ゲーム機は使わせてもらえず、フィギュアも触らせてもらえない。ウイスキーの棚も開けられない。仕方なく、一同は小早川玲奈の案内で、この控えめながらも贅沢な邸宅を見学し続けることになった。玲奈は、みんなの関心が鍵のかかったキャビネットへ向かないよう、わざと広いテラスへと誘導し、遠くに広がる壮大な海の景色を楽しませようとした。
その頃、鈴原念乃は静かに主寝室――かつて自分の部屋だった――へと足を踏み入れた。
部屋の間取りは変わっていなかったが、念乃の痕跡はすべて消え去り、代わりに玲奈の日用品が並んでいた。念乃は部屋を見回し、ふと何かを思い出したようにウォークインクローゼットへ向かった。迷いなく奥のカーテンをめくり、隠された凹みを指先でそっと押す。
「カチッ」という音とともに、隠し扉が飛び出し、ほんのり青く光る指紋認証器が現れた。
念乃はためらうことなく親指を押し当てる。
「ピッ――」
電子音が鳴ると同時に、クローゼットの奥の重厚な扉が静かに横へとスライドした。
これは念乃がかつて多額の費用をかけて作った秘密の部屋で、自分の大切なコレクションを保管していた場所だ。扉が開いた瞬間、自動で柔らかな明かりが灯り、中央のゴージャスなガラスケースと、三方を囲むディスプレイラックを鮮やかに照らす。
ガラスケースには、キラキラと輝くダイヤモンドのネックレスや宝石のブレスレット、高級腕時計やラグジュアリーなイヤリングがずらり。壁には限定品やクラシックモデルのブランドバッグがずらりと並び、まるで小さな高級ブランドのミュージアムのようだ。
念乃は感極まったように歩み寄り、愛おしそうに「宝物たち」をひとつひとつ撫でる。
「十三年」――本当に会いたかった!
新品同様の限定バッグを手に取り、胸に抱きしめる。これは「事件」の直前に手に入れたもの。まだ数回しか使っていない。だが、流行は移り変わり、今や最先端のデザインではなくなっていた。
名残惜しそうにバッグを戻し、念乃は中央のジュエリーケースに目を移す。
ダイヤモンドは永遠の輝き――。
せめて、この眩いばかりの宝石たちが「失った」バッグへの心の痛みを少しでも癒してくれる。
よく見ると、ガラスケースの表面にはうっすらと埃が積もり、隠し扉のレールにもほこりがたまっている。念乃が「いなくなって」から一度も開けられていない証拠だ。
思わず念乃の口元が緩む。
やっぱり、この部屋は完璧に隠されている。指紋がなければ誰も入れないし、存在すら気付かれない。
どうやら、陽太も玲奈親子にすっかり転がされてはいるものの、この秘密だけは誰にも漏らしていなかったらしい。
念乃は満ち足りた思いで部屋いっぱいの「宝物」に心の中で叫ぶ。
待っててね、みんな。ウイスキーの「お友達」たちも、みんな、もうすぐ――
私が必ず連れて帰るから!
念乃は手早く部屋を元通りにし、何事もなかったかのように主寝室を後にした。
「どんな気分?貧乏人さん。見学してどうだった?生まれて初めて、こんな豪華な家を見たんじゃない?」
リビングに戻ると、高橋恵理香のいやらしい声が響いた。腕を組み、顎を高く上げ、まるで施しをするような態度で念乃を嘲る。
「しっかり目に焼き付けておくことね!こんなチャンス、二度とないわよ?次は絶対見られないから!」
念乃は素直に頷いた。「うん、その通りだね。」
本当に、これが最後だ。この家をちゃんと見られるのも、みんなでここにいるのも。
まるで念乃の心を証明するように、恵理香の言葉が終わった瞬間――
「ピンポーン――!」
ドアチャイムが鳴った。
玲奈は条件反射で立ち上がりかけたが、すぐに「令嬢」としての自覚を思い出し、「家には使用人がいる」という体裁も気にした。咳払いして、威厳を保ちつつキッチンの方へ声をかける。「理恵さん、玄関お願い。」
キッチンで来客の対応にてんてこ舞いしていた小早川理恵は、顔も上げずに不機嫌そうに言い返した。「見てわかんない?今忙しいの!自分で開けなさいよ!」
その瞬間、リビングは一気に静まり返る。みんなキッチンの方を驚きの眼差しで見つめる――この「手伝い」、ずいぶん態度がでかいな……?
理恵はハッと我に返り、周囲の視線に気付くと、顔がさっと青ざめ、次の瞬間真っ赤に。慌てて気まずそうな笑顔を浮かべ、何度もお辞儀しながら「ご、ごめんなさい、お嬢様!私ったら、つい……すぐ行きます、すぐ!」と、エプロンで手を拭い、慌てて玄関へ向かった。
扉を開けると、外には制服姿で名札を付けた管理組合のスタッフが男女二人立っていた。
「こんにちは」女性スタッフがにこやかに挨拶し、はっきりとした声で伝える。「御景台管理組合の者です。1701号室の管理費と修繕積立金が1ヶ月以上滞納されています。本日が最終期限のため、至急お支払いをお願いしたく伺いました。」
「え、ええ?管理費?」理恵はきょとんとする。
「奥様、」女性スタッフは丁寧に説明を続ける。「専用の口座の残高不足で、先月分の自動引き落としができなかったんです。当組合から通知もお送りしています。」
理恵はさらに混乱する。もう何年も、陽太がすべての支払いを一手に引き受けてくれていたので、管理費のことなどすっかり忘れていた。「専用口座」と聞いて、明らかに動揺しつつ急いでリビングに戻り、玲奈を端に引き寄せ、小声で急かす。
「早く!陽太に連絡して!管理費の口座が残高不足で、管理組合が来たのよ!早くチャージしてもらって!急いで!」
玲奈も一瞬戸惑う。こちらも、すべての支払いは陽太任せが当たり前だった。慌ててポケットを探るが、スマホが見当たらない。
「私のスマホ、どこ?」玲奈は焦って周囲を見回す。「誰か、私のスマホ知らない?」
みんな、玲奈がスマホで支払いをしようとしているのかと思い一緒に探すが、誰も見つけられない。「見てないよ」「さっきまで持ってたよね?」
恵理香は自分のスマホを取り出し、「玲奈、今かけてみる!」と電話をかけるが、リビングは静まり返ったまま、どこからも着信音はしない。
そのとき、玲奈は思い出した――さっきマナーモードにしていたのだ。しまった!目で合図し、理恵に自分のスマホで陽太へ連絡するよう指示した。
理恵はスマホを持って慌ててベランダへ。
誰も気が付かなかったが、念乃は一人ソファに座り、スマホの画面には「通話中」の表示。片耳には小さなBluetoothイヤホン。
『もしもし?誰?かけてきたなら何か言えよ?』電話の向こうから陽太の困惑した声が響く。
念乃は素早く画面でメッセージを打つ。「お母さんだよ。」
『えっ、母さん?やっと連絡してくれた!これ新しい番号?』陽太の声は一気に高揚する。最近、放課後の念乃が忽然と姿を消し、行方が分からなくなっていたのだ。
念乃:「うん。」
『今どこ?迎えに行こうか?喋れないの?メッセージで?』陽太は心配する。
念乃:「話せない。」
『え、何かトラブル?すぐ行くよ!』陽太は焦る。
念乃:「大丈夫。新しいカード、店員さんが8分以上通話しないと正式に使えないって。」
『あ、そういうことか。じゃあ、このまま8分待てばいいの?』
念乃は一瞬指を止め、真顔のままタイプする。「だめ。受け手が話し続けないといけない。《翼をください》歌って。」
『???そんなルールあるの?』
念乃:「歌う?歌わない?」
三文字の圧が画面越しに伝わる。
『……歌う!』陽太は観念し、咳払いしてから歌い始めた。「今は幸せを信じてるから……」
歌が終わると、おそるおそる尋ねる。
『……どう?大丈夫?』
念乃:「悪くない。もう一曲。」
陽太は逆に嬉しそうに、『母さん、歌好きなの?』と聞き、「肯定」の返事に大張り切り。テレビのリモコンをマイク代わりに、さらに熱唱し始める。「…翼はためかせ 旅立つ日を待つ……」
その瞬間、念乃は無表情で、ものすごい速さでイヤホンを外した。
……この子の歌、やっぱり無理。
理恵は焦り顔でベランダから戻り、玲奈の耳元で囁く。「ダメ!陽太にメッセージも既読にならないし、電話も出ない!」
玲奈は青ざめる。「……」
どうしよう……?
玄関先で待たされていた管理組合の二人が業を煮やして顔を覗かせる。「すみません、1701号室の方、ご対応お願いします。」
「……はい。」玲奈は観念して玄関へ向かい、やや引きつった笑顔で、なんとかごまかそうとする。「あの……すみません、今スマホが見つからなくて。支払い、明日でもいいですか?必ず明日払いますので!」
明日になれば、陽太がチャージしてくれるはず。
だが、女性スタッフの笑顔は崩れず、しかしきっぱりとした口調で答える。「申し訳ありません。1701号室はすでにかなりの滞納です。本日が最終期限となっています。ご協力いただけますよう、よろしくお願いします。」少し声を張り、リビングの全員にはっきりと聞こえるように付け加えた。
「このフロアで、未納はあなただけなんですよ。」