「湊斗、何見てるの?」
夜亜が湊斗の袖を軽く引いた。
木々に視界を遮られながらも、湊斗は目線を戻す。
「いや、何でもない」
前方を見つめたまま、心の中は重く沈んでいた。
森の中。
白金は木のそばで電話をしていた。
灯里はその後ろにぴったりとついていた。
彼は振り返り、灯里を一瞥する。
灯里は彼が通話中だと気づくと、足を止めて後ろのキノコ型ベンチに退いた。
額に手を当て、自分の行動に呆れる。
電話が終わると、灯里は気まずそうに、無理に明るく話しかけた。
「白金社長は本当に鋭いですね。私、空気すら読めないし、やっぱり秘書には向いていないみたいです。お邪魔しました」
「ここまでついて来て、それを言いに来たのか?」
白金の眉がわずかに動く。
「……」
灯里は彼の前では全く太刀打ちできない。
苦笑いしつつ、もう望みはないと悟り、率直に言った。
「本当はチャンスが欲しくて来たんです。でも私、最初の印象も最悪だったし、今日も散々でした。どうせ無理なら、早く終わらせてご迷惑かけない方がいいと思って」
白金は冷ややかな表情で言う。
「俺が断った理由がそれだと思っているのか?」
「違うんですか?」
「こんな格好で面接に来て……もし俺が受け入れたら、色仕掛けに引っかかったと思われるだろう? 俺が本当にその気だったとしても、わざわざ堂々とそんなことはしないさ」
灯里の顔が一気に真っ赤になり、耳まで染め上がった。
彼は灯里が色仕掛けで取り入ろうとしていると皮肉り、自分はそんなものには興味がないと示したのだ。
灯里は何も言い返せず、居たたまれなくなって早口で別れを告げた。
「勉強になりました。失礼します」
返事も待たずに早足で森を離れた。
麻衣と新村が戻ると、白金が一人で立っていた。
「灯里は?」
「もう帰った」
「え?」
麻衣は驚き、就職がうまくいかなかったことを察する。
「白金さん、灯里は本当に有能で……」
白金は話を遮った。
「そうは見えなかったな」
麻衣は一瞬で察した。
男心をわかっているつもりだったが、白金は一筋縄ではいかない。
「もう、誤解ですよ!」
慌ててフォローに入る。
「全部私のせいです!最初は普通の服だったのに、私が地味すぎるって言って、持ってきた服に着替えさせちゃって……」
白金は何も言わなかった。
灯里は家に帰り、着替えを済ませて化粧台の前に座り込んだ。
橘川グループも、湊斗も離れた自分は、何者でもなくなってしまったのか――
少しだけ気持ちが落ち着き、無音にしていたスマホを手に取ると、着信が山ほど残っていた。
湊斗と麻衣からだ。
湊斗の方は無視し、麻衣に電話をかける。
「ごめん、ちょっと低血糖で体調悪くて、先に帰っちゃった。伝えるの忘れてた」
麻衣はしばらく黙った後、
「……謝るのは私の方だよ」
「そんなことないよ。元々試してみたかっただけだし、麻衣には十分助けてもらった。恩は忘れないよ」
「恩なんて言わないで!服のことはちゃんと説明したけど、白金さんは特に反応なかった。新村さんから白金さんの連絡先もらったけど、もう一度アピールしてみる?」
灯里は数秒考えてから答えた。
「やめておくよ。白金グループとは縁がなかったみたい」
麻衣はそれ以上何も言わなかった。
灯里はベッドに潜り込んで眠ろうとする。
うとうとしていると、ドアが開く音がした。
目を細めると、湊斗が冷たい表情でベッドサイドに立っていた。
灯里は背を向けて布団をかぶる。
「ずっと家で寝てたのか?どこにも出かけてない?」
湊斗はそっと腰掛け、探るように言う。
灯里は黙ったまま。
「今日、湘南カントリークラブで、君にそっくりな後ろ姿を見かけたんだけど。」
「……」
灯里はぎょっとして目を見開く。
彼も来ていたなんて――
しかも夜亜まで実況中継みたいに電話してきて、よくもまあそんな顔で問い詰められるものだ。
「行ったけど何?」って言いたいけど、麻衣に迷惑かけたくないし……
灯里は黙り込んだ。
湊斗は布団の端をめくり、彼女の首筋をじっと見つめたが、怪しい痕はなかったので少し安心したようだ。
だが、まだ問いかける。
「本当に出かけてないのか?」
「出てない!午後はずっと庭の掃除してたの。もう寝るから、放っておいて!」
灯里は布団をしっかりかぶり、拒絶の意思を示す。
湊斗は彼女が嘘をついていないと見て、それ以上は追及しなかった。
夜になった。
白金雅貴は最上階の自宅で食事を取っていた。
執事の伊藤正がワインを注ぐ。
「ヘッドハンターからはまだ連絡がありませんか?」
白金はワインを一口飲みながら尋ねる。
「秘書から候補者リストが届いております。ご確認いただけます」
伊藤はふと思い出したように続けた。
「少しだけ中身を見たんですが、この前の接触事故の長浜さんもリストに入っていましたよ」
「そうか」
白金はグラスを置く。
「タブレット持ってきて」
その口調は穏やかだったが、二十年仕えてきた伊藤には、関心の現れだと分かった。
伊藤はタブレットを差し出す。
白金はリストを開く。
これまでの候補者は全て不合格だった。
彼が求めているのは、
経営に精通し、統率力があり、印象もよく、社交性も兼ね備え、彼の右腕となれる秘書だ。
「長浜さんは若いですが、かなり優秀ですよ。橘川グループで四年間、プロジェクトスタッフからマネージャーまで昇進しています。
ここ数年の橘川グループの急成長は、半分は彼女の功績と言われてます。
業界の引き抜きも多かったですが、橘川さんのパートナーだから誰も手を出せなかった。
でも、橘川家が戸崎家と縁談を進めるって話になって、彼女は怒って辞めちゃったそうです……ほんと、まっすぐな子ですね」
伊藤はしみじみと呟いた。