「はぁ!?」
おにぎりを握っていた店主は、その言葉に手を止めて目を見開き、高橋恵理香をきっと睨んだ。大きな声で言い放つ。
「うちは衛生許可証も営業許可証も全部揃ってるよ!食材だって毎日新鮮なのを仕入れてるんだ!君みたいな小娘に、なんでうちのおにぎりが汚いなんて言われなきゃならないんだ!」
その一喝で、周囲の視線が一斉に集まる。並んでいた客たちもざわめき始め、見慣れた顔もちらほらと見える。
「ちょっと!小さいくせに、よくそんなこと言えるな。ここのおにぎり、俺もう二年も食べてるけど、いつも清潔だぞ!」
「そうだそうだ!こんな失礼な子、店主さんは名誉毀損で訴えてやれ!」
「動画撮ってネットに上げようぜ、みんなに判断してもらおう!」
あっという間に、周りの視線とスマホのレンズが高橋恵理香に集中する。彼女は、ほんの出来心で口を滑らせただけなのに、鈴原念乃がこんなに強引に店主の前に連れてくるなんて思ってもみなかった。
これ以上ない恥ずかしさに包まれ、顔色はみるみる青ざめ、目には涙が浮かび、今にも泣きそうな様子でその場に立ち尽くす。
結局、小早川玲奈が慌てて間に入り、申し訳なさそうに店主へ頭を下げて平謝りした。高橋恵理香も渋々、店主に深く頭を下げて、蚊の鳴くような声で「……すみません、私が嘘を言いました……」と謝るしかなかった。こうして、なんとか騒動は収まった。
一緒にいたクラスメイトたちも気まずそうにしており、場の雰囲気は最悪。小早川玲奈はすぐさま皆を連れて、その場を離れることにした。
人が散らばったあと、鈴原念乃は平然と道端にしゃがみ込み、再びおにぎりを食べ始める。食べ終わると、包装紙をゴミ箱に投げ入れ、ポケットのスマホが鳴った。
新着メッセージだ。新居のデザイナー:「鈴原さん、もう御景台に到着されましたか?今、工事担当者とお部屋でお待ちしています。」
鈴原念乃は指で画面をタップし、「もうすぐ着きます〜」と返信した。
御景台の堂々たる正門の前に立ち、見上げると、懐かしさと新しさが入り混じる高層マンション群が広がっている。十三年経っても、ここは神奈川県でも屈指の高級住宅地だ。しかも驚いたことに、マンションの顔認証システムには、まだ自分のデータが残っていた!顔をかざすと、「ピッ」という音と共に、ゲートが開いた。
慣れた足取りで、自分の棟へ向かう。エントランスはカードキーが必要だが、新居のカードは今デザイナーが持っている。メッセージで開けてもらおうとスマホを手にしたその時――
「ちょっと、あんた、どうやってここに入ったのよ!?」
鋭い声が響いた。怒りをあらわにした高橋恵理香が、鈴原念乃を睨みつけながら駆け寄ってくる。あんなに恥をかかされたことはなく、その怒りの矛先は全て鈴原念乃に向いていた。
「聞いてるでしょ、どうやって入ったのよ!?」
「入ったって?」鈴原念乃は首をかしげ、面白がるような口調で答える。「もしかして、私の家がここにあるって可能性は考えなかった?」
「はあ?」高橋恵理香は鼻で笑い、「何それ、冗談でしょ?あんたの家が御景台?そんな嘘、誰が信じるのよ!」
鈴原念乃:「???」
「恵理香、どうしたの?」
そこへ小早川玲奈と他のクラスメイトたちがやって来た。実は、彼女たちもすでに御景台に到着していたが、小早川玲奈はすぐに自宅に向かわず、まずは中庭を案内しながら写真を撮っていた。滅多に入れない高級住宅街、せっかくだから記念に残したかったのだ。
「鈴原さんも来てたんだ?」と、玲奈は驚いたように声をかける。「どうしてここに?」
鈴原念乃は端的に答える。「私の家、ここだから。」
小早川玲奈は一瞬きょとんとし、鈴原念乃の後ろの建物を見上げて、「……つまり、この棟に住んでるの?でも、私が引っ越してきてから一度も見かけたことないけど?」
鈴原念乃は心の中で呟く――そりゃそうだ、あなたが私の家に勝手に住んでる間、私は“死んでた”んだから。生きて会ってたら、それこそお化けだよ。
玲奈の「見かけたことがない」という言葉が、高橋恵理香には格好のネタとなった。
「ほら見なさい!嘘つき!バレバレじゃない!」得意げに玲奈に向き直る。「玲奈、さっき門が開いてたから、あの子が後からついてきたんだよ、絶対!あんな子が御景台に住めるはずないって!」
玲奈は「御景台のセキュリティがそんなに甘いわけ……」と言いかけたが、そのとき視線の端に一人の男子生徒の姿が映った。
白いシャツを着て、背筋が伸びた端正な顔立ちの男子が、こちらに歩いてくる。
玲奈の目がわずかに輝き、すぐに可愛らしい笑顔で声をかけた。「委員長?」
やってきたのは時田悠介。三ヶ月前、東京の有名校から湘南第三高校に転校してきたばかり。裕福な家庭で、今は御景台の別の棟に住んでいる。
「これからお出かけですか?」と玲奈が声をかける。
時田は淡々と、「うん、ちょっと用事があって」とだけ答えた。歩みを止めることなく、ふと鈴原念乃に視線を向け、一瞬だけ足を止める。
その隙を突いて、高橋恵理香が再び騒ぎ出す。「玲奈、早く管理人呼んで!こんな嘘つき貧乏人、追い出しちゃいなよ!御景台は、誰でも入れる場所じゃないんだから!」
玲奈は時田の視線が一瞬だけ鈴原念乃に向かったのを見逃さなかった。
そっと髪を耳にかけ、白い首筋を見せながら、優しく恵理香を制した。「恵理香、やめて。」
そして鈴原念乃の前に立ち、穏やかな笑顔で、「鈴原さん、もし御景台に興味があるなら、素直に言ってくれれば案内できたのに」と優しく言う。ちらりと時田にも視線を送ってから、「せっかくだから、私の家に寄っていかない?中を案内するから、もうこういう入り方はしなくて済むようになるわよ」と続けた。
鈴原念乃:「?」 あなたの家を見学?どんな入り方?
「玲奈!だめだよ!」と恵理香が割って入る。「さっきあんなに失礼なこと言われたのに、なんで家に招くの?」
玲奈は首を振り、優しい笑顔で応じる。「大丈夫よ、恵理香。私は気にしてないから。同じクラスメイトだしね。」その寛大さに、周りのクラスメイトも感心した様子。
本来、鈴原念乃は今日は新居の内装チェックのために来たのだが、玲奈の「招待」はむしろ好都合だった。自分の家がどんなふうに「乗っ取られて」いるか、確かめてみたかったからだ。彼女はあっさりとうなずいた。
「いいよ、じゃあ1701号室に行こう。」
玲奈の顔が一瞬固まる。「……どうして私の家が1701号室だって知ってるの?」
すかさず恵理香が大声を上げる。「ああ、分かった!最初からそのつもりだったんでしょ!玲奈の家に行くために、わざわざここまで着いてきたんだ!部屋番号まで調べて、用意周到すぎる!」
鈴原念乃はそれ以上相手にせず、腕を組み、やる気なさそうに催促する。「行かないの?見学するんでしょ?早くしてよ。」
その堂々たる態度に、場にいた全員が言葉を失った。訪問客なのに、どうしてこんなに偉そうなのか……。
玲奈は内心の動揺を隠し、時田に向かって変わらない笑顔で言った。
「委員長、私たち先に行くね。また月曜日に。」
時田は軽くうなずき、再び鈴原念乃に視線を送り、そのまま歩き去った。深く静かなまなざしが、何かを確かめるように鈴原念乃の顔に一瞬だけ留まった。