秋の冷たい風が街角を吹き抜け、枯葉が舞い上がるある午後。
アトリエの窓から見える空は曇り空で、重く低く垂れ込めていた。
ユンはキャンバスの前に座り込み、筆を持ちながらもなかなか動かせずにいた。
彼女の目はぼんやりと遠くを見つめ、唇は軽く震えている。
隣室のヴァロワもまた、調整中の作品に集中しながら、どこか沈んだ空気を漂わせていた。
数日前に届いたカロンの批評の言葉が、彼女たちの心に重くのしかかっていた。
「旅情に依存しすぎている」「表面的で深みがない」
その鋭い言葉は、単なる技術的な指摘を超え、まるで存在そのものを否定するような冷たさを孕んでいた。
ユンは自分の表現に自信を持ちたかったが、カロンの言葉は彼女の創作の根底を揺るがし、内側から崩れそうに感じていた。
「こんなに頑張っているのに……」
ユンは小さく呟き、キャンバスの前で視線を落とした。
ヴァロワが隣で静かに見守っている。
「ユン、あんまり自分を責めるな。カロンの評価は厳しいけど、それが全てじゃない。俺たちの絵を理解してくれる人も必ずいる」
ヴァロワの言葉は優しく、だが彼自身もまた不安を抱えていることをユンは感じ取っていた。
その日の夕刻、アトリエに一通の電話が入った。
ナイルが応対すると、数分後に彼は呼びに来た。
「ユンさん、ヴァロワさん、ご来客です。」
玄関の扉が静かに開くと、黒いスーツに身を包んだ中年の男性が現れた。
整った顔立ちと落ち着いた振る舞いから、一目で社会的地位の高い人物と分かった。
「私はエリオット・ドゥシャトレ。美術品収集家です。あなた方の作品を拝見し、どうしてもお話ししたいと思いまして」
ユンとヴァロワは緊張しつつも彼を迎え入れた。
エリオットは手際よく名刺を差し出し、丁寧な口調で続けた。
「特に、ユンさんの『静寂の灯火』、ヴァロワさんの『孤独の森』という作品に心を奪われました。もしよろしければ、両作品を私のコレクションに加えたいのです」
言葉に詰まる二人。
厳しい批評の影に怯える心に、希望の灯火が差し込む瞬間だった。
「本当に……私たちの作品を?」
ユンが小さな声で尋ねると、エリオットは微笑んで答えた。
「ただの美術品ではありません。私は作品が持つ物語と魂を感じ取り、それを通じて世界と対話したいと思っています。あなた方の絵は、表層を超えた奥深さを秘めている」
彼の言葉はまるで優しい風のように、ユンの胸に染み渡った。
「あなたたちの未来を信じています。厳しい批評は確かにあるでしょう。しかし、それに負けることなく、表現を続けてほしい」
ヴァロワもその言葉に感謝し、決意を新たにした様子だった。
「こうして理解し、評価してくれる人がいるのは心強い。これからも互いに支え合っていこう」
ユンもまた頷き、静かに微笑んだ。
エリオットは作品の売約書を手渡し、丁寧に署名を済ませると、ふたりの将来に期待を込めた目を向けた。
「この取引が、あなた方にとって新たな一歩となりますように」
その言葉を残し、エリオットはゆっくりと立ち去った。
彼の背中には確かな自信と慈愛が漂っていた。
彼が去った後、アトリエには温かな余韻が広がった。
冷たく厳しい評価を受けながらも、それを乗り越えようとする若き画家たちの未来を信じる者が確かにいる。
彼らの存在が、二人にとってどれほどの力になるか計り知れなかった。
夜が更け、ユンは窓の外を見つめていた。
星が瞬き、夜空は静かに深まっていく。
「批評家の言葉も、コレクターの信頼も、私の糧になる」
静かに呟き、彼女は再び筆を取った。
厳しい逆風の中でも、自分を信じ、創作を続ける決意が揺るがなかった。
明日からの道はまだ険しいだろう。
だが今は確かな希望を胸に、新たな挑戦へと歩み出す一歩を踏み出したのだった。