、どうして……」


 問いはすぐに胸の奥に飲み込まれる。芽衣は目に涙を溜めながら、しおりの前で立ち尽くしていた。


「ごめん。出てきちゃった……話したくて」


 芽衣の声は震えていた。

 彼女もまた、ふたりの進路に不安を抱えていたのだろうか。


「……私……あなたと話したかった。だって、私だって、大事なんだもん」


 しおりは言葉を詰まらせた。

 芽衣はそっと座り、しおりの手を握った。


「まだ好きだよ、一ノ瀬のこと」


 その一言で、しおりの胸は押しつぶされそうになる。

 遠くへ行ってしまう彼への愛と、不安と、親友の告白と……。


「芽衣、ありがとう……でも、今は──」


 しおりは言葉を飲み込む。

 芽衣は肩を落とし、視線を落としたまま俯く。


「……わかったよ。無理しない。だけど、私はずっと友達だから」


 芽衣が立ち去る後ろ姿を、しおりはじっと見つめた。


しおりはカフェに戻る気分になれなかった。

 夜のホームに再び立ち、行き交う人波に埋まる。


 スマホの画面を見ると、一ノ瀬からの未読メッセージ。


「大丈夫? 季節変わって風邪ひかないようにね」


 予想通り、返信ができない。

 涙がこぼれ、視界が揺れた。


(私なんだか、あっちもこっちも、無理してる)


 不安に押しつぶされそうになりながら、しおりはベンチに腰を下ろした。


帰宅して、シャワーを浴びたあとも、胸のざわつきは止まらなかった。

 浴室の鏡に映る自分と向き合いながら、しおりは震える声で問いかける。


「私、どうしたいの……?」


 心は答えを探して彷徨っていた。

 カーテンを閉めてベッドにうつ伏せになると、涙は止まらなかった。


(一ノ瀬のことも、大事にしたい。でも……芽衣も、助けになってほしい)


 抱えた想いは重く、胸を締めつけて、しおりは深い夜に沈んでいく。


翌朝、しおりは笑顔になろうと鏡の前で深呼吸した。

 けれど、その裏にはまだ整理できない想いがあった。


 卒業式まであとわずか。

 心は揺れ、距離はだんだんと形をとりはじめている。


 この先どうすればいいのか、しおりはまだ手探りをしていた。


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