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婚約破棄されたら、隣国の公爵に求婚されました
婚約破棄されたら、隣国の公爵に求婚されました
ゆる
異世界恋愛ロマファン
2025年07月20日
公開日
2.4万字
連載中
王子に婚約を破棄され、聖女の地位まで奪われた令嬢エリシア。 嘲笑と軽蔑の中で国を追われた彼女だったが、異国の地でその“真の力”が覚醒する。 ──もう誰にも、踏みにじられたりしない。 優雅に、堂々と、そして静かに。 かつてすべてを失った令嬢は、今や隣国を動かす存在となり、偽りの聖女と裏切りの王子に“華麗なざまぁ”を突きつける! 逆境からの大逆転! 愛と誇りを取り戻す異世界令嬢の追放ざまぁ×溺愛ストーリー。

第1話 第1章:婚約破棄と追放 – 転落の始まり

 私の名はエリシア・フォン・ルーシェル。王国でも指折りの名門、ルーシェル侯爵家の令嬢として生まれた。

 華やかな社交界に足を踏み入れたのは十二歳の頃。幼いながらも踊りや会話の所作を厳しく仕込まれ、貴族の子女として恥じぬようにと、母や家庭教師から日夜指導を受けていた。そのおかげか、十五歳での初舞踏会では「なんと気品のある娘だろう」と大層な誉め言葉をいただいたものだ。


 私が初めて王太子アレクシス殿下と顔を合わせたのは、まさにその初舞踏会の折である。殿下は当時、すでに“王太子”としての威厳を十分に備えており、未熟な私などが到底近づけないような空気を纏っていた。その一方で、まだ幼い私に笑顔で手を差し伸べ「踊ってくれないか?」と誘ってくださったのだから、その優しさと器量の大きさに心を奪われたのを覚えている。


 ――それから数年。私と殿下の婚約は、王家とルーシェル家の間でほぼ内定していた。実際に正式な取り決めが行われたのは私が十六歳の誕生日を迎えた直後。といっても当時はまだ仮契約の段階で、私が十八歳になる頃に“正式に”殿下の婚約者として披露されることになっていた。


 それまでの間、私は懸命に“王太子妃”の教育を受けた。貴族としての嗜みだけでなく、外交や政治の基礎、さらには宮中行事の采配や経理の知識までも学ばなければならなかった。私の父や家庭教師は口をそろえて言う。

「いずれ王国の母となる姫君ならば、並大抵の努力では足りない」

 その言葉を胸に、私は昼夜を問わず学び続けた。


 そして今日。――私が十八歳の誕生日を迎えたこの日こそが、王宮の大広間で正式に“王太子アレクシス殿下の婚約者”としてのお披露目がなされるはず……だった。


 ところが、私の人生はこの夜、大きく狂わされることになる。

 王宮の大広間に集まる貴族や来賓たちの前で、アレクシス殿下が突然、こう宣言したのだ。


「本日をもって、私はエリシア・フォン・ルーシェルとの婚約を白紙に戻す。――いいや、破棄すると言ったほうが正しいだろう」


 あのときの衝撃は、今でも鮮明に思い出せる。むしろ忘れられるはずもない。私の胸の奥に、刃物を突き立てられたような痛みが走った。目の前が真っ白になり、ひざが崩れそうになったのを必死で堪えたのを覚えている。


 どうして、こんなことになったのか。


1.開幕の祝宴


 王宮の大広間は、煌びやかなシャンデリアの灯りの下、来賓たちの華やいだ声がこだましていた。長いレッドカーペットが正面の玉座へと伸び、その両脇には王家の紋章が刻まれた大きな旗が飾られている。

 私はこの夜の主役――になるはずだった。

 白を基調としたドレスには、ルーシェル家の家紋をかたどった銀糸の刺繍があしらわれている。肩には上質な毛皮が軽くかけられ、後ろには長いトレーンが引きずるように続く。まさに王太子妃候補として相応しい装いで、いささか緊張を覚えながらも胸を張っていた。


 招かれた貴族たちも、この夜は私を祝福するために集まっている。侯爵や伯爵、子爵といった高位貴族、さらには隣国からの使節団まで。一部の者は私に歩み寄ってきては、「おめでとうございます、エリシア様」「これからは我が国の象徴として、どうか王太子殿下をお支えください」と口々に言葉をかけてきた。


 私はそのたびに笑顔で応え、軽く会釈をする。それが王妃候補として当然の礼儀。私も貴族としての振る舞いは身についているつもりだ。しかし内心では、少し胸が高鳴っていた。

 ――今日が私の人生の転機になる。ここで正式に“王太子の婚約者”として認められ、未来の王妃としての道を歩み始める。父も母も、そして私自身も、その運命を疑ってはいなかった。


 やがて角笛の音が響き、大広間の中央に向かって人々の注目が集まる。そこには国王陛下と王太子アレクシス殿下が並んで立っていた。王太子殿下の隣には、なぜか見慣れない少女の姿がある。それもただの貴族令嬢ではなさそうだ。――彼女は平民の衣装に近いような簡素なドレスをまとい、しかしどこか儚げな美しさを漂わせている。


 リリアーナ・アーデルハイト。

 その名を、私はうわさ程度には聞いていた。「聖女の力を宿した奇跡の娘」として、急速に王都で話題になっている女性だ。しかし、彼女がなぜ王太子殿下の隣にいるのかは分からなかった。

 まさか、このときの私は想像もしなかった。彼女が、私の運命を狂わせる張本人になるなんて。


 国王陛下が目を伏せ、厳かな口調で告げる。

「本日は、我が息子アレクシスの婚約者として、ルーシェル侯爵家の令嬢であるエリシアをお披露目する――はず、であったが……」


 そこで言葉が切られ、周囲がざわついた。私の心臓が、不吉な予感とともに高鳴り始める。

 国王陛下の横で、アレクシス殿下は神妙な面持ちで口を開いた。


「皆、耳を傾けてくれ。私は……本日をもって、エリシア・フォン・ルーシェルとの婚約を解消する」


 その言葉に、広間は水を打ったように静まりかえった。私の耳にも、ざわつく貴族たちの声がはっきりと聞こえる。

「な、なんだって……?」「ルーシェル家と王家の縁組を取り消すだと?」「本気か……?」


 私自身、目の前が暗くなるような衝撃を受けた。ひざが震えて、頭が真っ白になりそうになる。それでも必死に自分を奮い立たせ、アレクシス殿下に問いかける。


「殿下……それは、一体どういう意味でしょうか。私には何も聞かされていません」


 すると、殿下はまるで私を見下すような冷淡な眼差しを向けてきた。かつてあんな表情を向けられたことはなかった。


「そのままの意味だ。私は先日、神の啓示を受けた。リリアーナ・アーデルハイトこそが私の真の伴侶である、と」


 彼の隣に立つ少女――リリアーナが、恥じらうように目を伏せる。周囲の貴族たちからは「おお、聖女様……」といった羨望混じりの声が聞こえた。しかし私には、彼女の儚げな様子の裏に、少しだけ冷たい光が宿っているように見えた。


「私はリリアーナと共に、新たな時代を築くと誓った。よって、お前との婚約は破棄させてもらう」


 アレクシス殿下は容赦なく言い放つ。


「待ってください。殿下。いくらなんでも、こんな形で急に破棄を言い渡されましても……」


 私は必死に訴えようとした。王家とルーシェル家が結んだ婚約は国家間の重要事項だ。個人的な理由だけで反故にできるような軽い契約ではないはず。


 だが、さらに追い打ちをかけるように、国王陛下が冷ややかな声を浴びせる。

「エリシア、お前は本日をもって王太子妃候補の座から外れるだけではない。――ルーシェル侯爵家の爵位と所領も没収し、お前を国外追放とする」


 その瞬間、私の思考は停止した。

 まさか、そこまで一方的に……? 私は頭の中で混乱しながら、懸命に口を開く。


「なぜ……? なぜそこまで厳しい処罰を与えられなければなりませんか。私は何も、王家に不敬を働いた覚えは――」


「陛下がそう仰るのだ。これは最終決定だ」


 アレクシス殿下が口を挟む。それだけでなく、彼は私を指差して言い放った。

「お前が婚約者としてふさわしくない行動を取ったと、幾人もの貴族から証言が出ている。リリアーナを誹謗中傷し、王宮に不穏な噂を流している……そうだな?」


「誹謗中傷……? 私が、いつそんなことを……?」


 私は唖然とする。身に覚えがない。何よりリリアーナに関わる機会などほとんどなかったのだから。


 するとリリアーナが、すっと私の前に出て小さく頭を下げる。

「エリシア様。どうか私のことはお許しください。私はただ、王太子殿下のお力になりたかっただけで、あなたを傷つけるつもりなどありませんでした……」


 彼女の大きな瞳から、涙が一粒こぼれ落ちる。儚くも美しいその仕草に、周囲の者たちはすっかり同情を寄せ始めた。


「リリアーナ様は悪くない」「平民出身でありながら、聖女の力を授かり、王太子殿下に認められたのだ」


 ――なんという茶番だろう。

 私はリリアーナのあまりの演技力に言葉を失った。いや、演技なのかどうか断定はできない。しかし、私にとってはまるで悪夢にしか思えない光景だった。


2.父の嘆きと裏切り


 そこへ、私の父――ルーシェル侯爵が、青ざめた顔で駆け寄ってきた。彼は国王陛下とアレクシス殿下の前にひざまずき、必死に訴える。


「ど、どうかお待ちください、陛下! 王太子殿下! 我が家の娘が不敬を働いたという話は寝耳に水。私は何も聞かされておりませぬ! どうか、そのような一方的なご処分は――」


「ルーシェル侯爵、これは王命である」


 国王陛下の冷厳な声が広間に響く。

「お前の家は代々、王家に仕えてきた。それ自体は感謝している。しかし、お前の娘が聖女を中傷するような行為を働いた以上、見過ごすわけにはいかぬ。――そもそも、ルーシェル侯爵家はここ最近、財政的な不正があるのではないかという噂もあるのだ」


「そ、それは何かの誤解です! 我が家は決して不正など――」


「黙れ! これ以上言葉を重ねるならば、ルーシェル家自体を取り潰すまでだ。娘だけの処罰で済むうちに、引き下がるがよい」


 国王陛下は厳しく言い放った。父はその場で顔を伏せ、唇を噛んだ。

 王の命令に抗うことは、たとえ侯爵といえども許されない。下手をすれば、我が家すべてが滅ぼされる。


 そうして結局、父は私を守れなかった。

 ――いや、本当のところは分かっている。父は守りたくても守れなかったのだ。王命が下った以上、逆らえば家族や家臣たちまで危険にさらされる。それが貴族社会の厳しさでもある。


 私は父の苦悶の表情を見つめながら、心の中でそっとつぶやいた。

(ごめんなさい、お父様……これは私が耐えるしかないのですね)


 父が最後に私を見つめたときの悲痛な眼差しは、一生忘れられないだろう。


3.最後の訴え


 私はなんとか正気を保とうと、自分の両手を握りしめる。こんな理不尽な話、受け入れられるはずがない。しかし、ここで声を荒げても、何も変わらないどころか状況がさらに悪化するだけ……。

 それでも、せめて自分の無実を示す言葉を放たずにはいられなかった。


「国王陛下、王太子殿下。私は今まで、貴国に仕えるための努力を惜しんだことは一度もありません。アレクシス殿下の婚約者として、相応しい教養を身につけるため尽力してまいりました。もし、それが不十分だとおっしゃるのであれば、お許しがいただけるように再度努力いたします。ですから、どうかこの追放処分だけは――」


 私の必死の訴えに、アレクシス殿下は鼻で笑うように言った。

「お前は確かに多少の教養はあるかもしれない。だが、王太子妃として必要なのはそれだけではない。真に国を導く力、そして神の加護……リリアーナにはそれがある。そしてお前にはない。――それだけの話だ」


「殿下、それはあまりに一方的です……」


「黙れ。お前にはもう何の権利もない」


 ああ、なんて惨めだろう。私は愛していたはずの人から、こんなにも冷たく扱われている。婚約者として寄り添ってきた数年は、いったい何だったのだろう。


 周囲の貴族たちも私を嘲るような視線を送ってくる。多くがリリアーナを称える雰囲気に染まっているのが分かる。王太子が“聖女”と呼ばれる女性を選んだ以上、もはや私の味方になる者などいないのだろう。


 そんな中、ふと見渡すと、母の姿がないことに気づく。母は体調を崩していて、この祝宴には出席できなかったのだ。もし母がここにいたなら、王や王太子に対して毅然と物申しただろうか。――いや、どちらにしろ何も変わらなかったかもしれないが、私はほんの少しだけ、母に縋りたくなった。


 やがて、国王陛下が場を締めくくるように高らかに宣言する。

「かくして、ルーシェル侯爵令嬢エリシアの婚約は取り消しとする。同時に、王の名において彼女を国外追放と定める。速やかに王都を出て行け。――以上だ」


 淡々と下された宣告は、死刑のように重く、私の心にのしかかった。


4.大広間を出るとき


 私は唇を噛みしめながら、一礼してゆっくりと退場する。背筋を伸ばし、できるだけ毅然とした態度を保とうと心がけた。ここで取り乱して泣き叫んだら、きっと周囲の嘲りの的になるだけ。

 ならば最後まで、ルーシェル侯爵家の令嬢としての誇りを失わないまま、この場を去ってやろう。


 王宮の大広間から出る直前、私はチラリとアレクシス殿下とリリアーナを見る。殿下の目には何の哀れみもない。リリアーナは涙を浮かべているように見えるが、その瞳の奥にあるのはどこか安堵の色だった。

 どうして。何のために。――彼女は本当に“聖女”なのか。それが今の私には分からない。


 ドレスの裾を引きずりながら、大広間をあとにする。祝宴の喧騒は私の背後に遠ざかり、まるで隔絶した世界に踏み出していくようだった。


 こうして私は、未来の王太子妃として輝くはずだった道から転げ落ち、奈落の底へ突き落とされたのだ。


5.父の部屋での別れ


 大広間を出た私は、廊下の奥へ足を進める。そこには王宮に用意されていた、ルーシェル家向けの客室がある。

 その扉を開けると、中では父が頭を抱えるように机に突っ伏していた。いつも威厳ある姿を崩さない父が、こんなにも落ち込んでいるなんて……。私は胸が苦しくなった。


「お父様……」


 声をかけると、父ははっと顔を上げる。その目は真っ赤に充血していた。

「エリシア……すまない……お前を、守れなかった……」


「いいえ、そんな……これはもう、どうしようもないことです。王命に逆らったら、ルーシェル家全員が処罰されていたかもしれないのですから」


 そう言って微笑もうとしても、うまく笑えない。涙がこみ上げそうになるのを懸命にこらえる。私が取り乱せば、父を余計に追い詰めてしまうから。


「……財務監査の噂も、いったいどこから出たのか。誰かが陛下に讒言したのだろう。まさか、ここまで巧妙に仕組まれていたとは……」


 父は拳を握り、机を強く叩く。

「もし母上がここにおられたら、少しは事態を変えられたかもしれないのに……。いや、そうだとしても、あの陛下と王太子が揃って決定している以上、どうにもならないか……」


 母は数年前から体が弱く、今日の大事な儀式も無理をさせてはならないと大事をとって欠席していたのだ。もしかすると、ここで母が声を上げても結果は変わらなかったかもしれない。それほどに、今回の判断は“一枚岩”に思える。


 私は父のそばに近寄り、その手をそっと握った。

「お父様、どうか悲しまないで。これは、私が背負うべき試練です。父や母、それにルーシェル家の家臣たちを危険にさらすわけにはいきません」


「だが……お前が一人で国を出て、どうやって生きていくつもりだ? 財産も凍結されるのだぞ」


「なんとかします。私が育ってきたルーシェル家の教養と知識があれば、あるいは隣国で仕事を得ることも不可能ではないでしょうし……」


 本当にどうにかできるのか、内心では分からなかった。しかし、ここで弱音を吐けば、父をさらに苦しめるだけだ。私はせめて、強い娘であろうと振る舞うほかなかった。


「……エリシア」


 父は私の手を握り返し、痛いほどの力で抱きしめた。

「許してくれ。本当に、許してくれ……。お前を王太子妃にするのが、私とお前の母の夢だったのだ。お前自身も、そのために一生懸命……」


「お父様……ありがとう。私は、ルーシェル家の娘であることを誇りに思っています。どうか、お父様もお母様も、私がいなくても元気でいてください」


 涙がこぼれそうになるのを必死にこらえながら、私は部屋を後にした。王宮に泊まるつもりなど、もはやない。私はここを出て、そのまま国外へ旅立つことになるのだから。


6.理不尽な追放劇


 翌朝早く、私は最低限の荷物をまとめて、王宮の裏門へと向かった。昨夜のうちに命じられた通り、私は王都を出て行かなければならない。出立の時間は、あろうことか王宮の兵士から通告された。しかも「万が一逃亡や抵抗の意思があれば容赦なく捕縛する」とまで言い渡されたのだ。


 王宮の裏門には、武装した騎士が数名、私を待ち受けていた。

「エリシア・フォン・ルーシェル。貴様には国王陛下の勅命により、国外追放の処分が下っている。これより城門の外まで護送し、その後は二度と王都に戻らぬように」


 まるで凶悪犯でも扱うような口調だ。私は俯きながら、馬車へ乗り込む。侯爵令嬢が乗るにしてはあまりにも質素な、王宮の荷運び用の馬車。そこにはクッションもなければ、暖も取れないほど冷たい座席があるだけだ。


 しばらく馬車を走らせると、城下町を抜け、大きな城門を越える。私は車窓から外の景色を見ていた。今まで生きてきた私の国、私が愛した王都の風景が、少しずつ遠ざかっていく。この国での思い出――家族や使用人たちとの幸せな日々、王太子殿下との淡い想い出――それらがすべて過去のものになっていくのだ。


 そうして、馬車は王都の外れに着いた。そこは荒野が広がる地帯で、街道沿いに立ち並ぶ小さな宿屋や馬屋が見える程度。護送を命じられた騎士たちは、そこで私を馬車から下ろした。


「ここから先は貴様一人で行くのだ。引き返せば、即座に捕縛する。――二度と言わせるな」


 騎士の冷たい声が私の心に突き刺さる。私は静かに頷き、馬車から降りた。たった一つの小さな鞄だけを抱え、薄手のマントを羽織っている。


 王宮で暮らしてきた頃の豪華な衣装やアクセサリーなどは、すべて没収された。今身につけているドレスも、もはやボロ同然。なんとか着替えを一着だけ許してもらえたが、それすらもいつ奪われるか分からない。この先、どこへ行けばいいのか……まったく見通しも立っていない。


「……お前の身の安全など、我々は保障しない。盗賊に襲われようが、魔獣に食われようが、我らの知ったことではない」


 そう言い放つ騎士たちに背を向け、私は荒野の街道へと足を踏み出した。――十数年の間、華やかな宮廷や領地で暮らしてきた私が、一人きりで生き抜けるのか。正直、不安しかない。


 しかし、私は振り返らなかった。王都を見やる気にもなれない。今はただ、前を向いて歩くしか道はないのだから。


7.路傍の決意


 荒野の街道をしばらく歩いていると、小さな村に辿り着いた。村といっても農家が数軒あるだけの寂れた集落で、私のようなドレス姿の女が一人で歩いていれば、当然ながら怪訝そうな視線を向けられる。


「すみません、ここに泊まれる宿はありますか?」


 村の老婆に尋ねてみる。すると老婆は、歯が数本抜けた口で応えた。

「……宿屋ならずっと先に行かないとないよ。ここは旅人なんて滅多に来ない場所だで」


 やはり、そう簡単には泊まる場所も見つからない。私はお礼を言って再び歩き始めた。太陽はすでに中天から西へ傾き始めている。日が暮れる前にどこかで休息を取らないと、夜道は魔物や盗賊の危険が高い。


 歩き続ける足が重くなる。こんな形で王都を出るなんて思いもしなかった。

 どうして、あんな理不尽な追放が決まってしまったのか――いや、考えても仕方がない。今は生きることが最優先。


(それにしても……王太子殿下に、あのように言われるなんて)


 まだ信じられない。あの日まで、アレクシス殿下は私に優しかった。ほんの数週間前にも「もうすぐ正式なお披露目がある。焦らずにいてくれ」などと言っていたのだ。それが突然、聖女リリアーナに心を奪われ、私を切り捨てるなんて……。


(リリアーナ……あの女性、本当に聖女なのだろうか)


 王宮では、彼女が奇跡を起こしたという噂がまことしやかに広まっていた。病に苦しむ人々を癒したとか、災害に巻き込まれた村を救ったとか。だが、その証拠を見た者は限られているという話もある。

 真偽は分からない。ただ、彼女が王太子の心を射止めたという事実はある。それに伴って、私が追い落とされたのも現実だ。――どれほど理不尽だろうと、今さらあがいても仕方がない。


 私はふと、かじかむ手を握りしめ、空を見上げる。西日が赤く染まり、辺りが黄金色に包まれている。

 ――でも、私は負けない。こんなところで倒れてやるものか。父や母、ルーシェル家の皆が守ってくれた命を、こんな場所で無駄にしてはいけない。


「必ず私は……この仕打ちの“落とし前”を見届けるわ」


 そう小さく呟いた。周囲に誰もいない荒野の街道に、その声はむなしく響くだけだったが、私の胸の奥には確かな火がともっていた。


 ――いつか、この国の者たちが私を追放したことを後悔する時が来る。そんな日が来るように、私は生き延びなければならない。


8.一筋の光


 陽が沈みかけ、足元が暗くなり始めた頃、ようやく小さな宿屋を見つけることができた。街道沿いにぽつんと立つ、年代物の建物。看板もかろうじて残っているようだが、文字はほとんど掠れて判別しづらい。

 私はその扉を恐る恐る叩いた。


「すみません、一晩泊めていただけますか……?」


 中から宿の主人らしき男が顔を出す。小太りで、やや寝ぐせがついたような乱れた髪。私を見ると、少し驚いた様子で目を丸くした。

「お嬢さん……こんな時間に、こんなところに一人とは……旅の方ですかい?」


「はい……。今宵は先を急げそうにないので、一泊させていただけませんか。お代は、そんなにたくさんは払えないのですが……」


 本当なら自分の家があったはず。華やかな衣装もあったし、潤沢な資金もあった。けれど今は、手元にわずかな小銭しかない。それでも、どうにかこの一晩をしのがなければ明日はない。


 宿の主人はしばらく考え込むように唸ったあと、「まあ、空いてる部屋はある」と言って私を中に通してくれた。古い宿だが、壁にかかるランプの灯りは暖かく、少し気持ちがほぐれる。

 ほんの狭い部屋で、薄汚れたベッドが一つ置かれているだけ。しかし、雨風がしのげるだけでもありがたい。何よりも外の夜道よりは安全だろう。


 私は宿の主人に言われるがまま、鞄の中の所持品を確認し、先払いで銀貨を一枚渡す。今の私にはかなり痛い出費だが仕方がない。

「ふむ、確かに銀貨だね。……お嬢さん、どこかの貴族様か? いや、身なりを見るにそうじゃないってわけでもなさそうだが……」


 宿の主人は不審そうに私を眺める。その疑問は当然だろう。実際、私が着ているドレスは質素になったとはいえ、素材そのものは安物ではない。髪型もそこそこ整えられている。


 けれど、私は笑って誤魔化した。

「実は、親戚を訪ねるために旅をしておりまして……。少々事情があって、一人で道中を進んでいるのです」


 細かい事情を話すわけにはいかない。追放された身などと口にしたら、どう反応されるか分からないし、下手をすれば命の危険すらあるかもしれない。


 宿の主人は、それ以上は深く詮索しなかった。ありがたいことだ。私は部屋の鍵を受け取り、ようやく安堵の息をつく。


 狭い部屋のドアを閉め、私はその場にへたり込んだ。ドレスの裾が少し埃まみれになってしまったが、もうそんなことを気にかける余裕もない。

 王宮を出てから一日足らずなのに、こんなにも疲弊している。どうやら私は、想像以上に世間知らずだったらしい。


(これから先、私はどうやって生きていけばいいのかしら……)


 追放された私には、もうこの国に居場所はない。同盟関係にある隣国ならば、まだ仕事を探せる可能性があるかもしれない。しかし、実際に行ってみなければ分からないし、国境を越えるのも容易ではない。


 それでも、私はここで諦めるつもりはなかった。ベッドに身体を横たえ、目を閉じると、王宮に取り残されているであろう家族や使用人たちの顔が浮かぶ。私が安全に生き延びることこそが、せめてもの親孝行だ。そう信じて、疲労に沈むように眠りへと落ちていった。


9.別れの朝と旅立ちの決意


 翌朝、まだ空が白み始めたばかりの時間帯に目が覚めた。体の節々が痛むのは、慣れない硬いベッドで休んだせいだろう。けれど、久しぶりにまとまった時間を眠れたおかげで、頭は多少すっきりしていた。

 私は簡単に身支度を整え、宿の主人に礼を告げて宿屋を出た。名残惜しむような挨拶もなしに別れるのは寂しいが、私としても一刻も早く次の行き先を探さなければならない。


 街道を再び歩き出す。今日は天気も良く、風がさわやかだ。雲ひとつない青空を見上げると、ほんの少し勇気がわいてきた。

 そうだ、この世界は広い。王都を追放されたからといって、すべてが終わったわけではない。王太子妃になる未来は潰えてしまったが、私にはまだ人生が残っているのだ。


 たとえ道のりがどんなに険しくても、必ず切り拓く。絶対にもう一度、幸せをつかんでみせる。

 私の中で、そんな強い決意が芽生える。


 ――そう、まだ始まったばかりだ。


 この時の私には分からなかったが、この先の旅路で私は思いもよらない運命と出会うことになる。

 そして、それが結果的に王国を巻き込んだ大騒動へと発展し、私を追放した者たちを後悔のどん底に叩き落とすことになるのだ。


 今はただ、そう遠くない未来に待ち受ける“ざまぁ”の瞬間を、私はまだ知らない――。



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