「この話……長くなるから、一言二言じゃ説明できないんだ。」鈴原陽太は視線を泳がせた。
「じゃあ、三言で。」鈴原念乃は無表情で言い放つ。
「……」
念乃の圧のある視線の前で、陽太はついにしどろもどろになりながら、ようやく全てを打ち明けた。
――かつて念乃が突然亡くなったとき、他に身寄りもおらず、まだ幼かった陽太は児童養護施設や里親に引き取られることを頑なに拒んでいた。その間、マンションの管理人が一時的に面倒を見てくれていたが、手一杯だった。そんな時、向かいの部屋に住んでいた若い家政婦・小早川理恵が手を挙げてくれた。「どうせ仕事終わった後は暇だし、子供の世話なんて大したことないでしょ。ちょっとした善行よ。」
……
「理恵さんが僕を育ててくれたんだ。」陽太は感謝のこもった声で言う。「本当にいい人なんだよ。でも不運でさ、夫に恵まれなかった。旦那さんはギャンブルで借金作って逃げちゃったし、取り立て屋が毎日家に押しかけて、理恵さんと玲奈を責めてた…」彼はスマホの画面に映る小早川玲奈の自撮り写真を指差した。
「二人とも必死で怯えて暮らしてるのが可哀想で、どうしても放っておけなくて……うちに住ませてあげたんだ。」当時、陽太はまだ小学六年生だった。
「じゃあ、なんで出て行ったの?」念乃が問い詰める。
「中学二年の時、理恵さんが急に『女の子が男の子の家にずっといるのは良くない』って言って、二人で出て行くって…。でも、僕が男なのに女の子に苦労させられないし、理恵さんも体が弱いから無理はさせたくなかった。だから、僕が自分から出て行ったんだ。」
念乃は話を聞き終えると、ゆっくりと頷き、口元に冷たい笑みを浮かべた。
「なるほどね。つまりまとめると――ギャンブル狂いの父親に、病弱な母親、傷ついた娘、そして“お人好し”にも程があるあなた、ってわけ?」
念乃が思ったより怒っていない様子に、陽太はほっとしたように、どこか得意げに「うん、そんな感じかな」と返す。
次の瞬間、念乃の手が彼の額をパシッと叩く!
「何が“そんな感じ”よ、陽太!頭の中コンクリートでも詰まってるの?あの親子が家を乗っ取ろうとして、わざと理由を作って追い出したって気付かなかったの!?」
「……え?まさか…」陽太はきょとんとした顔で、「理恵さんたちはただ一時的に住んでただけで…」
「一時的?」念乃は呆れたように笑った。「どこの家が“一時的”で6~7年も住むのよ!」
彼女は小早川玲奈が掲示板にアップした全ての自撮り写真を拡大し、背景の隅々まで陽太の目の前に突き付ける。「見て!ちゃんと見なさい!何か気付かない?」
“借り住まい”なら、ここまで堂々と家主のブランド品を背景に写真撮る?まるで自分の家みたいに。
陽太はしばらく眺めた後、ぽつりと「ただの普通の女の子の自撮りでしょ?全部見たし、いいねも押したよ。何もおかしくないよ?」と答える。
念乃は大きく息を吸い、怒りを抑えながら、掲示板で彼を「成り上がり」と罵るコメントのスクリーンショットも見せる。玲奈は念乃の家に住み、ブランド品を見せびらかしながら、陽太を踏み台にしてキャラ作りをしていたのだ。
しかし、陽太は一蹴した。「ネットの中のゴミなんて気にしないよ。あんな奴ら、相手するだけ無駄だし!」
「…………」
念乃は完全に沈黙した。部屋の中を見回し始める。
「お母さん、何探してるの?」陽太は不思議そうに尋ねる。
「縄。」念乃は淡々とした声で答えた。「生き返る縄があったら、今すぐにでもあんたを締めてやりたい。」
陽太はビクッと身を引いた。「ま、待ってよ!僕が自分から出て行ったんだって、理恵さんと玲奈は最初から何も言ってないよ!」
この瞬間、念乃は確信した。陽太は小早川理恵に完全に“洗脳”されている、と。まともな会話なんて無理だと。
諦めたように、念乃は台所に行き、包丁を手に取ると、そのまま勢いよく外に出ようとする。
「今すぐ戻って、あの図々しい親子を追い出してやる!」――いつの間にか、家政婦の娘が“お嬢様”になり、正真正銘の家主が“成り上がり”扱いとは!
陽太は慌てて彼女を止める。「お母さん!落ち着いて!冷静になって!」
「どいて!」
「いやだ!玲奈と理恵さんを傷つけさせない!」
陽太は体を張ってドアの前に立ちふさがる。その顔は本気で、あの親子を守ろうと必死だ。
――息子は小早川玲奈のことが好きなんだな。
でも、昼間は告白してフラれたばかりのはずでは?
念乃は違和感を覚え、包丁を放り出して陽太のスマホをひったくる。案の定、LINEの一番上は“小早川玲奈”。トーク履歴を開くと、告白後のやりとりが残っていた。
陽太:「玲奈、僕のこと断ったのって、時田悠介のことが好きだから?
(傷ついた子犬のスタンプ)」
玲奈:「違うよ陽太!誤解だよ!今日急に言われてびっくりして…すぐに返事できなくて、ごめんね…(泣き顔スタンプ)悠介くんはただの委員長だから。もし陽太が怒ってるなら、もう二度と会わないから…(ハートブレイク)」
陽太(慌てて):「玲奈、そんなこと言わないで!怒るわけないよ!全部僕が悪かったんだ!」
玲奈:「陽太、私は怒ってないよ。(ハグ)」
念乃は目を見開いた。――まさかの“被害者ポジション”に切り替えてる?
そのとき、玲奈から新しいメッセージが届く。掲示板の悪口コメントのスクショだ。
玲奈:「陽太、掲示板で変なこと書かれてたけど、私がちゃんとみんなに説明しておいたからね~(ハート)」
陽太はすぐに返信する。「玲奈、本当にありがとう。(バラのスタンプ)」
念乃:「…………」
――本当に“詐欺師のプロ”はここにいたか、と心底呆れた。
怒りが頂点に達した念乃は、陽太の肩を両手で掴んで激しく揺さぶる。「バカ妖怪、出ていけ!うちの息子から出ていけ~~!」
ふと目をやると、陽太が用意してくれた“自分用の部屋”の机の上に、十数冊の本が整然と並んでいた。よく見ると、それは生前の念乃がよく読んでいた本だった。
彼女は目を輝かせて部屋に飛び込む。
「これ……御景台から持ってきたの?」
陽太は揺さぶられてフラフラしながらも、弱々しく頷いた。「……うん。」これらの本は、彼が母を想う気持ちの証だった。
念乃は慌てて本の中を探し始める。「『ホーキング宇宙を語る』はある?」
「え?」陽太は不思議そうにカラフルな髪をかきながら、「ホーキング宇宙…?なんで僕が宇宙を拾わなきゃいけないの?」
「…………」
念乃の手が止まり、十秒ほど絶望的な表情で沈黙した後、顔を上げて一言一言かみしめるように言う。「陽太!お願いだから、本を読んで!!!」
念乃は今すぐ“安定剤”が必要だと痛感する。やっとの思いで『ホーキング宇宙を語る』を見つけ、慣れた手つきで一ページを開き、そこに挟んであった、黒地に金色の模様が縁取られたカードを慎重に取り出した。
彼女はカードを握りしめ、すぐに部屋を出る。
「お母さん、どこ行くの?」陽太が慌てて尋ねる。
念乃は無表情で淡々と答える。「ああ、なんだか生き返ったばかりだけど、あんたのせいで三日も生き延びられそうにないから、先にあの世に帰るわ。じゃあね陽太、あんまりお母さんのこと思い詰めるなよ。お母さん、星になって見守ってるから。」
そう言って、バタンとドアを閉めて出て行った。
陽太:「???」
…
三十分後。
横浜市内の最高級ホテル、スイートルーム。
念乃は柔らかなカウチに身を沈め、最新モデルのスマートフォンを手にしていた。ダウンロード済みの金融アプリを開く。
画面には、上品な金色の文字が表示される。
「お帰りなさいませ、ブラックゴールド会員様。」
念乃の人生信条――分散投資。生前、彼女はプロの運用チームに任せた専用の資産口座を秘密裏に設けていた。この口座は、いかなる相続財産とも独立しており、認証はこのブラックゴールドカードとパスワードのみ。
十三年の時を経て、当時投資した資金はプロの手で雪だるま式に増え、ただの資産家から“資産家Plus”にグレードアップしていた。
夜はおにぎりを食べたけれど、豪華なシーフードの夜食を追加しても問題ない。オーストラリア産のロブスターを剥きながら、のんびり考える。
息子がここまで恋愛脳で、学もなく、お人好しになったのは、自分が早くにいなくなった責任が大きい。
でも、やっぱり我が子だ。見捨てるわけにはいかない。
ここは本気で矯正し直してやらないと。
スマホの画面が光り、2件の新着通知が届く。
【本人認証センター】:鈴原念乃様、新しい身分情報(18歳)が認証されました。[添付:新住民票表裏画像]
【湘南第三高校教務課】:鈴原念乃さん、入学手続きが完了しました。明日午前8時30分までに登校してください。