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第6話 着信


灯里が治療室で額の傷を手当てしてもらってる頃、

突然、ドアが勢いよく開かれ、湊斗が冷たい空気をまとって飛び込んできた。

その剣幕に、医者まで思わず身を引いた。


灯里は振り返り、淡々とした口調で言う。

「大丈夫です。彼は……職場の上司です」


「夫」という言葉が喉元で引っかかったが、飲み込んだ。

湊斗は喉を鳴らして詰まるような表情を浮かべ、医者に詰め寄る。


「そのケガ……大丈夫ですか」

「外傷ですので、心配いりません」


医者は二人の関係には興味を示さず、処置を終えて外用薬を渡した。


灯里は礼を言って立ち上がり、湊斗はすぐ後を追った。

彼女が会計に行こうとすれば先に支払いを済ませ、薬を受け取ろうとすると彼女より先に手に取る。


その姿はまるで模範的な夫そのものだった。


灯里はもう何も言う気になれない。

病院を出るとタクシーを呼ぼうとした。


だが湊斗はすかさず彼女を無理やり駐車場へと連れて行く。

助手席のドアを乱暴に開け、灯里を押し込むと、

自分も運転席に回り、ドアを力任せに閉めた。

閉ざされた車内は一気に外界と切り離され、重苦しい空気が立ち込める。


「俺をブロックして、自殺でもして仕返しするつもりかっ」


湊斗が鋭い目で見つめてくる。

顔には苛立ちと怒りが混じっていた。


灯里は黙ったまま彼を見返す。

その馬鹿げた非難に、思わず苦笑がこぼれる。

胸の痛みまで、彼の身勝手な言葉に少しだけ和らいだ気がした。


裏切ったのは彼の方なのに、自分はそれを罰するために死のうとしたとでも思ってるのか。

なんと滑稽な自己愛だろう。


「心配しなくていい。あなたにそんな資格ないわ」


「……今日、嘘をついたのは認める。でも泣かせた君も悪いだろ。あの子は甘やかされて育ったから、言葉がきつくなっただけだ。そんなに目くじら立てなくてもいいだろう」


彼の詭弁、戸崎夜亜をかばう言葉、自然とにじむ甘さ……。

この男、自分がどれほど醜くなったか、わかっているの?


しばらく沈黙のあと、灯里は冷え切った声で口を開いた。


「今後は彼女に意地悪もしないし、あなたたちに口出しするつもりもない。ただ、ちゃんと彼女を管理して。もう二度と私の前で失礼な真似をさせないで」

「……俺にとって夜亜は妹みたいな存在だ。君が思ってるような関係じゃない」


湊斗は眉をひそめて弁解する。


「そう、妹ね」


灯里は証拠を突きつけようとする衝動を必死に押し殺し、

「私が悪かった。思い込んでしまって。おめでとう、新しい“妹”までできて」

と皮肉を込めて言い放つ。


「……」


「早く運転して」


骨の髄まで冷えきった気がして、灯里は無意識に身を寄せていたスーツをぎゅっと抱きしめる。

襟元からほのかに漂う香りが、再び鼻先をくすぐった。


その時、湊斗は灯里が羽織っている上質なメンズスーツに目を留めた。

明らかに高級なオーダーメイド品だ。


「誰の?」声が急に冷たくなる。


灯里は顔を背け、窓の外を見ながら皮肉っぽく答えた。

「兄の。さっき知り合ったばかりだけど」


湊斗の目が鋭く光る。

彼は勢いよくそのスーツを脱がせると、窓の外に投げ捨てた。


「何すんの!」

灯里は驚きと怒りで車のドアを開け、スーツを拾いに行こうとする。


だが、湊斗は彼女を引き戻し、身を乗り出して激しく唇を奪った。


灯里は歯を食いしばって抵抗するが、

彼はその抵抗を力ずくでこじ開け、強引に彼女を支配していく。


十分に満足するまで唇を離さず、ようやく顔を離すと熱い吐息が灯里の頬にかかった。


「そんな手で俺を試すな。自分が何を招くか、よく考えろ」


灯里はただ呆れるしかなかった。

結局、あのスーツは拾えなかった。


約束していた「きれいにして返す」も、ただの空約束となった。



週末の騒動のあと、灯里はその夜、ひどい熱を出した。


湊斗は珍しく外出せず、おかゆを作ったり薬を飲ませたり、甲斐甲斐しく世話をした。

その一時的な優しさに、まるでまだ自分を愛しているのではと錯覚しそうになる。


夜中になっても熱は下がらず、灯里は意識がもうろうとする。


「ジジジジ……」


枕元の湊斗のスマホが、突然大きく震え始めた。

灯里は力を振り絞って起き上がり、同時に彼も画面に目をやる。


時刻は0時35分。

表示されている名前は「夜亜」。


あまりにも親しげな呼び名……。


静まり返った夜に響く着信音と振動は、まるで枕元ではなく、二人の張り詰めた神経を直接揺さぶるようだった。


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