終幕管理局業務部業務課、通称「幕引き人」。
西暦二〇三〇年現在、人類は地球を離れてスペースコロニーへ移住していた。それと平行して判明したのが、惑星インフィナムもといアカシックレコードに容量があり、限界を迎えようとしていることだった。
人類はアカシックレコードの容量を減らすべく、各国ごとに対策へ乗り出した。
日本では終幕管理局を設立して「幕引き人」たちを養成し、価値のない記憶を日々消去していた。しかし、敵対組織「幕開け人」にしてやられた。
四年前に制定された「創造禁止法」へのひそかな反発が、彼らの用意した「物語」に触発されてふくれ上がった結果だ。
こんなことになるとも知らず、深瀬も自分のデバイスに届いた「物語」をつい読んでしまった。選択肢が用意され、四つの空欄を埋めていくことでストーリーが完成する形式だったため、ゲーム感覚で操作してしまったのだ。
後になって「幕開け人」の計画だったことに気づいたが、その時にはもう終幕管理局の業務一時停止の知らせが来ていた。
オペレーターに寺石を紹介し、軽く話をしてから記憶還元室へ移動した。
記憶の中へ入るには特殊な機械を使用する。リクライニングソファのような白い椅子が三つ並んだ装置はRAS、リクライナーアクセスシステムといった。
「麦嶋さん、座る位置って決まってた?」
深瀬がたずねると麦嶋は首を振る。
「いえ、特に決まってませんでした」
「じゃあ、そうしようか。どこに座っても同じだしね」
麦嶋は「はい」と返事をしてから、
深瀬も歩き出そうとしたが、寺石が緊張しているらしいことに気づいて振り返った。
「寺石くん、リラックスして。でないと中へ入れないよ」
「は、はいっ」
返す声はかすかに裏返っており、深瀬は苦笑した。これでは虚構世界へ入るのに時間がかかりそうだ。
アカシックレコード内部へ入るには、夢の中へ入る技術を応用する。簡単に言えば眠った状態になる必要があるのだが、緊張しているとなかなか入れない。
オペレーターが三人の脳波を見ており、全員が浅い睡眠に入ったところで機械を操作する。そうして三人の意識は虚構世界、アカシックレコード内部へ侵入することができるのだ。
深瀬は真ん中の装置へゆったりと腰をかけ、背もたれに体を預ける。
まぶたを閉じて気持ちを落ち着かせていると、少し遅れて寺石が装置に座る気配がした。その後で、分かりやすく深呼吸をするのが聞こえた。
虚構世界はゆらいでいた。
「うわ、ピカソかな」
目に映る光景の異様さに口走った深瀬だが、すぐに首をかしげた。
「いや、違うな。ダリかもしれない」
いずれにせよ、非現実的な世界が広がっている。
虚構世界は想像の世界であるため、非現実的であるのは当然だが、これまでに見てきたものとは違って違和感があった。
すぐ隣で麦嶋が不安そうに言う。
「空の色が途中で変わってるし、自動販売機が半分になってる……」
「地面もぐにゃぐにゃしてて歩きにくいっすね」
と、寺石も嫌そうな表情だ。
深瀬はため息をつき、二人へ言った。
「とりあえず住人を探そう。ゆらいでるから消えかかってる可能性も高いけど」
「こんなので分離できるんでしょうか?」
「さあ、やってみないと分からないね」
麦嶋の疑問にそう返し、深瀬は住宅地と思しき方向へ歩き出す。
すると、後ろから寺石がたずねた。
「武器、出しといた方がいいっすか?」
「うーん、どうだろう。消去する必要はないからなぁ」
地面が安定しているところまで歩き、深瀬は足を止める。
「とりあえず、復習がてらやってみようか。寺石くん、
「はい!」
気合のこもった返事をし、寺石は左右の拳をぎゅっと握った。肩幅程度に足を開き、腕を上げてボクシングのかまえを取る。その握り
「自分のはこれ、グローブ型っす」
言いながら軽くシャドーボクシングをしてみせる。なかなか様になっていて期待できそうだ。
「ボクシングやってるの?」
と、麦嶋がたずねると寺石は笑顔でうなずいた。
「そうなんすよ、中学の時からっす」
「へぇ、そりゃすごい」
素直に感心しながら深瀬は麦嶋を見る。
「麦嶋さんはクロスボウだっけ」
「はい。あたしはこれです」
その場でまっすぐに立ち、麦嶋は右手を頭上へ掲げた。その手に現れたのはファンシーなおもちゃのような、薄桃色の小型クロスボウだ。
「えっ、なんか可愛い」
驚きながら声を上げる寺石へ麦嶋は矢をセットしながら言う。
「撃つともっとすごいんだから」
そう言って何も無い方向へ放ってみせた。飛んでいった矢が発光し、赤、青、緑と色を変えて軌跡を残す。
寺石だけでなく深瀬も思わず
「ゲーミングクロスボウだ! いいっすね!」
「ふふ、そうでしょう? 三柴さんのアイデアをもらったの」
「すげー!」
明るい性格の麦嶋らしい武器だった。見た目にも常に気を遣い、毎日メイクを怠らない彼女にぴったりだ。
半ば呆れて見せながら、深瀬は左手を腰へあてた。現れるのは細身の片手剣だ。
「ちなみに俺のはこれ。剣だよ」
「うっわ、黒い剣だ!」
「かっこいい……!」
深瀬は少し口角を上げてから剣を鞘へ戻した。かっこいいと言われるのは嬉しいが、刀身を黒くしたのには理由がある。
「さて、仕事に戻ろう。住人を探すんだ」
「そうでした!」
「早く見つけましょう」
あらためて三人は歩き出し、住宅地を目指した。
見つけた住人は様々だった。一組目は若い母親と幼い息子で、二組目は冒険者風の格好をした
「なんか一つ、明らかに異様なのがまじってる?」
寺石がぽつりとつぶやき、深瀬は苦虫を噛み
「おそらく、ここには三つの物語がある。一つは荒野を舞台にした冒険ものというか、ファンタジーもの。残り二つは現代日本を舞台にしたヒューマンドラマか何かだ」
「くっついてるのは全部、現代日本なんだと思ってました」
と、麦嶋が言い、深瀬もうなずいた。
「俺もそうだと思ってた。けど、結合したせいで中身の情報もぐちゃぐちゃになってるんだ。管理部の人がそこまで読み取れなかったんだろうね」
ただでさえアカシックレコードの情報は特殊言語に変換されている。とある研究者が宇宙ネットを通して検索する方法を開発したが、情報を読むには解読をする必要があった。