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第2話 反撃


彼の瞳は暗く沈み込んでいた。

彼女の視線は虚ろに死んでいる。


ガレージの空気が凍りついたように重い。


車内で短髪の少女——戸崎 夜亜とざき よあは、橘川湊斗から距離を取るどころか、むしろ彼の首に腕を回し、耳元でささやきかけていた。


灯里の目が、鋭く刺すような痛みに襲われた。


彼女は視線を外し、車に乗り込み、エンジンをかけて走り出した。

最後まで、あの二人を振り返ることはなかった。


家に帰って間もなく、再びエンジン音が下から聞こえてきた。


灯里がクローゼットでネックレスを外していると、不意に背後から大きな体が迫ってきた。

圧倒的な気配が一瞬で彼女を包み込む。


湊斗は両手をガラスの棚に置き、身を屈めて彼女を覗き込む。


「怒ってるのか」


灯里は彼を見ず、ゆっくりとネックレスを片付けながら、淡々と言った。


「殺したくなるほど頭にきてるから、気をつけた方がいいよ」


湊斗はしばらく黙っていたが、再び口を開いた。


「戸崎家が暁星プロジェクトに興味を持っていて、このところ長男の戸崎亮介と連絡を取ってる。夜亜は彼の妹だ」

「ふーん。じゃあその妹に付き添わないと、プロジェクトが駄目になるわけ?」


灯里は皮肉っぽく返した。


「灯里!ちゃんと説明してるんだ、そんな嫌味を言うな!」

「説明なんて必要ないと思うけど」


灯里はようやく顔を向け、冷たい視線で彼を射抜いた。


「湊斗、もし飽きたなら、新しい奥さんに席を譲るよ」


湊斗の顔色が一気に暗くなる。


「何言ってんだ」


灯里は小さくため息をついた。


「つまり、離婚しようってこと」


彼女はその場を離れようとしたが、強く引き留められた。

湊斗は彼女の顎を掴み、低く警告する。


「そんな考え、絶対に持つな」


灯里は黙り込んだ。

でも、彼女はすでに思っただけでなく、実行に移していた。


彼女は、もう彼を求めていなかった。


湊斗はその夜も遅くまで家に残っていたが、一本の電話で呼び出された。

電話の向こうの甘ったるい女性の声が泣きそうな響きで聞こえた。


翌朝、離婚手続きを担当している弁護士であり、友人でもある宮部清美からメッセージが届いた。

戸崎夜亜の最新のSNS投稿。


夜明け前の山頂で撮られた写真。

大きな手と小さな手がハートを作っている。


「朝焼けの優しさに包まれて、互いの鼓動を感じている」だって。


灯里は、一目でその大きな手が誰のものか分かった。


彼女は水の入ったグラスを持ったまま、しばらく動けなかった。

グラスを置いた瞬間、底がテーブルに当たり、乾いた音が響いた。

心の中の何かが、また一つ欠けていく気がした。


その後数日、湊斗は家に戻ってこなかった。


二人は会社の会議で顔を合わせるだけで、

灯里は他の幹部たちと並んで座り、彼と目を合わせることもなかった。


灯里も、彼を探そうとはしなかった。


空いた時間は新しい住まいを探し、これまで湊斗から贈られた記念日のプレゼントや誕生日、バレンタイン――

すべての贈り物、そして結婚指輪までも処分していた。


もう彼を手放すと決めたのに、思い出の残骸なんて必要ない。


夜、スカイクラブのオーナーである山本晴香に誘われた。


夜十一時近く、正直行く気はなかったが、離婚後の起業のためには人脈が必要だと考え、足を運んだ。


クラブに入ってすぐ、晴香と鉢合わせた。


「晴香さん、わざわざ迎えに来なくてもいいのに」

「道に迷われたら困るでしょ?初めてだもんね」


晴香は親しげに灯里の腕を取り、

上階の和風のついたてで仕切られた個室に案内する。


ついたての向こうに人影が見えるのを感じたが、晴香は人の少ない側の席へ案内した。


そこにはどこか見覚えのある女性が一人。

どうやら湊斗の友人のパートナーらしい。

女性は灯里を見ると、少し気まずそうにしながらもぎこちなく微笑んだ。


灯里が上着を脱いで座ると、晴香はまた席を外した。


ドリンクを一口飲み、ついたての向こう側の賑やかな会話がだんだん耳に入ってきた。

話題は、いつの間にか自分のことになっていた。


「最近、湊斗はもう奥さんを連れて来なくなったよな」

「そりゃそうでしょ。戸崎さんは若くて可愛いし、どこに行くにも一緒だったな」

「湊斗もやっと新しい趣味見つけたってことか」

「奥さんがどんなに美人でも、八年も一緒にいたら飽きるよな」

「ほんと馬鹿な女だよな。あんなに長く付き合って、最後にはただの都合のいい女扱い。……いっそ湊斗に捨てられたら、俺が慰めてやろうかな?あの細い腰、ずっと気になってたんだよね……」


灯里の目が、氷のように冷たく光る。

声の主が湊斗の友人だと気づいた。

普段は「奥さん」とへつらっていた相手だ。


同席していた女性は気まずさで視線をそらし、灯里が席を立つのではと心配していた。


だが、灯里は軽く咳払いをして、グラスを手に悠然とついたての向こうへと歩み寄る。

堂々と壁際に寄りかかりながら、何食わぬ顔で会話に割って入った。


「みなさん、それは違うと思いますよ。湊斗と付き合い始めた時、彼だってまだ何も知らない可愛い少年だった。私だって八年間、無料で楽しませたようなもんじゃない?」


個室は静まり返った。

ソファにいた全員が、彼女を驚愕の目で見つめていた。


そしてちょうどその時、個室のドアが開き、背の高い二人の男性が入ってきた。

全員が灯里を見て、そして彼女の背後にいる人物を見て、場の空気は完全に凍りついた。


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