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第14話「きっと、春が来るから」

春休みが近づく気配を感じながらも、しおりの心はずっと冬のままだった。


「……あ、図書室行こう」


教室の空気が、いつもより遠く感じる。誰かと会話をするわけでもなく、ただ時間を過ごすだけの毎日。そんな自分を、しおりはどこか遠くから眺めているような気がしていた。


誰もいない昼休みの図書室。静まり返った空間に、紙をめくる音だけが響く。

古い小説を開いても、字が目に入ってこない。代わりに、脳裏には一ノ瀬の笑顔が浮かんだ。


──「しおりの声、好きだよ」

──「無理に笑わなくても、俺には伝わってるから」


その言葉たちが、胸の奥で何度もリフレインする。


(……今、どこで何してるんだろ)


窓の外に目を向けると、薄曇りの空に鳥が舞っていた。

もうすぐ春が来る。けれど、しおりの心はどこにも向かう場所がなかった。


一方その頃、一ノ瀬は教室の仲間たちと笑い合っていた。


「それでな?あいつ、弁当全部こぼしたんだよ」

「マジでか!やばすぎだろそれ!」


笑い声。肩を叩かれる。一見、何も変わらない日常。

けれど、その笑いの合間に、ふとした空白が生まれる。


(しおり……)


気がつくと、足が屋上へと向かっていた。

誰もいない昼下がりの屋上。そこは、二人で話したあの日と何も変わっていなかった。


風が吹き抜ける中、彼は金網越しに空を見上げる。


(本当は……今でも、ちゃんと話したいよ)


けれど、それがどんな顔をして言えばいいのか、わからなかった。


その日の放課後。しおりは電車のホームに立っていた。

視線の先、線路沿いに咲きかけた桜のつぼみが揺れていた。


(春が来るんだ……)


つぼみを見つめながら、胸の奥がちくりと痛んだ。


(……私、ちゃんと前に進まなきゃいけないのかな)


でも、まだ「さよなら」のあとに残った空白が、癒えきっていなかった。


唇を噛みしめた瞬間、涙が一粒、頬を伝った。


「……まだ、好きだよ……」


誰に届くわけでもない、小さな呟き。

その声に、自分の気持ちの輪郭が浮かび上がってしまった。


その夜、しおりは日記帳を開いた。


ページの隅に、消えかけた文字があった。

「2月14日、一ノ瀬くんがくれたチョコレート、まだ食べられてない」


震える手でペンを取る。

ページの端に、少しずつ、記憶をなぞるように言葉を書き始めた。


──「初めて名前を呼んでくれた日」

──「手をつないで歩いた帰り道」

──「キスをした夜、私は一人じゃないと思えた」


書いているうちに、涙がまたぽろりとこぼれる。


だけど、心の奥底で少しだけ、あたたかい光が灯った。


(また、歩き出せますように)


それが、彼と出会ってから変わったしおりの、静かな祈りだった。


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