月島悠亜は思った。御堂征司は、あの自分の問い詰めに腹を立てているのだろう。確かに彼は「何もしてない」と言っているのに、記憶の中の映像をあれこれ聞くなんて、誰だって信頼されてないと感じるに違いない。
それに、あのストレートな「全身」という言葉には、悠亜も頬が一気に火照り、反論する気力もなく、「助けてくれてありがとう」と小声で言うのが精一杯だった。
彼女は普段冷静で理性的、恩を仇で返すような真似はしない。しかし御堂征司の目には、それがわざと距離を置いているように映った。まだ布団の端をぎゅっと握りしめ、胸元を隠している悠亜を一瞥すると、彼は無言で寝室を後にした。
悠亜は口をへの字に曲げたが、驚きはしない——こういう性格、まさに彼に対する自分のイメージ通りだった。
ガウンを引っ張り寄せて羽織る。サイズが大きすぎて、どうにか纏うのに手間取った。身支度を整え、室内を見回したが、自分のバッグは見当たらない。仕方なく寝室を出た。
昨夜、注射を打たれた後のことは、混乱した幻覚を除けば、まったく記憶になかった。
「お嬢様、ハワード先生がお見えです。御堂様からは、診察を済ませてから朝食をとるようにとのお言葉です。何かお好みのものは?」 ドアの外で待っていたメイドは三十歳前後。東南アジア訛りの日本語で、フィリピン人らしい。
悠亜は少し戸惑い、「何でもいいです」と答えた。
メイドがまた尋ねる。「中華風と洋風、どちらがお好みですか?」
彼女は食べ物にこだわらないタイプだった。母が健在の頃も料理は平凡で、家族三人にとって食事は「飢えをしのげれば十分」だった。
両親亡き後、おじ様の家で過ごした半年を除けば、ほとんど寮生活。食堂の食事を七年も続けた結果、食事は単なる生命維持作業となり、胃を少し悪くしてしまったほどだ。
「中華風で」と適当に選んだ。これ以上細かく聞かれるのが怖かった。
一階のリビングには、アラブ系の品の良い中年男性が医療バッグを傍らに座っている。明らかに医師だ。
一通りの診察を終え、ハワード医師はうなずいた。「問題はほぼありませんね。この二日間は水分を多めに取り、適度な運動で代謝を上げると良いでしょう」
「ありがとうございます」
ハワード医師がバッグを片付けながら、笑みを添えて付け加えた。「私に感謝なさらなくてもいいですよ。御堂征司様があなたの体内の毒を排出してくださったんですから。使用人の話では、彼はあなたを抱えたまま、体温が下がるまで明け方四時まで氷水に浸かっていたそうですよ」
「……」そう言われて、悠亜の脳裏にぼんやりとした映像がよみがえった。あれも幻覚だと思っていたのに。
医師が去り、別荘はひときわ静かになった。真っ白を基調にした明るくシンプルな内装は、中東の熱帯性砂漠気候にぴったりだった。窓の外のまぶしい太陽と青々とした熱帯樹を眺めながら、悠亜はメイドに尋ねた。「今、何時ですか?」
「九時でございます」メイドはすぐに続けた。「お嬢様、私はソフィアと申します。何かありましたらお申し付けください」
「はい」悠亜は少し考えて、「ソフィア、私のバッグがどこにあるか知っていますか?」と尋ねた。
浅黒い肌のソフィアは首をかしげた。「お嬢様のバッグは存じ上げません。昨夜は御堂様がお抱きになって直接お部屋に上がられました。私も覚えておりますが、おバッグはお持ちではなかったと思います」
彼女は一生懸命思い出そうとし、突然言った。「そうだ、車の中に置き忘れたのでは? 見てきましょうか?」
「私も一緒に行く」
ソフィアは食堂の方をチラリと見て、キッチンでまだ準備中の様子を確認すると、悠亜を車庫へ案内した。
途中、悠亜がふと尋ねた。「御堂征司は?」
先導するソフィアが振り返りながら答えた。「御堂様はお出かけです。お嬢様をしっかりお世話するようにとおっしゃっていました」
道理で姿が見えないわけだ。
車庫は地下一階にあり、見渡す限り、百台以上の車が並んでいる。知らなければ高級車の展示会場に迷い込んだと思ってしまうだろう。ようやく黒のブガッティの前にたどり着くと、ソフィアは壁のロッカーからキーを取り出した。「こちらが昨夜、御堂様がお使いになった車です」
ドアを開け、悠亜が車内をくまなく探したが、何も見つからない。トランクもがらんとしていた。どうやらバッグは『暗闇』に置き忘れたらしい。パスポートもスマホも中に入っている。本当に厄介だ。
「もしかしたら、御堂様にお尋ねになっては?」 悠亜の落胆した様子を見て、ソフィアが提案した。
悠亜は、彼女が純粋に助けたいと思っているのが伝わった。世俗に染まっていない素朴な純真さが、その顔つきからも感じられた。
彼女は微笑み、うなずいた。
戻り道、派手なペイントが施された何台かのスポーツカーを通り過ぎた。その少々中二病じみたスタイルは、彼女の持つ御堂征司のイメージとは全くかけ離れていた。彼がレーサーをやるとしても、車をこんな風にカスタムするとは想像しにくい。
「御堂征司って、レースやってるの?」 驚きのあまり、口に出してしまった。
「え? ああ、こちらは御堂凌様の車でございます」ソフィアが軽く体をひねりながら答えた。
御堂凌様? 悠亜は気になりながらも、それ以上は尋ねなかった。昨夜のことを経て、他人の噂話をする気分ではなく、これからどうすべきかさえ見当もつかないのだ。
加賀の地はあまりに物騒だった。黒崎猛司があれほど図々しいのは、きっとまともな商売をしているわけではない証拠だ。鈴木理恵たちがどうなったのかも気にかかっていた。
朝食を済ませ、ソフィアに御堂征司に連絡してもらうと、会社側は「社長はただ今取り込み中です」との返答。次に瀧川航誠に連絡を試みた。今度は繋がった。
「悠亜、無事だったんだな? 仕事が終わったら様子を見に行くよ」瀧川航誠の口調は軽やかで、まるで昨夜の危険な出来事がなかったかのようだった。
悠亜は心から言った。「瀧川航誠、昨日はありがとう」
「いやいや、助けたのは俺じゃないんだよ。征司が間に合わなかったら…」彼は言葉を濁したが、その先は二人とも理解していた。
悠亜は背筋が凍る思いだった。御堂征司が助けてくれて本当に良かった。瀧川航誠のおかげではあるけれど、それでも彼女はただただ安堵していた——やはり旅先では多くの友人が大切だ。クルーズ船で彼と知り合えて本当に良かった。そうでなければ、今回は命を落としていたかもしれない。
「そういえば、私のバッグって『暗闇』に置きっぱなしじゃないかしら? パスポートが入ってるの。早く帰国したいんだけど」彼女の口調には焦りが滲んでいた。あの通訳のバイトももうしたくない。今はただ、一刻も早く中東を離れ、自分の国に戻りたいだけだった。
しかし瀧川航誠は、何度か言葉を飲み込んだ。
「どうしたの?」悠亜が詰め寄った。『暗闇』に取りに行くのが難しいのかと思い、付け加えた。「見つからなくても、再発行すればいいから」
瀧川航誠はようやく口を開いた。「悠亜、君はたぶん、しばらくの間、帰国は難しいと思う」