明るい照明の下で、藤原結衣は怒りにまかせて席を立とうとする森川悠介を呼び止めた。やわらかな声で言う。「悠介、今あなたが誰を好きでも、きっと私のことも好きになってくれるって信じてる。だって、私に誕生日プレゼントをくれたでしょう?」
存在しないはずの誕生日プレゼントが、ここで役に立った。
森川悠介は本当に混乱していたのか、反論もせず、ただ足を止めて振り返り、嘲るような表情で藤原を見つめた。「結衣、プレゼントを渡したからって、好きだと思ってるのか? はっきり言うよ。俺が好きなのは早川理恵だけだ。君と結婚したのも、彼女を日本に戻らせるための駆け引きだった。彼女が戻った今、もう君に利用価値はない。わかったか?」
一言一言が心臓を貫く銃弾のようだった。しかし、藤原結衣にとってはむしろ欲しかった証拠を手に入れたようなもの——それはまるで甘いキャンディのように、心の中に広がった。
彼女は上がりそうになる口元を必死で抑え、沈んだ声で言った。「悠介、そんなに私のことが嫌いなら、あなたと早川さんのこと、応援するわ。安心して、あなたたちが悪者にされるようなことは絶対にしないから……」
その言葉の一つ一つには深い愛情がにじんでおり、誰が聞いても藤原結衣が森川悠介を心から愛しているのだと感じるだろう。
森川悠介は怒りを抑えきれず、ドアを乱暴に閉めて出て行った。
藤原結衣は感情をすっと切り替え、ゆっくりと席に戻ると、目の前のうどんを食べ終えた後、部屋に戻って荷造りを続けた。
金曜日の朝、彼女は山田さんに給料を支払い、22インチのスーツケースをトランクに積み、嵐山の別荘を車で後にした。
会社に着くと、同僚たちがキラキラした目で集まってきた。
「旦那さんがイケメンだと、奥さんも鼻が高いよね!藤原組長、さすがです!」
「そうだよ結衣さん、よく隠し通したね!あんな素敵な旦那さん、なんで今まで誰にも言わなかったの?」
「前世でどんな徳を積んだらそんな相手と結婚できるんだろう。私だったら、ふたりのツーショットをアイコンにするよ!」
藤原結衣は少し困った表情を浮かべた。森川修平のことが話題になるのは予想していたが、まさかここまで大騒ぎになるとは思わなかった。隣の部署の人たちまで「見学」に来て、彼女の「神レベルの旦那」を見たがっている様子だ。
否定も肯定もできず、とりあえず「今度みんなでご飯でも行きましょう」とだけ答えた。
今日は高橋鈴夏が休みだったが、隣の小林陽太はその言葉を真に受けて、嬉しそうに言った。「やった!じゃあ今日の退勤後にどう?近くに新しくできた和食屋さんがあるんだ。美味しいって評判だよ。」
田中綾乃が眉をひそめる。「あのお店、一人当たり一万円くらいするんじゃない?」
小林陽太はにっこりと笑う。「結衣さんの旦那さん、警察の十万円の懸賞金も受け取らない人だよ?これくらい全然気にしないでしょ?」
藤原結衣は苦笑いした——やっぱりそうきたか。小林陽太は森川悠介を知っているが、昨日は近眼のせいで気づかなかったのだろう。一晩経って、森川修平が森川悠介ではないと気づいたはずだ。彼女の思考パターンからして、修平を結衣が雇った俳優だとでも思っているのだろう。
今夜は面白いことになりそうだ。
「いいわよ、そのお店にしよう。」藤原結衣がきっぱりと決めた。
「やった!」と小林陽太は嬉しそうにお店に連絡し、さらにスマホで早川理恵にLINEを送った。【理恵さん、この和食屋さんすごく美味しいんです。帰国してからまだ会えてないし、都合がいいとき一緒に行きませんか?私がごちそうします!】
早川理恵からすぐに返信はなかったが、小林陽太は気にしなかった。昨日、早川理恵は怪我をして森川悠介が病院に付き添っていた。礼儀として、きっと理恵は悠介を食事に誘うはずだ。この和食屋は森川グループの近くにあり、金曜日の今日、二人が鉢合わせる可能性は高い。
小林陽太は、森川悠介が「そっくりさん」と対面したときの反応を想像して、内心わくわくしていた。
午後、編集部に見覚えのある顔——水島健一がやってきた。
前回、彼が藤原結衣の鍵を公然と持ち去ったことで、二人の関係を疑う者も多い。だから彼の姿を見て、同僚の一人がすぐに声をかけた。「水島さん、藤原組長への取材ですか?」
水島健一は無言で藤原結衣を見つめた。「マフラー事件」以来、彼女の前に現れるのはこれが初めてだった。
藤原結衣は、彼が自分を憎んでいるだろうと察した。こういう上流階級の御曹司が、あんな「恥」をかかされたのは初めてだろう。けれども、早川理恵のために、彼はまだ「攻略」を続けなければならない。
みんなが見つめる中、藤原結衣は何事もなかったように歩み寄ろうとした。しかし、近づく前に水島健一が声を張り上げた。「今日は小林編集に用があって来ました。この前は僕の態度が悪かったので、謝りに来たんです。」
そう言って、彼は後ろから百合の花束を取り出し、藤原結衣の肩をすり抜けて、小林陽太の前に差し出した。
小林陽太は驚いて花を見つめ、水島健一の目をちらりと見て、頬を赤らめながら小さな声で「大丈夫です、前回は私の準備不足もありましたし……」とつぶやいた。
その様子を見ていた同僚たちは、ひそひそと話し始めた。
「どういうこと?前は藤原組長に会いに来たって言ってたのに」
「だよね、結衣さんが歩み寄ったのに、まるで知らない人みたいな態度だったし」
「この号の表紙を取った人が副編集長に昇進するんだよね。結衣さんが有利だと思ってたのに……」
声は小さかったが、藤原結衣の耳には届いていた。彼女は足を止めた。実は誰が表紙を取っても気にしない。退職願はすでに書いてあり、今の仕事が終われば提出するだけだ。
藤原結衣は自分の席に戻り、仕事に集中した。水島健一のことは気にしないようにしたが、周囲は落ち着かない。田中綾乃が椅子ごと近づき、小声で尋ねた。
「結衣、水島さんとケンカでもしたの?」
藤原結衣は首を振った。「してないよ。」
「おかしいな。前回は小林陽太の取材に水島さんが不満で、泣かせてたよね。それに『結衣さんのために来た』とも言ってたのに……」
「私が水島健一を招待したのは事実だけど、彼は断ってきたよ。」
「そうなんだ……」
田中綾乃は前回、水島健一が結衣のカピバラのキーホルダーを持ち去ったときの妙な空気を思い出し、もし結衣の性格を知らなければ、二人の間に何かあると思ってしまいそうだった。
「まあまあ、気にしないで。」と藤原結衣が言う。「スタバでフラペチーノ買うけど、何かいる?」
田中綾乃は一瞬で気持ちを切り替え、「抹茶フラペチーノ、甘さ控えめ、オーツミルク、ホイップクリーム抜きでお願い!」と元気に答えた。
30分後、藤原結衣は下の階にドリンクを取りに降りた。エレベーターが開くと、そこには水島健一が一人で乗っていた。頭上のライトが彼の表情を陰らせている。
藤原結衣はそのまま乗らず、次のエレベーターを待つつもりだった。だが、扉が閉まりかけたその瞬間、冷たい白い手が扉の隙間から伸びてきて、彼女の手首を掴み、中に引き込んだ。
「藤原結衣、俺を騙しておいて、そのまま逃げるつもりだったのか? 怒らないとでも思った?」