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014:何がそんなに不満なんだ?

 目的地は、再びグレナン・フィットネスジム。


 表向きの理由は、セキュリティの再確認。

 だが本音は、ナンシーの様子を見ておきたかった。


 午後のジムは、午前より少しだけ人が多い。

 仕事帰りの人たち、空き時間を使う主婦。

 だが、設備の規模にしては、客足が少ない。

 ナンシーが悩む理由がわかる。


 カウンターの隣では、ナンシーが接客中だった。

 タオルを手渡しながら、軽く会話を交わしている。

 表情は普段通り。だが、どこか張り詰めた空気を纏っていた。


 ジョージは、カウンターへ歩み寄った。


「やあ」

「あら、ジョージ。戻ってきたの?」


 ナンシーは微笑んだ。

 だが、目元にわずかに疲れが滲んでいた。


「少しだけ様子を見に来た」

「そう……」


 彼女が言葉をつづけようとした瞬間。


 重い足音が近づいてくる。

 次いで、湿った破裂音。

 目をやると受付カウンターの上には、大きな手。


 ナンシーの肩が、わずかに跳ねた。


「ナンシー、話まだ終わってねぇだろ」


 低く響く男の声。

 ジョージは何気なく視線を上げた。

 初めて見る顔だった。

 男は長身。

 鍛えられた体をスーツの下に押し込んでいた。

 髪は短く整えられているが、どこか粗暴な印象を受ける。

 場に似つかわしくないの腕時計。高級ブランドの光沢。


 ナンシーは苦笑いを浮かべてわずかに身を引く。


「キングスリー、私は仕事中よ」

「だから、少しだけって言ってるだろ?」


 言葉の端に、力が滲む。

 笑っているが、その笑顔は“拒絶される”ことを想定していない。


「……なぁ、いい加減に腹くくれよ。

 ここまで親切にしてんだ。

 何がそんなに不満なんだ?

 俺のどこが、そんなに気に食わねぇ?」


 一見すれば口説き文句。

 だが、声の奥には怒りがあった。


 “与えてやったのに”という支配の倫理。

 “断るなら、裏切りだ”という歪んだ独善。


 ジョージは、その名前を頭の中で反芻した。


 ――キングスリー。


 ヴィンセントの報告が頭をよぎる。

 ナンシーの証言に出てきた、あの1件。

 まだ確信には近づいていない。

 だが、直感が警報を鳴らしていた。

 この男は、何かを隠している。


「キングスリー、ジムのルールは守ってもらうわ」

「ルール? なんだそれ?」


 キングスリーは嘲るように肩をすくめる。

 そして、カウンター越しに手を伸ばした。

 ナンシーの手を掴もうとした。


 ――その瞬間。


 ジョージの手が、無言で割り込む。

 指先でキングスリーの腕を軽く押し返した。

 わずかな圧。それだけで、動きが止まった。


「……おい?」


 キングスリーが、ゆっくりとジョージを見る。

 ジョージは何も言わず、静かに見返す。


 瞬きすらしない。

 無表情のまま、相手の目を射抜く。


 沈黙。


 ナンシーがわずかに息を呑んだ。

 ジム内の軽快な音楽だけが、場の緊張を誤魔化していた。


「……なんだ、お前?」


 キングスリーは身を乗り出し、上からジョージを睨みつける。

 視線が、肩幅と体格をざっとなぞる。

 そして、鼻で笑った。


――勝負にならねぇ。


 だが、ジョージは一歩も引かない。

 首をわずかに傾け、見上げたまま沈黙する。

 その目に、怯えや屈服は一切ない。

 むしろ、下から射抜くような視線が、空気を締めあげる。


 やがて、ジョージは口を開いた。


「客だ」

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