この三人の突然の訪問者を前に、結衣は落ち着いてキッチンへと引き返した。
お粥を作っているとき、WiFiに繋いでいたデバイスに「Kurosawa」というiPhoneの電波が表示された。
考えるまでもなく、陽太が自分に電話をかけたとき、きっと翔太に聞かれてしまったのだろう。
あの隠してあった携帯も、ほぼ間違いなく彼が仕込んだものだ。
原作では、翔太は健一や陽太のような表立ったライバルとは違い、密かに理恵への思いを抱き続ける隠れた存在だった。少年時代に理恵に助けられ、それ以来ずっと陰で彼女を守ってきた。
彼を一言で表すなら、「狡猾で冷徹」。
表向きは優雅なトップ俳優だが、内面は暗闇の苔のように深く計算高い。一歩間違えれば、取り返しのつかないことになる。
結衣も今、自分の一挙一動がカメラに映っていることをわかっていた。
慌てて隠れたりすれば、逆に怪しまれるだけだ。
だから、何も知らないふりをして、黙々とキッチンで作業を続けた。
陽太のマンションはワンフロアで、玄関から部屋全体が見渡せる。
ただ、オープンキッチンのコンロ横だけは冷蔵庫で死角になっている。
その時、ドアが開いた。
健一が一番に駆け込んで、まっすぐ寝室へ向かった。
理恵と悠介もすぐに続く。彼がなぜそんなに怒っているのかわからないが、この様子ではただごとではないと察し、慌てて後を追う。
だが、寝室に入った三人はその場で固まった。
陽太は黒いウサギ耳をつけ、目にはアイマスク。
高熱で赤くなった頬がどこか妖しく、タンクトップとグレーのスウェット姿はどう見ても異様だった。
悠介はこんな光景を見たこともなく、驚きを隠せない。
思わず健一を見る。その目は「一体何ごとだ?」と問いかけている。
健一は心底うんざりしていた。
陽太のこの格好が何のためか、もちろんわかっている——
結衣を誘惑するためだ!
本当に呆れたやつだ!
だが問題は、結衣がまんまと乗せられたのかどうかだ。
健一は深く息を吸い、鋭い視線で部屋の隅々を見回し、誰かが隠れていないか探した。
理恵は陽太の前に歩み寄り、不思議そうに尋ねた。「陽太、あなた……」
その言葉が終わる前に、陽太は彼女を抱きしめ、かすれた声で言う。「理恵、君はこういうの好き?」
理恵は一瞬固まった。
すぐに何かを察し、顔を赤らめる。「陽太、翔太に電話させて私を呼んだの、あなたでしょ?」
陽太は呆然とした。
この声——
慌ててアイマスクを外すと、抱きしめていたのが結衣ではなく理恵だと気づく。
火傷したかのように、理恵を勢いよく突き放した。
「なんで君がここに?」
理恵は思わずよろめいた。
陽太もすぐに我に返り、慌てて立ち上がる。「理恵、大丈夫?」
理恵は唇をかみしめ、何も言わずに彼を見つめていた。
まさか昔、毎日のように国際電話をかけてきてくれた彼が、久しぶりに会った自分を見て真っ先に浮かべたのが喜びではなく失望だなんて、思いもしなかった。
寝室の空気が一気に気まずくなった。
「俺たちが来るの知らなかったのか?」悠介が沈黙を破る。
陽太は悠介の顔を見るなり、頭が真っ白になり、まるで浮気現場を押さえられたかのように動揺した。「な、なんで君が?」
「翔太が理恵に電話して、君が熱を出したって聞いたから、たまたま一緒に来たんだ。玄関の暗証番号も翔太が教えてくれた。……それより、どうした? 額に汗がすごいぞ?」
「……」
「動揺してるんだろ?」背後から冷ややかな声がした。
まだ誰かいる?
陽太が硬直して振り返ると、そこには健一の顔があり、思わず絶句した。
「お前は何なんだよ?俺の部屋は観光地か?なんでこんなに人が来るんだ?」
健一が説明する気がないのを見て、悠介が代わりに答えた。「健一から電話があって、陽太の住所を知ってるかって聞かれて、一緒に来たんだ。」
陽太:「……」
きっとさっき送った写真が健一を刺激したのだろう。
「でも——」悠介は意味ありげに、「その格好は何なんだ?さっき呼んでた“お姉さん”って誰?」
陽太は我に返り、慌ててウサギ耳を外すと、クローゼットから適当に服を引っ張り出して体を隠した。
健一は冷たい目でじっと見ている。
結衣はまだこの部屋にいるはず——
彼は警戒心を隠しつつ、部屋の隅々を探し始めた。
寝室には誰もいない。今度はリビングへ向かう。
そして、最後に視線がキッチンで止まった。
そちらへ歩き出そうとしたその時、陽太が慌てて腕を掴んだ。「ダメだ!」
健一は細めた目で彼を見つめる。
彼も陽太も、悠介には結衣のことを知られたくないのだ。
男同士の変なプライドがある。
もし悠介が結衣との関係を知ったら、見栄もあって少し優しくしただけで、結衣のような恋愛体質の子は簡単に落ちてしまう。そうなれば、もう自分たちにチャンスはない。
——「なんだこの匂い、美味しそうだな!」
悠介は二人のやり取りなど気にせず、そのままキッチンへ向かった。
「ダメだ!」
健一も陽太と同時に手を伸ばしたが、もう遅かった。
悠介はキッチンに入り、冷蔵庫の後ろを見て足を止めた。「なんだこれ?」
陽太は必死に頭を回転させ、健一もどうごまかすか焦っていた。
部屋の中は、心臓の音が聞こえるほど静かだった。
——「はい、実は知り合いです。」
——「陽太、お粥も作れるんだ?」
陽太と悠介の声が同時に響いた。
「何だって?お粥?」
陽太は驚いてすぐにキッチンへ駆け込む。見渡すと、もう結衣の姿はなく、コンロの上で土鍋がぐつぐつ煮えているだけだった。
「まさか、そんな腕があったとはな。」悠介は火加減を見てガスを止め、再び尋ねた。「さっき誰と知り合いって言った?」
「い、いや、別に……」
「わかったよ。」悠介は皮肉っぽく笑い、ソファの上にある女性用のUVカットパーカーをじっと見た。
「さっきの“お姉さん”だろ?そのウサギ耳も彼女に見せたかったんだろ?でも、もういないみたいだな。俺が邪魔しちゃったか?——この服、どこかで見たことあるな……」
「フッ。」健一が鼻で笑った。
見覚えがないわけがない。それは結衣の服だ。
さっき自分が寝室に飛び込んだとき、結衣はその隙に部屋を抜けて、うっかり忘れていったのだろう。
健一は皮肉たっぷりに陽太を見つめた。「どう見ても発熱じゃなくて発情だろ。」
陽太も負けじとやり返す。
「大丈夫、俺は若いから、熱出してもたまにだ。でも景健一、あんたもそろそろ三十路だし、体の機能が衰えてきてるんだから、自分のことはちゃんと気を付けないと。彼女すらいないなんて、哀れだな。」
悠介は二人の険悪な雰囲気に気づかず、つられて笑った。
「何がおかしい?」健一は不機嫌に言う。
「俺は違うよ、結婚してるから。」悠介が答える。
「……」
「そうだ、忘れるところだった。」悠介は陽太の方を向き、からかうように言った。「景健一ももう独り者じゃないぞ。さっきSNSで彼女を正式に紹介してたじゃないか。」