「さて……。」
気を取り直して、もう一度。
今度は謎の感覚を外よりも内に、自分の手足に向けると、仮称『魔力』を身体に巡らせる感覚に成功。
目をゆっくりと開けると、天蓋を支える四方の柱に束ねられているレースのカーテンが微かに揺れて靡いていた。
窓の閉め忘れは無かった筈と左右をキョロキョロと見渡して気づく。
微風の発生源が自分自身であり、自分を中心にして、ベッドのシーツもまた微かに波打って揺れていた。
「光って……。る?」
この微風は何だろうかと思わず持ち上げた両掌を眺めて、目をパチパチと瞬き。
なんと暗闇の中だからこそ気付ける程度の淡い淡い光が全身を膜のようにうっすらと覆っているではないか。
当然、その摩訶不思議な現象に戸惑うが、それ以上に心の奥底からこんこんと湧き出て溢れる嘗て無いほどの興奮が勝った。
「これが……。魔力?」
この興奮を何と表現したら良いだろうか。
今ならどんな事も出来てしまいそうな万能感。それが最も近いだろうか。
座禅を組んだ状態から鼻息をフンスと強く噴き出して、腹筋に力を込めて跳ねる。
視線が天蓋ぎりぎりまで上がり、そこで組んだ足を解き、そのままベッドの上へ着地。
魔力を知る前までの私なら絶対に出来ない動作。
それが思った通りに実現したという現実。ささやかでも魔力の効果を実感して、口元が勝手に笑みをニンマリと描く。
「いける……。」
最も近い窓辺へと歩み寄り、カーテンを開けて、窓も開ける。
新鮮な空気が美味しい。半月の月明かりの下、一周200メートルの陸上トラックを作れそうなくらい広くて、手入れが整った芝生で埋め尽くされた屋敷前の庭に人の姿は当然の事ながら無い。
私の部屋は二階にある。
もし、貧弱な私が飛び降りたら、骨折は当然として、打ちどころが悪かったら死んでしまう可能性は否定しきれないが、今の私なら平気だという強い確信があった。
「えっ!?」
心が赴くままに窓の縁に右足を乗せて跳ぶ。
窓枠がバキリと鳴って壊れ、信じられない現実を目の当たりにして言葉を失う。
思わず後ろを振り返れば、二階建ての屋敷の屋根が眼下に見えた。
それも距離は庭の中ほどまで達しており、これでは跳ぶに非ず、飛ぶだ。
数瞬後、跳力の高度が頂点に達して、自由落下。
重い音をドスリと響かせて、足首まで芝生に埋めながら着地する。
「くふっ……。くふふふふっ……。」
衝撃を吸収する為に曲げた両脚を伸ばして立ち上がると、たまらず笑みが漏れた。
事前に確信した通り、着地の際に足の裏を突き抜く痺れは有ったが、それだけで済んでいる。身体の隅々を見渡しても異常は何処にも見当たらない。
「せっかくだから、初めての外出と洒落込むか」
この程度で満足して、部屋へ戻って寝てしまうのはもったいない。
とうの昔に正門は閉ざされて、高い壁が屋敷の敷地をぐるりと囲んでいるが、今の私なら簡単に飛び越えられる。
歩き出すと、その歩調は自然と早くなってゆき、小走りになっている足のピッチを全力に上げようとしたその時だった。
「このっ……。痴れ者があああああああああっ!」
私以外は誰も居なかった筈の庭に怒号が轟いた。
思わず顔を振り向けると、芝生を削りながら土煙を舞い上げる人ならざる速さで駆けて、明確な敵意を私へ向ける者が急接近していた。
「面白い!」
剣を持っていないのは残念だが、私が前世の祖父から学んだ武術は戦場を起源とするもの。
剣が折れたら槍を拾い、槍も折れたら武器となり得る道具を拾い、それすらも見当たらない場合は自身の身体を武器とする。
正直に言ったら、徒手空拳は苦手。
前世の祖父からも凡才の評価を受けているが、やってやれない事は無い。
唇を舌でペロリと舐め回して、握り締めた両の拳を腰に添えながら進路を変更。接近者を迎撃するべく猛ダッシュを駆ける。
「はっ!」
「しっ!」
そして、一瞬後に裂帛な気合いを交わし合うと共に交差。
こちらが貫手なら、向こうは短剣で互いの首を狙うが、示し合わせたかのようなタイミングで右に避けて空振り。
こちらが直線的な攻撃に対して、向こうは弧を描いた攻撃。
取り回しが容易な分、向こうの次撃が早い。次は無防備さを晒している背中を狙ってくるに違いない。
そう判断して、三歩目の踏み足を軸にして、くるりと回転。
そのままバックステップ。勢いを殺さず、軽く跳ねながら右回し蹴りを放つが、これまた空振り。
完全に読み違えた。
向こうは私との間に一歩分の間合いを作って踏み止まり、いつの間にか左手に持ち替えた短剣で斬線を左下から右上へと描き、私の右回し蹴りに生まれる死角を利用してきた。
最初から『後の先』を取ろうと目論んでいた向こうの手練れさに舌を巻く。
裏を返すと、こちらの二撃目を読まれていて、絶対に避けられる自信があった証拠であり、それが悔しい。
だが、悔しさを圧倒的に上回る喜びが今この瞬間にあった。
一瞬の判断ミスが致命傷に繋がりかねず、背筋を快感がゾクゾクッと走り、肛門が勝手にキュッと閉まる緊張感が心地良かった。
「よくも、お嬢様を!
……って、あれ、お嬢様? ……えっ!? えっ!? えっ!?」
しかし、左腕を犠牲にして、短剣を受け止めようとする寸前、向こう『ヒルダ』がピタリと急停止。
猫族の特徴である暗闇で光る目の虹彩を丸くさせて、混乱大パニック。残念ながら、心躍るひとときはあっさりと終わりを告げた。