夕暮れが街を包み込んでいた。
鈴原念乃は、13年ぶりに懐かしくもあり、どこかよそよそしい横浜の街角にしゃがみ込んでいた。
もう、3時間もこのままだ。
現実があまりに衝撃的すぎて、まだ受け入れきれない――自分の記憶にある、あんなに素直で甘えん坊で、「ママ、ママ」とくっついて離れなかったあの可愛い子が、まさか髪を派手に染めた不良に育っているなんて!
しかも、一番ショックだったのは、あの子が自分を母親だと認めてくれなかったことだ。
ちゃんと説明したはずなのに。自分はあの子の母親なのに!
その時、一人の老婦人が念乃の後ろに現れた。彼女は念乃の沈んだ様子を見ると、気軽に声をかけてきた。
「どうしたの?今は授業中じゃないの?」
「おばちゃん、私はもう学生じゃないんです。」
念乃は、よく実年齢より若く見られるので、説明を加える。
「私、息子がもう4歳で――」
言いかけて、慌てて言い直した。
「もう17歳です。」
老婦人はまるで正気を疑うかのような目で念乃をじろじろと見た。
「……何ですか?」
老婦人は小さな丸い鏡を差し出し、すべてを見抜いたかのような口ぶりで言った。「学校サボる口実にしても、もう少しマシな嘘つきなさいよ。」
えっ?
念乃は半信半疑で鏡を受け取り、覗き込んだ。
次の瞬間、雷に打たれたようにその場で固まってしまった。
鏡の中には、少女の顔――赤い唇に白い歯、はっきりとした目鼻立ち、特にキラキラとした大きな瞳――が映っていた。
間違いなく自分だ。
でも――これは、まさに18歳の自分の顔!
20代でもなく、30代でもない。
そう、18歳!
老婦人は、鏡を持ったまま天を仰いで大声で笑い出す少女の声を聞いた。
「若返っちゃった! ははは!」
3秒もしないうちに、念乃の笑い声はぴたりと止まった。
ようやく、息子がなぜ自分を母親だと信じてくれなかったのか理解した。
18歳の女の子に、17歳の息子がいるなんてあり得ないでしょう!
あの子、きっと自分のことを詐欺師か何かと思ったに違いない!
念乃の頭に浮かんだのは、「とにかく、早く息子に説明しなきゃ!」という思いだった。しかし、10年以上の時が流れた横浜の町並みはすっかり変わり、どこを探せばいいのか皆目見当がつかない。
電話しようにも、ポケットを探ってみたが、スマホどころか小銭すら一枚もない。仮にスマホがあったとしても、息子の番号なんて知らない。
その時、念乃のお腹がグウっと鳴った。
晩ご飯のあてもない。
もう一度ポケットを探したが、やはり一文無しだった。
神様のご意志は何? 自分を生き返らせて、またイチから苦労させるつもり?
そんなの絶対イヤだ! 今度こそ、自分の人生は自分で切り開く!
念乃の視線は、老婦人が手で編んでいるカラフルな手作りアクセサリーに止まった。偶然だけど、こういうの、自分も昔から得意だった。念乃は老婦人に提案する。
「おばあちゃん、私も一緒に作るから、一個作ったら200円もらえませんか?」
「いやいや、いいよ。」
老婦人はすぐに断る。
「この程度の商売、客も少ないし、自分で十分間に合うから。」
念乃は食い下がった。
「じゃあ、こうしましょう。最初の2つはタダで試作品作ります。もし売れたら、3つ目から1個につき100円でもいいですから!」
老婦人は、念乃の細くて白い手をじっと見て、どうせできっこないだろうという顔をした。
「あなた、本当にできるの?」
「できます。」
念乃は即答し、手際よくかぎ針と糸を手に取る。手は滑らかに動き、あっという間に青と白の小さなサメのマスコットが完成した。老婦人の箱にあった小さなLEDビーズを見つけて、思いつきでサメのお腹に仕込んで、銀色のリングを取り付ける。
こうして、光るキーホルダーが出来上がった!
「へえ、本当に器用だね!」老婦人は驚いた。
その直後、光るサメのキーホルダーを見た通りがかりの若い女性が目を輝かせて声を上げた。
「かわいい!これ、いくらですか?」
老婦人はすかさず相手の食いつきを見て、いつもより高めの値段を言った。
「800円でどう?」
女性はすぐにスマホで決済。その友達も興味を持ち、同じものがあるか尋ねてきた。
老婦人は即座に念乃の提案を受け入れた。
こうして、念乃は自分の手先の器用さでお金を稼ぐことができた。手にしたお金で、おにぎりでも買おうと歩き出す。
「ちょっと、待ちなさい!」老婦人が呼び止め、いくつかの桜餅を差し出した。
「ちょっとお願いがあるの。このおにぎり、昼に作ったものだけど、晩ご飯にどう?代わりに、さっきの作り方を全部教えてもらえない?」
念乃は快く引き受けた。
*
少し離れたところから。
鈴原陽太は、じっとその様子を見つめていた。
自分でもなぜか分からない。さっきは離れたはずなのに、どうしても気になって戻ってきてしまった。あの、口を開けばすぐに噛みつく女の子を、無意識に探していた。見つけないと、胸の奥が何だか落ち着かない。
この感覚は、なんなんだろう。
そんなことを考えていると、念乃がかぎ針を手にアクセサリーを作り始めたのを見て、ハッとした。
記憶の奥底では、母親がこういう小物作りが得意だった。幼稚園の頃、毎日違うマスコットをリュックに付けてもらい、友達から羨ましがられたことを思い出す。青と白のサメのキーホルダーを握りしめて、「パパがいないのを笑うなよ。僕には世界一すごくて、僕を一番大事にしてくれるお母さんがいるんだ!」と誇らしげに言ったっけ。
この人……どうして?
念乃はおにぎりをガツガツと食べ、まるで三日間も何も食べていなかったかのようだった。
老婦人は同情の色を浮かべ、小袋に入った落花生を差し出した。
「これも食べなさい。」
念乃は慌てて手を振った。
「ありがとうございます。でも、私、
その言葉は、ちょうど歩いてきた陽太の耳に、はっきりと届いた。
彼の母親も――ピーナッツアレルギーだった!
「ねえ、君も何か買っていかない?」老婦人が陽太に声をかける。
念乃はその声に顔を上げ、パッと嬉しそうに微笑んだ。「陽太!」
陽太の目は、老婦人の手の光るサメのキーホルダーをじっと見てから、念乃の顔に戻った。喉がゴクリと鳴り、言葉にならない衝動が胸を突く。声がわずかに震えながら、尋ねた。
「僕が幼稚園に初めて行った日、帰りに持ち帰った絵……何を描いたか、覚えてる?」
念乃はすぐにピンときて、即答した。
「サメの子どもと、そのお母さんサメ、でしょ?」
陽太は息を呑んだ。
あの絵は、こっそり描いてランドセルにしまい、ママへのプレゼントとして持ち帰ったものだ。この世で、その内容を知っているのは自分と母親だけ。
信じられない――という表情で陽太は一歩後ずさり、派手な髪まで微かに震えていた。
「まさか……本当に、君が……」
念乃は、今にも泣きそうなほど感激し、大きくうなずいた。「うん、うん!そうだよ、陽太!私は、あなたのお母さんだよ!」
*
公園の静かな片隅で。
「つまり……君が言いたいのは、死んだはずが、気がついたら湘南第三高校の前にいて……しかも、18歳の姿になってたってこと?」
陽太は念乃の話をなんとか整理し、繰り返した。
「うん。」
あまりにも現実離れした話だけど、目の前で生きて立っている母親を見ていると、陽太の目には思わず涙が滲む。どこか期待を隠しきれない声で、呟いた。
「……お母さん?」
念乃は、本当は13年越しのハグをしてやりたかったが、目の前の陽太のカラフルすぎる髪型を見て――
ダメだわ!このセンス、さすがに許容できない!
念乃は一度目を閉じ、感動的な雰囲気を一気に断ち切った。
「感動してる場合じゃないでしょ!早く家に連れてって!」しゃがみすぎて足も痺れたし、何より、あの広い家のバスルームでバラ風呂にゆっくり浸かりたい!
*
20分後。
念乃は、目の前の古びたアパートを見上げ、頭の中に大きなクエスチョンマークが浮かんでいた。
自分のあの御景台の、300平米以上で1億2000万円もした豪華マンションはどこ行ったの?
13年経ったら、こんなボロアパートになっちゃったの!?