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第3話 渡り鳥の導き

早朝の砦を出ると、湿った草の匂いの中に、聞き慣れない羽ばたきが混じった。高く鋭い鳴き声――渡り鳥の一群だ。ライルは立ち止まり、声の主へ小さくささやく。


「北へ行くのか。危険は?」


鳥たちは軽い旋回で「大路に血の匂い」と告げ、風に乗って去った。


同じ頃、砦を発った行商キャラバンが道端で荷馬車の修理に手間取っていた。車輪の軸が割れ、荷を抱えて途方に暮れている。ライルはおそるおそる声をかける。


「手伝いましょうか」


目隠しの青年に商人たちは一瞬戸惑うが、腕をまくって軸を支える姿を見て感謝を口にした。かすかな金具の軋みで亀裂の角度を読み取り、荷縄と枝木で応急補強を施す。作業の合間、商人の一人が尋ねた。


「目が見えないのに、どうしてわかるんだ?」

「音が教えてくれるんです」ライルは控えめに笑った。


修理を終えたキャラバンは礼として彼を護衛に雇うことを申し出る。行き先は東の街道都市オルテ。報酬は少ないが、次の土地に渡る足が手に入った。出発して半日、鳥が知らせた“不穏”は現実となる。背後から鼻を鳴らす獣の息、刃物を抜く乾いた金属音――盗賊だ。


荷馬車が軋む音の向こうで、盗賊が槍の柄で木箱を叩き警告する。


「大人しく財布を置いて行け!」


ライルは車輪の位置、荷馬の鼓動、相手の足音を一瞬で重ね、震える手で剣の柄を握った。怖い。それでも逃げれば商人たちが殺される。深呼吸のかわりに周囲の鼓動を数え、脈動の隙間へ踏み込む。


盗賊が突き出した槍先が空気を裂いた拍子、ライルはわずかに首を傾け、刃の軌道を外す。柄の返しで腕を払うと、骨が折れる鈍い音が耳に届いた。狼の跳躍で二歩目を踏む。剣が唸りを上げ、敵の脇腹を浅く裂く。


痛叫の反響が残るうちに、次の敵の呼気が背後に迫る。振り向く気配を悟られぬよう腰を落とし、刃を地面すれすれに滑らせると、膝裏に当たる重い手応え――盗賊は崩れ、残党が音もなく散った。


短い戦いが終わり、汗が首筋を伝う。剣を収める手が震え、思わず「すみません」と小声が漏れた。商人の隊長はその謝罪に目を見張り、苦笑混じりに礼を述べる。


「謝るくらいなら胸を張りなさい。命の恩人だ」


ライルは小さく会釈し、またうつむく。胸の奥で渇きだけが静かに脈打つ――世界が何色か知りたい。けれど自分は血の匂いと恐怖の暗闇の中を歩くばかりだ。


その夜、焚き火を囲む輪の少し外で、荷馬が鼻先を寄せてきた。「ありがとう」という静かな息遣いに、ライルは唇を引き結ぶ。聞こえる音が増えるほど、見えない世界の広さも重さも増していく。それでも歩くしかない。鳥が教えてくれた東の都市はもうすぐだ。


ライルは荷馬のたてがみを軽く撫で、遠くで鳴る夜風のざわめきに耳を澄ませた。まだ知らない匂いが、またひとつ近づいてくる。

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