十八歳に戻った鈴原念乃は、久しぶりの学校生活を新鮮に感じていた。制服を着て、目に映るものすべてがどこか新しく、懐かしい。
昼休みの食堂は賑やかだった。念乃はトレイに色々なおかずを少しずつ盛り、席に着いて夢中で食べ始める。学食の味付けは決して絶品とは言えないが、どこか青春の香りがして妙に落ち着く。
お腹が満たされトレイを返しにいくと、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「見て見て、鈴原陽太がまた来たよ!」
「また早川さんにヨーグルトを渡しに来たんだってさ。」
「自分の顔を鏡で見てからにしてほしいよね……」
念乃はその視線の先を見る。食堂の入口近くの大きな木の下で、陽太は制服の上着をはだけ、ドクロ柄の黒いTシャツを見せつけるようにして、特徴的な髪型を揺らしながら、手にヨーグルトを持ってしゃがみ込んでいた。その様子はまるで石像のようにじっとしている。
そんな中、小早川玲奈が友人たちと食堂から出てきた。すかさず、隣の友人が声を潜めて言う。「玲奈、また陽太が来てるよ。」
玲奈は一瞬足を止め、静かに小さくため息をついた。その表情には、ちょうど良い塩梅の困惑と諦めが漂う。周囲の空気が一気に張り詰め、みんなが息を潜めて、陽太が断られて落ち込む様子を待ち構えていた。
そのとき――!
玲奈が木の前に差し掛かろうとした瞬間、すらりとした白い手がさっと伸びてきて、陽太の手からヨーグルトをひったくった。
一同:「えっ!?」
念乃は何事もなかったかのように蓋を開け、ごくごくと一口飲む。果肉入りで、甘酸っぱくて美味しい。
「うん、悪くないね。」と一言。
陽太は一瞬ぽかんとし、手元が空になったことに気づいて立ち上がりかける。「……それ、別にお前のために買ったわけじゃないからな。」
念乃は眉を上げる。「へぇ?じゃあ私は飲んじゃいけないの?」
「いや、飲みたきゃ購買で買えばいいだろ。」昨日お小遣いも渡したばかりだし。
「そう。飲んじゃダメなんだ?」念乃は感情を見せずに繰り返す。
陽太が返事をする間もなく、「分かったよ。」と静かに。
そう言い終わるや否や、念乃は勢いよくヨーグルトのボトルを陽太の胸元に投げ返し、そのまま後ろも振り向かずに去っていく。
「ちょっ――!」
陽太は何とも言えない不安に駆られ、条件反射のように慌てて追いかけた。本能が「このままじゃヤバい!」と警告していた。
「……怒ってるの?」声を落として、やっとの思いで「……お母さん?」と小さく呟く。
念乃は立ち止まり、振り返る。大きな瞳をぱちぱちと瞬かせて、「え?どちら様?私、あなたと知り合いでしたっけ?」と、とぼけてみせる。
「……」
陽太の危険察知センサーがフル稼働し、慌ててヨーグルトを両手で差し出す。「ごめん!悪かった!飲んでいいから!どうぞ!」
念乃は受け取らず、腕を組んだまま。「本気じゃないなら、いらない。」
「本気だって!絶対に!」陽太は今にも神に誓いそうな勢い。
念乃は空を見上げて、「私のために買ったわけじゃないなら、いらない。」
「……じゃあ今すぐ買ってくる!何味がいい?苺?ブルーベリー?パイン?全部買ってくる!」
念乃は少し考えるふりをして、「じゃあ全部。」とあっさり。
母親の機嫌が直るなら何でもするさ!陽太は救われた気持ちで、勢いよく駆け出した。「分かった分かった!全部買ってくる!」
食堂の皆は、念乃が腕を組んでふんぞり返って歩き、陽太が従順な子分のように後ろをついていく姿を目撃することになった。
これが、小早川玲奈がいる前で、陽太が彼女を完全に無視した初めての瞬間だった。
食堂の前は一瞬、凍りついたように静まり返った。
「今の子、誰?」
「え、陽太があんなに言うこと聞いてるの?」
「12組に転校してきた鈴原念乃って子らしいよ。」
「めっちゃ可愛いじゃん!玲奈さんより目立つかも……!」
そんな声が玲奈の耳にもしっかり届いていた。玲奈はその場に立ち尽くし、前髪の下の長いまつげがかすかに震える。信じられない――陽太が自分を置いて、他の女の子についていくなんて。今までなら、少しでも自分に誤解されるのを恐れて、女子とは極力距離を置いていたのに。
購買で陽太は大出費し、念乃の机をお菓子で山積みにして、ようやく母親の機嫌を直すことができた。
昼休み、親孝行のために、陽太はこっそり念乃にメモを渡す。
「母さん、明日土曜だけど、一緒に出かけない?」
念乃「いや、寝る。」
陽太「……」
さらに書く。「最近どこ泊まってるの?」
念乃「言ったでしょ、道端だよ。夜、外出しないから見かけないんじゃない?」
陽太「…………」
今日の会話はここまで、と紙を細かく破り捨て、机に突っ伏して昼寝に入った。最近は授業中、もう眠ることもできない。なぜなら、目を閉じると母親のチョークが正確に額を直撃するからだ。未だにそのコブが治らない。まったく、文句も言えたもんじゃない。
仕方ない、相手は母親なのだから!昼間に眠気を感じないように、ネットゲームで夜更かし三昧だった陽太も、すっかり早寝早起きが習慣になってしまった。
土曜日。
念乃はホテルのスイートで昼までぐっすり眠り、爽快な気分で目を覚ます。
買い物へ出かける道すがら、グループとすれ違った。先頭は小早川玲奈。その周りには男女合わせて7、8人の生徒たちがワイワイ楽しそうにしている。どうやら「お嬢様の家」に遊びに行くらしい。
念乃は彼らと一瞬だけ目を合わせ、すぐに気にせずおにぎりに集中した。
ところが、玲奈が自ら近づいてくる。完璧な微笑みを浮かべて――「鈴原念乃さん、ですよね?偶然ですね。この前、校門でお見かけしましたけど、まさか湘南三高に転校してきた方だったとは。」
玲奈は少し表情を曇らせ、感謝と困惑が入り混じった顔で言葉を続ける。「あの日は、本当に助かりました。もしあなたがいなかったら、陽太くんの告白にどう対応すればいいかわからなかったんです。あの時は……本当にありがとう。」
これまで念乃は玲奈のことを、素直で穏やかなタイプだと思っていたが――
今は、顔を隠さず大きく目をむいて玲奈を睨みつけた。
陽太が自分に手出しできないのを分かっていながら、わざわざ「お礼」と称してやってくる玲奈。
一見感謝の言葉だが、実際には陽太が「迷惑行為をする男」であると印象づけ、自分は「無垢で寛容」なヒロインであることを周囲に見せつけている。まさに時代を問わぬ、典型的な計算高いタイプだ。
「ちょっと、何するの!?」
玲奈の後ろにいた高橋恵理香が、念乃の態度に気付き、眉をひそめて怒鳴る。「玲奈はちゃんとお礼を言いに来てるのに、あなたその態度は失礼じゃない?」先日、陽太を「カエル」呼ばわりした子だ。
「恵理香、もういいよ。」玲奈は困ったように恵理香を止めた。
玲奈は念乃を見つめ、唇を軽く噛みしめて、少し傷ついたような目で言う。「念乃さん、お会いするのはこれで二度目ですよね?私、何か誤解されるようなことをしたでしょうか?ただお礼を伝えたかっただけなんです。他意はありません。」
念乃はおにぎりを飲み込み、淡々と答える。「誤解じゃない、全部事実。」
玲奈の表情が固まる。湘南の「お嬢様」として皆に持ち上げられてきた彼女が、こんなにはっきりと面と向かって突き放されたのは初めてだった。
「信じられない。あの日、陽太を止めたのはいいことだと思ったのに、やっぱり見る目がなかったみたい!」と、またもや高橋恵理香が口を挟む。
そして念乃の手のおにぎりを見て、嘲るような笑みを浮かべる。「そんな下品なもの食べてるから、貧乏くさくなるんじゃない?陽太みたいな貧乏人と仲良くできるわけだ。」
「お嬢様」と友達であることに自信を持っている高橋恵理香の言動は、どこか見下したものになっていた。玲奈も陽太が「貧乏人」と言われても、一切否定しようとしなかった。
念乃の頭の上に、三つの大きなクエスチョンマークが浮かぶ。
陽太のことはさておき、このおにぎりに何の罪がある?
次の瞬間、念乃は食べかけのおにぎりを包み直し、高橋恵理香の腕をつかんでコンビニの前まで引っ張っていく。そして、忙しそうな店員に向かって大きな声で言った。
「この子、あなたのおにぎりが不潔で貧乏くさいって言ってます!」