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第7話 転生者


橋本真希がもともと長男の嫁にと考えていたのは、松本家のお嬢さんだった。彼女はいつも上流家庭の奥様方と親しくしており、縁談は流れたものの、その関係は今も続いている。


松本家の奥様は、特に今回のティーパーティーで、自分の末娘のことを橋本真希に頼んできた。その時、真希は快く引き受けたが、ここ数日は怒りで頭がいっぱいで、ようやく今になってそのことを思い出した。


そう考えると、橋本真希はあからさまに綾香を睨みつけた。

彼女がこれまで気に入っていた名家の令嬢たちは、誰もが綾香よりよほど立派だったのに、よりによってこんな女が橋本家に入ってしまったのだ。


「誰のこと?」

橋本賢人が冷たい声で問い返す。


橋本真希は無理に笑顔を作った。

「美月よ。あなたたち、幼なじみで一緒に育ったじゃない。覚えてないの?」


「誰だ?」

橋本賢人はもう一度尋ねたが、その声には一切感情がなかった。


橋本真希の笑顔はすぐに引きつり、綾香の前で面目を失った気分だったが、仕方なく説明を続けた。

「松本美月よ。あなたの松本叔父さんの大事な娘さんで、小さい頃よく本家に遊びに来ていた子じゃない。」


この話はどう考えてもこじつけだ。

橋本賢人は幼い頃から橋本宗一郎に後継者として育てられていたため、遊ぶような子ども時代などなかったのだ。


実際、松本美月が小さい頃に一番親しかったのは、達也や拓真といった賢人の弟たちだった。


「松本美月」という名前を聞いた瞬間、綾香は本能的な嫌悪感を覚えた。


松本美月――それは前世で、マスコミが橋本賢人の会社で囲っていた愛人秘書だと報じたあの女じゃないか?


まさか、この時から二人の関係が始まっていたとは。


自ら進んで第三者になろうとするなんて、噂が本当かどうかはともかく、思い出すだけで綾香は胸がざわついた。


前世では離婚届も用意していたのに、不運な交通事故で全てが狂い、気がつけばまた振り出しに戻っていた。


「ママ、まだ帰らないの?テレビ見たいよ~」


千雪はじっとしていられず、綾香の足にすり寄ってはぐずり始めた。


綾香は我に返り、娘のぷにぷにした頬をつまんで言った。

「ごめんね、千雪。ママ、時間を忘れちゃってたわ。今日はおばあちゃんの家には帰らないけど、前に寝てたお部屋に戻ろうね。」


「おばあちゃんの家には行かないの?」

千雪は今にも泣きそうな顔で見上げた。


綾香は慌てて千雪を抱き上げ、優しくあやした。

「あそこにもテレビがあるから、ママと一緒に見よう?」


「本当にテレビある?」


「うん、あるわよ。」


橋本賢人が視線を向けたとき、綾香はすでに娘を抱えて背を向けていた。その後ろ姿はきっぱりとしていて、彼を待つ気などさらさら無い様子だった。


あっという間に半月が過ぎ、橋本賢人は一度もたけかぜ邸には戻らなかった。もともと本宅にはほとんど寄り付かず、会社の近くにある高級マンションで暮らしている。


橋本真希もこれ以上は騒ぎを起こさず、綾香は娘とふたり、たけかぜ邸で静かな日々を過ごしていた。


それにしても不思議だった。前世では入籍した翌日に橋本真希から厳しく家のルールを叩き込まれたのに、今世ではまるで別人のようだ。


本宅の庭園、夕陽が川と空を赤く染めている。


訪問してきた松本美月は、橋本真希と一緒に東屋でアフタヌーンティーを楽しんでいた。彼女は甘え上手で、橋本真希をすっかりご機嫌にさせていた。


「本当にお義母さまには感謝してます」


松本美月はにこやかに橋本真希の手を握り、甘えるように言った。

「お義母さまが賢人お兄さまに言ってくれたおかげで、星輝ホールディングスから内定をもらえました。」


星輝ホールディングスは橋本家が経営する企業で、さまざまな業種を展開し、国内外にも取引先が多い。


橋本真希の笑顔が一瞬止まった。

この話は前に綾香の前で口にしたことがあり、綾香を困らせたかったのだが、綾香は全く意に介さず、娘を抱いてさっさと立ち去った。


それ以上に腹が立ったのは、息子がはっきりと「松本美月が実力で会社の選考を通れば、人事部がちゃんと採用する」と突き放したことだった。


そんな言い方、母親としての自分の立場がないじゃない!


橋本真希は怒りを抑え、再び作り笑いを浮かべた。

「そんなの簡単なことよ。うちの賢人は本当に親孝行なの、私の言うことはなんでも聞いてくれるのよ。」


松本美月は、その言葉の裏をよく分かっていた。

彼女はこの物語の世界に三年前に転生してきており、システムを持っていた。システムは攻略対象の男性を選び、成功すれば報酬がもらえるが、失敗すれば代償を払わされる。


考え抜いた末、権力も財力も容姿もある橋本賢人こそ、自分にふさわしい「ヒロインの相手」だと決めていた。


だが、このシステムはずっと邪魔ばかりしてきた。別の相手を選べと勧めて計画を狂わせることも多かった。もしシステムのせいでなければ、あの夜は橋本賢人を自分のものにできていたはず。今、彼の隣にいるのも本来なら自分だった!


(余計なことは言わないで!さっさと目標をロックして、私の邪魔しないでよ!もう我慢の限界よ!)


松本美月は笑顔で橋本真希にナッツを剥きながら、心の中でシステムに怒鳴りつけた。


【最後の警告です。攻略対象のランクが高いほど、失敗時の代償も大きくなります。本当にロックしますか……】


「ロックして!もう黙ってて!」


松本美月は苛立った様子でシステムとの接続を切った。

システムの続きを聞く気もなかった。


それに、橋本賢人の新しい妻?そんな存在、松本美月の眼中にはない。

結婚していようが関係ない。自分に魅力があれば、離婚なんていくらでもできるのだから。

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