「客だ」
それだけ言って、手を離す。
キングスリーの表情が、一瞬だけ歪んだ。
だが、ここはジム。公の場。そう簡単に牙は剥けない。
スタッフも利用者も、すでに視線を向けていた。
「……へぇ、そうか」
口元に引き攣った笑みを浮かべる。
“拒まれる”とは思ってめいなかった男のそれだった。
鈍い傲慢さ。自分がいつも主導権を握っていると信じて疑わない顔。
「なら、お前もルールを守れよ?」
言い捨てるようにそう言って、キングスリーは手を引いた。
だが去りはしない。
そのままジムの奥、ダンベルエリアへと悠然と歩いていく。
ジョージは、男の背を目で追った。
あの男はただの客じゃない。
ナンシーを口説くために来ているわけではない。
この態度は、確信からくるものだった。
横でナンシーが小さく息を吐いた。
「……ありがとう。でも、気にしないで」
ジョージは、ふと彼女の手元を見る。
指先が、わずかに震えていた。
「気にするなって言われてもな」
静かに返しながら、再びキングスリーに目をやる。
スーツ姿のまま適当にダンベルを掴み、雑なフォームで持ち上げている。
周囲のトレーナーや客に対しても、横柄な態度を取る。
スタッフが何か注意を促すと、鼻で笑って手を振った。
“邪魔するな”という仕草。
「……ナンシー、あの男、いつからここに?」
「……半年くらいかしら。最初は、ただの客だったのよ。でも……」
彼女は一瞬、言葉を探すように間を置いた。
「……ストーカー被害にあったとき、すごく気にかけてくれて……
いろいろ助けてもくれたの。
だから最初は、ありがたいって思ってた」
だが、そこから言葉が鈍くなる。
声のトーンが、わずかに落ちた。
「……でも、それでも――なんか、怖くて……」
“感謝”と“恐怖”。
その狭間で揺れる声だった。
ジョージは視線を戻し、キングスリーの後ろ姿を見つめた。
「なぜ、ここまで好き勝手にできる?」
ナンシーは視線を伏せ、口元を引き結ぶ。
苦い沈黙。やがて、重い事実を落とすように言った。
「……彼、このジムの出資者なの」
ジョージの目が細くなる。
「つまり、君は強く言えない立場ってことか」
ナンシーは唇を噛み、視線を落とした。
「今のところ直接的な被害はないし……それに、利用者のことを考えたら……」
言葉に虚勢が混じる。
肩がわずかに上がったまま戻らない。
ジョージはまた、視線を送る。
キングスリーは、自分を“この場所の支配者”だと思っている。
単なる思い込みじゃない。
実際にそうできると信じている。
ジョージは視線を逸らさなかった。
キングスリーの動き。スタッフの顔。ナンシーの緊張。
小さな兆候すべてが、あの男の“本性”を物語っていた。
ポケットの中。スマホが冷たかった。