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第31話 悠介の疑問

結衣は休憩中、田中綾乃からのメッセージに気付いた。


「結衣、誰かに恨まれてるんじゃない?」

「どうしたの?」

「自分で見て。リンク送るね。」


結衣がリンクを開くと、ショート動画が流れ始めた。ナレーションはよくある宣伝チャンネルの独特な口調だ。


「すごい!帰国した初恋がこんなに輝いてるなんて!」

「これがヨーロッパの老舗自動車メーカーからオファーを総なめにした中国人エンジニアだなんて信じられる?芸能界の新人かと思うほど!」

「この理恵さんはドイツの工学部を卒業し、高給の海外就職を潔く断り、男性優位の自動車業界で奮闘。『女性は理系に向かない』という偏見を打ち破った。」


「媚びずに実力で勝負する、まさにヒロインのサクセスストーリー!」

「……」


文面には結衣の名前は一切出てこない。終始、理恵を褒め称え、前向きな内容だ。普段なら結衣も思わず「いいね」していただろう。しかし、動画の後半には、彼女が高級ブランドの創業者を取材している映像が切り取られていた——その時、膝の手術を受けた年配の方にマイクを差し出すために、結衣は中腰になっていた。


これは編集者として当然の礼儀であり、相手がファッション界の大物だろうと、年寄りや子ども、妊婦や体調の悪い人でも同じように対応していた。


だが、「男性に媚びない」という文脈と組み合わされると、その動作があたかも下心があるように見えてしまう。


結衣がコメント欄を開くと、案の定、高評価のコメントは彼女を理恵の引き立て役にしていた。


「この女、わざと前かがみになって男にアピールしてるんじゃない?」

「見た目だけで中身のない花瓶タイプだな。」

「比べものにならないよ。権威に挑む女性もいれば、自分を売り物にする女性もいる……」

「早川さんとこんな人を比べないでほしい、レベルが違うよ」

「……」


コメントは明らかに誘導的で、ネットの人々は簡単にこの“事実”を信じ、結衣をただの顔だけの編集者と決めつけていた。


業界の半分に足を突っ込んでいる結衣は、ネットの炎上の裏に必ず仕掛け人がいることを分かっていた。田中綾乃が「誰かに恨まれてるの?」と聞くのも無理はない。


しかし、これは彼女の予想通りだった。なぜなら、これは原作通りの展開。俳優の黒沢が理恵を売り出すために職場バラエティに投資し、理恵の「研究熱心」「自立した女性」というイメージを作り上げ、他の女性出演者は全員引き立て役。その中でも結衣は完全な引き立て役だ。


こんな本筋からはなかなか逃れられないし、自分の収入に支障がない限り、結衣は気にしなかった。田中綾乃にも心配しないよう返信した。


外はだんだん暗くなり、結衣は窓を開けて空気を入れ替える。空の青とオレンジが混ざり、街の灯りが輝き、息を呑むほど美しかった。


「カシャ——」


背後でシャッター音が鳴り、結衣が振り返ると、健一がスマホを構えていた。


「まだ帰ってなかったの?」結衣が眉をひそめる。


「監督として残ってたんだよ。愛車を台無しにされたくないし」と健一は笑いながら、スマホを差し出して、「さっき風景を撮ってたつもりが、うっかり君も写っちゃって。SNSに載せたら、みんな『どういう関係?』って聞いてきてさ。なんて返事すればいい?」


結衣が写真を見ると、逆光で自分の横顔がシルエットになっていて、知り合いでなければ分からない。目を離そうとした時、下の方に悠介のコメントが目に入った。「これが噂の彼女?」


結衣は何事もなかったように、「『仕事の関係』って返して。今日はここまで。職人さんたちも休ませて、明日また続けるから」と淡々と答えた。


「分かった」健一はスマホをしまい、「夜ご飯、一緒にどう?」


結衣が断る理由を探そうとした時、スマホが鳴った。陽太からだった。


「お姉ちゃん、なんか熱っぽくて……ゴホゴホ、風邪薬買ってきてくれない?お金は払うから。両親が海外で、ひとりですごく辛いんだ」


声はかすれていて、まるでやすりで擦ったようだった。午前中は元気に優勝していたのに、今はすっかり弱っている。明らかに様子がおかしい。


けれど、スマホの銀行アプリには100万円が振り込まれていた。陽太が送ってきたのだ。金額が多すぎる。


結衣の声も自然と優しくなった。「分かった、すぐ行くね」


電話を切り、着替えに向かうと、健一が眉をひそめて聞いた。「陽太から?」


「うん」


健一は奥歯を噛みしめ、笑いながらもどこか険しい表情を浮かべた。また陽太か。このガキ、絶対SNSを見て、わざと邪魔しにきたな。


健一は結衣の手首を掴んだ。「君は彼の何なの?病気なら病院に行けばいいじゃないか。君は医者でもないのに!それに、君は既婚者だって忘れてないだろ?夜に他の男の家に行くなんて、どう考えてもおかしいだろ?」


結衣は冷静に答えた。「何言ってるの、彼はまだ子どもよ」


ぷっと、健一が突然吹き出して手を離し、笑いが止まらない。「陽太、必死にがんばっても、結衣の中じゃただの子ども扱いか」


結衣は呆れ顔で修理工場を出ていった。健一は追いかけもせず、すぐに陽太のLINEに音声メッセージを送った。


「おい、弟よ。俺から彼女を奪いたいなら、自分の実力を考えてからにしろ。君なんて江川と同じ扱いだぞ」

「江川って誰?」

「俺の幼稚園の従弟だ」


相手はしばらく黙ったまま。勝ち誇った健一のもとに、陽太から鏡越しの自撮りが届いた。白いタンクトップとグレーのスウェット、ベッドの上には二箱の……。


健一の笑顔が凍りつき、慌てて結衣を追いかけようとしたが、すでに彼女の姿はなかった。


「クソ!」


顔を険しくしかめながら、テーブルの上の車の鍵を掴み、三歩で車に乗り込んだ。結衣より早く陽太のマンションに行こうと考えた。


だが、ふと思い出した——陽太の住所、どこだったっけ?


そのころ、翔太は両親に頼まれ、陽太に荷物を届けに来ていた。秦家と小野家は親戚同士なので、厳密に言えば、陽太にとって翔太は「小舅」になる。


彼は結衣と陽太の電話、そして健一とのLINEのやりとりも聞いていた。


翔太は淡い茶色の瞳を細め、予備のスマホを取り出し、「荷物を置く」と言い訳して、録画機能をこっそり花台にセットし、部屋全体が映るようにした。


さらに、陽太の寝室にある加湿器にも、友人がインドから持ち帰ったという“神オイル”を一瓶注いでおいた。今日こそ出番だ。


全て終えると、翔太はそのまま部屋を出た。約30分後、理恵に電話をかけた。「理恵、陽太が風邪をひいて薬を飲みたがらないんだ。君の言うことなら素直に聞くだろうから、見に行ってくれない?」


「分かった。大丈夫だよ」


「今、誰か一緒にいる?さっき悠介の声が聞こえた気がする」


「……うん、たまたま道で会って、一緒に行くって」


翔太は口元に笑みを浮かべた。「分かった。部屋の暗証番号を送るよ」

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