森を抜けると乾いた風に鉄と火薬の匂いが混じった。そこは行商と冒険者の往来で賑わう〈ハリスの砦〉だ。馬蹄が石を叩く硬音、鍛冶炉の重い呼吸、露店で銅貨がぶつかる軽やかな音――ライルにとっては地図のように鮮明な響きが交差する。
砦の中央に掲げられた依頼板に手を伸ばし、紙の重なり方や押しピンの位置で張り替えの新旧を探っていると、背後から若い冒険者の声が飛んだ。
「おい、目隠しで読めるのか?」
ライルは小さく首を振る。「触っているだけです」
「なら、読んでやろうか」
読み上げられた案件の中で彼が選んだのは“家畜を襲う魔犬の討伐”。報酬は銀貨三十枚、ブロンズ相当。ゴールドの自分には安いが、土地勘をつかむには悪くない。
その夕方、砦外れの牧草地で羊たちの落ち着かない鳴き声を聞いたライルは、膝をついてそっと問いかけた。
「どこから来た? どんな牙だった?」
驚いた羊が飛び退きながらも、か細い声で“低い咆哮と焦げ臭い息”を告げる。火を吹く下位魔獣、焔犬だと判断したライルは、鼻を頼りに燻る匂いを追った。
夜、草の擦れる微かな揺れを捉えて風下に回り込む。羊柵に飛び込もうとした焔犬が火花混じりの咆哮を放つ瞬間、ライルは地を蹴った。熱で膨らんだ空気の歪みを読み、一撃で喉を刃が裂く。火炎の余熱が地面を焼き焦がし、焔犬は崩れ落ちた。夜は再び静寂を取り戻す。
翌朝、牧場主が恐縮しきりに報酬を渡す。
「目がお悪いのに、一晩で終わらせるとは……」
「音が案内してくれるんです」
ライルは戸惑い気味に笑ったが、砦へ戻ると冒険者たちの囁き声が耳に刺さる。
「盲目でゴールド? 運がいいだけじゃ――」
「気弱そうに見えるのに妙に腕が立つな」
彼は宿の隅で硬いパンをかじり、膝を抱えた。視線が痛い。しかし怯えて引き返すわけにはいかない。世界の色を知りたいという渇きが、臆病な胸をかすかに叩く。
荷をまとめながら耳を澄ませると、遠くの街道を進む荷馬車の車輪、鍛冶炉を打つ金槌の周期、砦外を飛ぶ渡り鳥の羽ばたきが重なり、次の土地の輪郭を描き出した。ライルは柄を握り直し、まだ知らない音と匂いの方角へ一歩を踏み出す。