「お嬢様、お待たせ致しました。
……って、何をなさっているのですか?」
窓が唯一設けられていない左手側の壁。隣の部屋と繋がる両開きのドアの片方が開いた。
一呼吸の間を置き、タオルや石鹸、シャンプーなどのお風呂セットを載せたワゴンを押す全裸のメイドさんが現れ、目を驚愕にこれ以上なく見開く。
今一度、大事な事なので重ねて言おう。メイドさんは一糸まとわぬ全裸である。
メイドの象徴たるメイド服を着ていなければ、頭にもホワイトブリムも着けていないにも関わらず、彼女が何故にメイドと解ったかと言ったら、俺は初対面の筈の彼女がそうだと知っているからだ。
「ヒルダ?」
「はい、お嬢様」
それどころか、俺は彼女の名前まで知っていた。
事実、その名前を躊躇いながらも呼ぶと、すぐさま彼女『ヒルダ・アデレード』は反応した。
押していたワゴンから両手を離して、その場で『気をつけ』の姿勢。
今の俺以上に豊満な胸も、黒い髪と同じ色で薄く茂る大事なトコロも丸見えにして、こちらの指示を待つようにニッコリと笑顔を零した。
しかし、前者二つを完全に無視して、俺の視線は彼女の笑顔にだけ注がれる。
ネットなどの静止画や動画を除いたら、妙齢の女性の生まれたままの姿を目の前にするのはこれが生涯初めてとなるにも関わらず。
彼女の姿を見た瞬間、男の本能すら置き去りにして驚いた理由。
それは彼女の両頬に生えている髭と黒い短毛で覆われた両耳にある。
補足だが、髭といっても、男に生えるような髭とは違う。
針金のように固そうな長く伸びた数本の髭であり、耳も三角形に尖っていて、人間の耳とは明らかに違う。
人間の顔に猫か、犬の特徴を加えたといった方が解り易いか。
これも俺を驚かせようとするイタズラの一つ。驚異のSFX技術による特殊メイクなのだろうか。
「ヒルダ!」
「は、はい!」
「こっちに来て!」
「は、はい!」
だが、その疑問の答えも俺は知っていた。
ヒルダが『猫族』という人間に近い種族『亜人』に分類される存在であると。
最早、驚きを通り越して、混乱大パニック。
自分自身を心の中で『猫族って、何だよ!』と、『亜人って、何だよ!』と罵り、たまらずヒルダを叫び呼んで手招きする。こうなったら現実をもっと間近で確認するしかなかった。
「回れ右!」
「えっ!?」
「え、じゃない! さっさと回れ右!」
「は、はい、お嬢様!」
しかし、現実は非情だった。
ヒルダに回れ右を命じてみれば、そのお尻には猫族の更なる証たる尻尾が黒い短毛に覆われて伸びており、垂らした先っぽだけを軽く持ち上げて、左右にヒョコヒョコと不安そうに揺らしていた。
だが、俺の心は『まだだ! まだ終わらんよ!』と諦めてはいなかった。
我が目を疑うなら、この手で実際に確かめるだけの話。ヒルダのお尻から尻尾を引っこ抜く為、その付け根に右手を伸ばす。
「ふにゃぁっ!?」
しかし、やはり現実は非情だった。
尻尾を掴んだ瞬間、それは目にも留まらぬ速さで跳ねた。
作り物とは到底考えられない反応速度。明らかに神経が通っている証拠に他ならない。
俺の鼻先をかすめた先っぽは天を衝き、真っ直ぐにピーンと伸び切って強張り、それを覆う短毛は根本から先っぽまで逆立ってさえもいる。
いや、尻尾だけではない。ヒルダ自身もだ。
尻尾を掴んだ瞬間、踵を跳ねさせて爪先立つと同時に背を反らして、こちらへお尻を勢い良く突き出している。
良く見ると、上げきった顎先と両手の限界まで広げた指先が微かにプルプルと震えており、ヒルダが今も感じ続けている刺激の強さが伺えた。
当然である。猫族にとって、尻尾の付け根はとても敏感な性感帯。
それもまた俺は知っていた。一般常識のタブー行為であり、経験は持っていなかった為、ただ握っただけでこうも大きい反応が返ってくるとまでは知らなかったが。
「お、お嬢っ、様……。だ、駄目ですっ、よ?
ず、ずっと昔のっ、事になりますががが……。お、教えっ、た筈ですぅ~っ……。
そ、そこをぉ~っ……。に、握ってもぉぉっ、良いぃぃぃっ、のはぁぁっ……。しょ、生涯の伴侶だけでぇ……。
はぁ……。はぁ……。い、いえ、お嬢様がそのつもりなら……。わ、私は……。わ、私はずっとお嬢様の事を……。」
それでも、俺は現実を認められず、ヒルダの尻尾をニギニギのニギニギ。
ヒルダは俺の手を打ち払おうとせず、握る度に言葉を途切れ途切れに震わせながらも耐え、こちらへ気丈に振る舞った微笑みを振り向ける。
だが、未だ踵を上げた爪先立ちなら、背も反らせたまま。
身体の正直な反応は隠しきれておらず、瞳はうっすらと濡れて、涙を目尻に溜め、頬は完全に上気。
息遣いは荒くなって、口の端からは涎が溢れ、それが糸を引いて零れ落ちている胸に至っては両先っぽが尖り、水を股間からプシュプシュと断続的に噴き出させて、激しい自己主張を訴えまくっていた。
そして、極めつけは尻尾。
いつの間にか、俺の右腕に絡み付いて蠢き、こそばゆい感触を与えながら『もっともっと!』と甘えているではないか。
不意を突いたにも関わらず、このリアルな反応。
とても演技とは思えない。もし、これが演技ならアカデミー賞は確実である。
「ふぅっ……。」
「えっ!? お嬢様? ……お嬢様! メアリスお嬢様!
誰か! 誰か、来て! メアリスお嬢様が! 今すぐ、お医者様を!」
この現実をもう認めざるを得なかった。
先ほどから疑問を感じる度、既知として持っていた答えが全て真実であると。
つまり、今の俺はもうすぐ三十歳を迎える予定だった男ではないと。
今の俺は『メアリス・デ・リリアン・ウォースパイト』の名前を持つ十三歳の少女であると。
ここは『アルビオン帝国』という国の首都にある少女が住む屋敷であり、地球とは別の世界『異世界』であると認めた。