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015:「客だ」――無言の抑止力


「客だ」


 それだけ言って、手を離す。


 キングスリーの表情が、一瞬だけ歪んだ。

 だが、ここはジム。公の場。そう簡単に牙は剥けない。

 スタッフも利用者も、すでに視線を向けていた。


「……へぇ、そうか」


 口元に引き攣った笑みを浮かべる。

 “拒まれる”とは思ってめいなかった男のそれだった。

 鈍い傲慢さ。自分がいつも主導権を握っていると信じて疑わない顔。


「なら、お前もルールを守れよ?」


 言い捨てるようにそう言って、キングスリーは手を引いた。

 だが去りはしない。

 そのままジムの奥、ダンベルエリアへと悠然と歩いていく。


 ジョージは、男の背を目で追った。

 あの男はただの客じゃない。

 ナンシーを口説くために来ているわけではない。


 この態度は、確信からくるものだった。


 横でナンシーが小さく息を吐いた。



「……ありがとう。でも、気にしないで」


 ジョージは、ふと彼女の手元を見る。

 指先が、わずかに震えていた。


「気にするなって言われてもな」


 静かに返しながら、再びキングスリーに目をやる。

 スーツ姿のまま適当にダンベルを掴み、雑なフォームで持ち上げている。

 周囲のトレーナーや客に対しても、横柄な態度を取る。

 スタッフが何か注意を促すと、鼻で笑って手を振った。

 “邪魔するな”という仕草。


「……ナンシー、あの男、いつからここに?」

「……半年くらいかしら。最初は、ただの客だったのよ。でも……」


 彼女は一瞬、言葉を探すように間を置いた。


「……ストーカー被害にあったとき、すごく気にかけてくれて……

 いろいろ助けてもくれたの。

 だから最初は、ありがたいって思ってた」


 だが、そこから言葉が鈍くなる。

 声のトーンが、わずかに落ちた。


 「……でも、それでも――なんか、怖くて……」


 “感謝”と“恐怖”。

 その狭間で揺れる声だった。


 ジョージは視線を戻し、キングスリーの後ろ姿を見つめた。


「なぜ、ここまで好き勝手にできる?」


 ナンシーは視線を伏せ、口元を引き結ぶ。

 苦い沈黙。やがて、重い事実を落とすように言った。


「……彼、このジムの出資者なの」


 ジョージの目が細くなる。


「つまり、君は強く言えない立場ってことか」


 ナンシーは唇を噛み、視線を落とした。


「今のところ直接的な被害はないし……それに、利用者のことを考えたら……」


 言葉に虚勢が混じる。

 肩がわずかに上がったまま戻らない。


 ジョージはまた、視線を送る。


 キングスリーは、自分を“この場所の支配者”だと思っている。

 単なる思い込みじゃない。

 実際にそうできると信じている。


 ジョージは視線を逸らさなかった。

 キングスリーの動き。スタッフの顔。ナンシーの緊張。

 小さな兆候すべてが、あの男の“本性”を物語っていた。


 ポケットの中。スマホが冷たかった。



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