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第13話 囮(おとり)が仕掛けられる


前田愛子のSNS投稿が湖面に投げ込まれた小石のように波紋を広げる一方、それに続く前田健太の"ラブラブアピール"投稿は核爆発並みの衝撃だった。


連絡先リストは一瞬で沸騰した。親しい数人からはからかうようなコメントが寄せられたが、他は沈黙を守り、そっとイイネを押すだけだった。


富田さやかは富田グループの社長補佐役に丁重に退室を促されたばかりで、腹の虫の居所が悪かったところに、スマホが狂ったように震えだした。

女友達からのメッセージが殺到し、全てが健太のSNSに上げられたあの写真についての詮索だった。

微笑:「さやか様、前田様が本当にSNSであの愛子と一緒の写真を上げたんですか?もしかして愛子がこっそり彼のスマホで投稿したんじゃ…?」

Vivian:「お兄様の趣味ってそんなに…?それなら私が狙えば良かったわ。少なくとも私は身持ちが固いのに」


さやかは最新の二通を開き、眉をひそめると、素早く健太のアカウントを探し出し、SNSを開いた。

9枚の写真の中央で、愛子が健太の腕に寄り添い、カメラに向けてほのかな笑みを浮かべている。健太は彼女を抱きしめ、俯いた目で深い愛情を込めて見つめ、口元はほころんでいた。画面越しにも伝わる優しさだ。

投稿に添えられたからかいや祝福のコメントの数々が、さやかの目を刺すように痛めた。


不貞の噂が絶えない愛子に、なぜ航平様は未練を抱き続けるのか?なぜ自分には一片の優しさすらくれないのか?愛子は航平様と自分の間を隔てる越えられない溝だ。どうしても越えられず、彼の心へも辿り着けない。


写真を食い入るように見つめながら、さやかの目尻が赤らみ、震える指で連絡先を開いて電話をかけた。


スマホが鳴り響いた時、愛子と健太はちょうど箱根の温泉リゾートの奥地へ向かおうとしていた。

迎えの観光車がすでに玄関で待っていた。

健太は着信表示を一瞥すると、さりげなく歩調を緩めた。愛子が車に近づいた時、ようやく口を開いた。

「ちょっと電話。先に乗ってて」

そう言うと通話ボタンを押し、木陰の方へ歩いて行った。


愛子はかすかに一歩止まったが、気づかれないほど速やかに普段の表情に戻り、観光車に腰を下ろした。

乗り込むと振り返って健太を見た。彼がまだ乗り込んでこないまま離れた場所で話している様子に、澄んだ瞳にちょうど良い程度の疑問を浮かべた。まるで無言で尋ねているようだった。

『旦那、どうして乗ってこないの?』


健太は電話の向こうのさやかの愚痴に聞き入っていたが、ふと愛子の視線に気づき、彼女が音を聞き取れないことを思い出した。先ほど先に乗れと言った言葉は、全く届いていなかったのだ。


「わがままはやめて。今迎えに行くから」

健太は小さくため息をつき、声を潜めた。

「箱根のリゾートが好きか?今度二人だけでゆっくり来よう」

電話の向こうで、さやかはようやく涙を笑顔に変えた。良かった…兄は愛子に落ちていなかった。やっぱり一番は私なんだ!


電話を切ると、健太は観光車に戻り、わずかに気まずそうな表情を浮かべた。

「会社に緊急の用件が入って、俺が直接対応しないといけない。一旦戻って、後で迎えに来る」

スマホの画面が光った瞬間、愛子は発信者名をはっきり見ていた。それに健太がわざと声を潜めても、風が言葉の断片を運んでくる。さやかがSNSを見て、口実を作って彼を呼び戻したのだ。


愛子はうつむき、適度な失望を込めて言った。

「一日一緒にいるって約束したのに…まあ、お仕事優先ですね」

この不満そうでありながらも大人しく振る舞う態度が、健太の胸に妙な痛みを走らせた。心が揺れ、彼女のために残ると言いかけた瞬間、スマホが再び震えた。


さやかが位置情報を送ってきた。富田グループからそう遠くない喫茶店だ。


スマホを握りしめた長い指に力が込められ、関節が白くなった。

「早く行って早く戻ってきてね。私は釣りに行くから」

愛子は彼の変化に全く気づいていないようで、優しく笑った。

「運が良ければ、今夜は新鮮な魚のスープが飲めるわ」

彼女の杏子のような瞳は潤み、長いまつげはわずかに濡れていたが、頑なに涙をこらえていた。彼女はいつもこうして察しが良く、決して疑わない。健太が愛子に嘘をつくのは今回が初めてではなかったが、今回は言いようのない後ろめたさと不安がひっそりと芽生えていた。


一瞬の逡巡の末、健太は素早く選択を下した。愛おしそうに彼女の鼻先を軽くつつきながら言う。

「ああ、今夜はお前の釣った魚のスープを飲みに行くよ」

観光車が発進し、愛子を乗せて箱根の温泉リゾートの奥深くへと走り去った。

健太は背を向けて車で去っていく。


二人の背中が互いへと向かう。


健太がさやかに会いに急いでいるのは分かっているのに、愛子の胸には細かい痛みが走った。結婚はあくまで方便だったが、彼と平穏に暮らしたい気持ちは本物だった。


痛みと同時に、かすかな興奮もあった。わざと健太を箱根に誘い、SNSでラブラブアピールをしたのは、最初からさやかを狙ってのことだ。さやかが待ちきれず健太を呼び戻したのは、彼女が刺激された証拠ではないか?

これこそが愛子の望んだものだった。さやかに健太が自分に惚れたと思わせ、彼女の勝負心に火をつけ、離婚へと導く――


愛子は岸辺に腰を下ろし、竿を素早く水面に投げ入れた。

囮は仕掛けられた。いつか大きな魚が食いついてくる!


暮れなずむ頃、愛子はかなりの収穫を上げ、何匹も釣ったが、結局全てをリリースし、車でホテルに戻った。

彼女がちょうどチェックしたさやかの最新SNS投稿には、超高層レストランの特等席でくつろぎながらロマンチックなディナーを楽しむさやかの姿が写っていた。相手の顔は映っておらず、ステーキを切る手だけが写っていた。その左手首には、限定版の超高級腕時計が光っていた。


愛子は一目で見抜いた。それは彼女がつい最近、結婚記念日に健太に贈ったものだった。

彼が戻って迎えに来る時間はなさそうだと、彼女は思った。


愛子はフロントへ直行し、市街地行きの車の手配を頼んだ。

10分後、スタッフが彼女を見つけ、車が玄関で待っていると伝えた。

愛子は礼を言った。肝心な時には、見知らぬ人でさえ健太より頼りになるようだった。


彼女が入り口に停まった車に向かうと、運転席の人物を見た瞬間、目を見開き思わず叫んだ。

「どうしてあなたが…?」

あの忘れがたいほどの美貌のドライバーも一瞬呆けたが、すぐに状況を飲み込むと、顔をほころばせた。

「これは奇遇ですね。またお会いしました」

愛子は眉をひそめ、警戒して一歩後ずさりし、疑わしげに彼を見つめた。

「本当にホテルが手配した、私を都心へ送るドライバーなの?」

昼間にあの気品ある貴婦人と一緒だったイケメンモデルが、なぜ彼女のドライバーを?

男は花びらのような唇を歪め、深い桃色の瞳にきらめく笑みを浮かべた。流れるような星々を宿したその目は、色気に満ちていた。彼はだるそうな口調で言った。

「ええ、副業です」

愛子は呆然とし、我に返ると思わず感嘆した。

「本当に…業務範囲が広いのね!」

「仕方ないです。金欠ですから」

男はまつげを震わせ、笑みを深めた。

「前田さん、この運賃、私に払わせてもらえませんか?」

愛子の視線がハンドルに落ちた。翼の付いたBの文字が異様に目立ち、彼女の目尻をひきつらせた。ベントレーで貧乏を装う?もしかして…


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