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第3話  ある僧侶との出会い

 その頃の私の表情は、誰が見ても「暗い」表情だったと思う。公園のベンチに腰を掛け、自動販売機で買ったジュースを飲んでいた時のことだった。黒い袈裟を着た一人の僧侶が、

「あなた、随分と悩んでおられるでしょう?よかったら、私が話を聞きますよ。」

と声を掛けてきた。話すつもりなどなかったが、今の私には、誰もいなかったから、つい話してしまった。


「あ、…!お時間、大丈夫ですか?」

長々と話し込んでしまい、僧侶の時間のことを気にしていなかった。

「…そうですね。それでは次は、私のお寺まで来なさい。」

とお寺の住所が書かれたメモを渡された。お寺の名前はなんとなく聞いたことがある程度で、行ったことはなかった。


ついでに話しておくと、私は無宗教派である。母親は新興宗教にはまっており、私にも入るように勧められたが、断ったのだ。


数日後、私は渡されたメモを頼りに、お寺まで行ってみることにした。


「そう言えば、お坊さんの名前、聞いてなかったな…。」

すぐに分かるだろうか?などと思いながら、お寺までの道を歩く。


お寺が見えてきた。先日会った僧侶はお寺の回りを箒で掃除していた。


「先日はありがとうございました!」

「来てくれたかい。良かった、良かった!」

私はその時の、僧侶の言葉の意味が分からなかった。


「さあさ、上がりなさい。」

「…はい。」

靴を脱ぎ、入口に靴を揃えて置き、寺の中に上がる。


「まず、あなたに見せたいものがあります。こちらにおいでなさい。」

本堂を通り過ぎて、隣の部屋の壁にはたくさんのお面が飾られていた。

「あなたは、今日はどのお面をつけていますか?」

私ははっとした。お面は、笑っているお面、泣いているお面、怒っているお面、悔しそうな表情のお面、いろんな表情のお面があったのだ。

「…私は、知らずにお面をつけていたのでしょうか?」

「あなたはひとりで、ずっと堪えてきたのだと思います。せめて、私の前ではお面を外して、本当の表情を見せてください。」

「……!」

私は泣いてしまった。

「つらかったでしょう。これからはいつでも話を聞きますから。あなたはもう、ひとりで悩むことなどないのです。」

僧侶は私の肩をポンと軽く叩き、そう言った。

「あの、お名前、教えてください。」

「私ですか?私は陳念ちんねんです。」


そうして私はちょくちょくお寺に通うようになり、精神科の受診頻度も少なくなり、ついには精神保健福祉手帳も市役所に返却したのだ。


薬も全く飲んでいない。体調も大分よくなった。


陳念さんに、お礼を言いに行こう。私はお寺に向かって歩き始めた。


お寺に着いたが、今日は陳念さんの姿は見えなかった。

近くにいた僧侶に

「あの、陳念さんは、今日はいらっしゃらないんですか?」

「ああ…、陳念は、五日前に亡くなりました。陳念から、きっとあなたが訪ねてくるだろうと言われておりました。実は陳念は、長い間難病を患っており、ずっと闘っていたのです。」

「…そんな!」

ぼろぼろと涙が溢れた。

「こちら、陳念から預かっていた手紙です。」

私はその手紙を受けとると、泣きながら家に帰った。


「あなたがこの手紙を読んでいる頃には、私はもうこの世にいないかもしれません。私もあなたに隠していたことがあります。もしかしたら、他の僧侶から聞いたかもしれません。私は難病を患っています。私自身も仮面をつけていたのかもしれません。私のことで泣く必要はありません。あなたは、あなたらしく生きてください。」

手紙を読みながら、涙が止まらなかった。

「私らしさ、ってなんだろう…。」

ポツリと呟いて、もう、返ってくることのない返事を待っていた。





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