「寧々先生!?」
慌てて飛び上がる。寧々は縁側で、猫のようにごろりと転がっていた。
彼は長い金髪を畳に広げ、気怠そうにこちらを見ている。
汐里は噤から離れつつ、寧々に声をかけた。
「寧々先生! 何してたんですか! 私が倒れたっていうのに一人で遊び回ってるなんて酷いじゃないですか! ちょっとくらいは心配してくださいよ!」
ガミガミクドクド叫び倒すと、寧々は起き上がり、長い髪を指に絡ませながら呟く。
「だって、しおりん、寝転がったまま起きないんだもん。小説を書いても相談出来ないじゃないか。ちょうど煮詰まってたところでキミのアドバイスが欲しかったのに寝てるし。仕方ないから因習村の取材をしていたんだ」
人の心がないのか と叫びたくなったが、噤が怒りだした。
「因習村とかディスるの止めて頂戴! 失礼にもほどがあるわよ! アタシだからまだ笑って済ませてるけど、それ、
「あ~……。みぶろんかぁ……」
みぶろん、なる人物が誰なのかと問いかけると、噤と寧々が同時に答えた。
「
「みぶろん、この村の御三家の一人だよね。つぐみんと、みぶろんと……」
二人の話によれば、この名洛村には『御三家』と呼ばれる三つの家が存在するらしい。
噤の『独楽鳥家』、壬生狼という男が当主の『犬神家』、そして寧々の『弟切家』――この三家が村の取りまとめを担っているのだという。
「挨拶とかした方が良いんでしょうか?」
問いかけると、噤は片手を振って否定した。
「なんで挨拶なんかする必要あるのよ? アンタ明日にでも帰る身でしょ。今日は仕方ないから泊めてあげるけど」
景色はすでに薄闇に包まれ、どこか頼りなげな虫の声がリーリーと響いていた。
噤の屋敷は客間も完備されているらしく、汐里と寧々が宿泊しても問題ない程の広さを誇っている。
そんな中、汐里は噤に思い切って告げた。
「いえ、独楽鳥さん! やっぱり、私――御神子様になりたいです!」
「……はぁっ!?」
噤が間の抜けた声を漏らす。
だが、反論されるより早く、汐里は続けた。
「幸の物の強さも、危険性もわかりました。……でも、それでも、助けてもらいたいんです! 母のことを……!」
汐里の母は、汐里が幼い頃に『失踪した』と聞かされていた。
けれど、どうしても信じられなかったのだ。
家族を愛し、明るくて、誠実だった母が何も言わずに全てを捨てて姿を消すなんて。
「きっと、母は何か事件か事故に巻き込まれたんだと思ってます。でも、警察はマトモに取り合ってくれなかった……。だから、幸の物があれば、母に会えるんじゃないかって!」
そして寧々が言っていた。
幸の物の中には、『反魂』……亡き人の魂を呼び戻す力を持つものもある、と。
それを告げると噤は、はっと息を飲んだ。
やはり、反魂の幸の物はあるのだと確信した汐里は姿勢を正し、深く頭を下げる。
「お願いします! 独楽鳥さん! 私、母に会いたいんです!」
「でも、アンタ……」
「それが叶えば、必ず、幸の物は廃棄します! お願いします! お願いします!」
噤にすがるようにして懇願すると、彼はぐっと息を詰めた。
そして次の瞬間、まるで絶望したような顔へと変わっていった。
どうしてそんな顔をするのか、汐里にはわからなかった。
ただ、噤が最も望んでいない道を選択してしまったことは、直感した。
それでも、譲れなかったのだ。
母に会いたいという、その想いだけは――。
重苦しい空気を破ったのは、寧々だった。
「それよりさぁ、つぐみんの家の写真、撮ってい~い? 日本家屋の造りとか、小説の参考になるし。あと、しおりんはまた倒れたら僕が困るから、もう休んでおきなよ。あ、休む前にコレのこのシーンについて意見が欲しいんだけど」
鞄からノートパソコンを取り出すと、寧々はその画面を指差した。びっしりと文字が並ぶ小説原稿だった。
「ここのこのシーン、なんかシックリいかなくってさぁ~」
いついかなる時でも自分の小説のことしか頭にない寧々。
だが汐里もまた、プロの編集者。気を取り直すと、すぐに眼鏡を出し、真剣な顔で画面を覗き込んだ。
「わかりました! 寧々先生! 私もプロのはしくれですから! 私事にかまけて、先生の創作の邪魔はいたしません!」
「さっすが、しおりん。頼りになるなぁ~」
そんなやり取りを交わしながら――その夜は、編集と作家の『真剣な打ち合わせ』で、いつの間にか更けていったのだった。