朝の光が、高校2年12組の教室に差し込む。
鈴原念乃は新品のバッグを背負い、教壇に立っていた。担任が隣で紹介する。
「今日から転校してきた鈴原念乃さんです。みなさん、よろしくお願いします。」
教室の一番後ろの席で机に突っ伏していた鈴原陽太は、勢いよく顔を上げ、何度も瞬きをした。まるで幻を見ているかのようだ。
昨夜、「帰るわ」と言い残しドアをバタンと閉めて出て行った念乃を、陽太は呆然としたまましばらく動けず、慌てて追いかけた時にはもう姿はなかった。街中を探し回ったものの、手がかりもないまま夜を明かし、あの母子再会は自分の願望が見せた夢だったのかと疑い始めていた。
そんな中、息子の驚きで固まった視線に気づいた念乃は、こっそりとウインクしてみせた。
陽太「……」夢じゃない! 本当にいる!
「鈴原陽太! 何してるの? 早く座りなさい!」担任が鋭い声で叱り、黒縁メガネを押し上げる。その後、念乃に向かい、少し柔らかい口調で続けた。「鈴原さん、空いてる席にどうぞ。」
念乃は教室をぐるりと見回すふりをし、迷わず陽太の隣の空席を指差した。
「先生、あそこに座りたいです。」
その一言で、教室は一瞬、妙な静けさに包まれる。驚きと好奇心、そして少しの面白がる視線が集まってくる。
新しい転校生が……まさか、あの席を選ぶなんて!
「えっと、鈴原さん、もう少し考えた方が……」担任は慌てて止めようとした。こんな大人しそうで可愛い子が、あの陽太の隣なんて、初日から泣いて席替えを頼む羽目になるのが目に見えている。
「大丈夫です。ここがいいので。」念乃はきっぱりと言い、教壇を降りて通路を進み、周囲の視線を気にも留めずに、陽太の隣の席へ堂々と腰掛けた。
*
2分後、校舎裏の人気のない場所にて。
「お前……」陽太は目の前の、十八歳でありながら見慣れたその顔を見つめ、何か言いかけては口ごもる。触れてみたくても勇気が出ない。
念乃「疑うな。間違いなく母さんだ。」
「……」陽太は息を詰まらせ、焦った様子で問い詰める。「昨日どこ行ってたんだよ!」
「居場所を探してただけ。」
「は? でも今、戸籍もないだろ? 住民票もないのにどうやって暮らすんだよ。それに、なんで転校生なんだ? しかも同じクラス? 一体何考えてんだ?」
念乃は軽く目を閉じる。
この子、ほんとに質問多いわ。
万能な返答を投下する。「余計なお世話。」
言い終わってから、自分の“息子更生”という使命を思い出し、ぎこちなく言い直す。「……あなたには関係ない。」
陽太「……」
念乃「もういい? じゃあ教室戻るよ。授業始まるから。」
陽太「……」
質問は全部したけど、答えはひとつももらえなかった。モヤモヤしながら念乃の後ろについて教室へ戻る。
教室に戻ると、派手なツンツン頭の佐藤翔太が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「陽太、どうだった? ちゃんとやっつけた?」
「何を?」
「転校生に決まってるだろ。」佐藤は当然のように言う。陽太と言えば1組の小早川玲奈が大のお気に入りで、今まで女子が隣に座ろうものなら、二時間目が終わる頃には泣きながら席替えを願い出ていた。今回も皆、同じ展開を期待していたのだ。
佐藤は念乃の方をちらりと見て、首を傾げる。「あれ? 転校生、全然平気そうじゃね?」ニヤニヤしながら声を潜め、「もしかして、可愛すぎて手を出せなかったんじゃ? だったら俺が代わりにやってやろうか? 今日中に泣かせて――」
言い終わる前に、陽太のげんこつが佐藤の頭に落ちた。
「誰を泣かせるって?」
佐藤は頭を押さえ、「え?」
「彼女だ。」陽太は周囲の子分たちにも鋭い目を向けて、「誰も手を出すな。」
そう言い残し、自分の席に戻っていった。
佐藤と仲間たちは顔を見合わせ、頭の中は疑問だらけだった。
*
念乃は、学生としての適応が驚くほど早かった。
最初の授業は現代国語。教科書を机にきちんと置き、姿勢も完璧だ。
若い国語教師が教室に入ってくる。昨晩ほとんど眠れなかった陽太は、すでに机に突っ伏して夢の中。
教師が「教科書を開いて」と言ったとき、寝ている陽太にすぐ気付いた。「そこの君! まだ寝てるのか!」
陽太は微動だにしない。
「隣の女の子、起こしてくれる?」と念乃に指名が飛ぶ。
その瞬間、クラス全員が一斉に振り返り、期待に満ちた視線を送る。
陽太の寝起きは最悪で、授業中の居眠りなんて日常茶飯事。教師陣も彼には手を焼いていて、見て見ぬふりをするのが常。だが、この国語教師は新任で、事情を知らないらしい。
昨夜の掲示板も陽太への罵声で溢れていたが、実名で批判する者はいない。なぜなら、マジで手を出してくるからだ。1年の時、うるさくしていた男教師の腕を折った噂もある。
この可愛い転校生も同じ目に遭うのか――
教師は言ったそばから後悔し、同僚の忠告を思い出して「やっぱりいい」と言いかけた。
だが、念乃の白く細い手がすでに陽太のカラフルな髪をガシッとつかみ、思い切り後ろに引っ張ると――パッと離した。
バンッ!
陽太の額が机に強打される。
教室中が息を呑んだ。
「くそっ!」激痛で飛び起きた陽太は、怒り狂いながら叫ぶ。「誰だ、ぶっ殺すぞ!」
「陽太、授業中だよ。寝ないで。」念乃は無邪気そうな笑顔を浮かべながら、目は冷たい光を宿していた――この子、学校で毎日寝てばっかりか!
「……」
皆が固唾を飲んで次の怒号を待っていると、さっきまで怒り心頭だった陽太の火は、一瞬で水をかけられたように消えてしまった。
あの陽太が、しょんぼりと「……ああ」と答え、素直に席に座り、ゆっくりと教科書を開いたのだ。
クラス全員「???」
それだけ? 終わり!?
念乃は手を挙げて報告した。「先生、起きました。」
教師も予想外の展開に呆気にとられる。「……あ、ああ、じゃあ続けましょう。」
*
現代国語の一時間、クラス全員がまるで夢を見ているかのような気分で過ごした。
休み時間、購買前。
「陽太、なんで転校生をやっつけなかったんだよ?」佐藤はスナック菓子をかじりながら不満そうに言う。
「そうだよ! あれは完全に陽太への挑発だろ!」もう一人が同意する。
佐藤が急に思い出したように言った。「待てよ、思い出した! 昨日、陽太のこと追いかけて怒鳴ってた女だろ、あいつ!」
「マジかよ!」
「うわ、それはさすがに許せねぇ! 湘南三高で幅をきかせるつもりか?」
「みんな、黙れ!」陽太が低い声で制した。「俺が言っただろ、手を出すな。これはお前らのためだ。」
子分たちはぽかんとする。「???」
「陽太、冗談だろ? あんな華奢な女の子に何をビビるんだよ?」一人が叫ぶ。
「お前ら、何もわかってねぇ。」
陽太は少し間を置いて、敬意と恐怖が入り混じった表情で真剣に言った。
「あいつ……ケンカ、めちゃくちゃ強いから。」